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【珈琲フロート】
流されていってしまうのではなく
足場ないところに
今はただ浮かんでいるような。
珈琲フロートです。
山田麻子 手書き暦 ✳︎2020年版の受付は終了しました。来年をお楽しみに!
『ヒマラヤの師と共に』のSriMの最新作『On Meditation-オン・メディテーション』。ご紹介、第4弾です。
聞きなれない言葉かもしれません。
常に私たちが共にある「恩寵」とは何でしょうか....
今後、シュリー・エムの講話のアップもしていきたいと思います。どうぞお楽しみに!
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On Meditation 第9章「 瞑想における師匠と恩寵の役割 」より抜粋
Q:魂の成長における目標に達するために必要なのは時間ですか? 努力ですか? 恩寵ですか?
M:三つの全てが必要です。努力と時間、恩寵のどれもが重要です。
なぜかを説明しましょう。まず、いくばくかの恩寵がなければ、そもそも魂の成長のために努力をすること自体が不可能です。もし誰かが既に実践を積んでいるとしたら、これは疑う余地なく恩寵のおかげなのです。恩寵は既にそこにあります。恩寵がなければ、魂の成長を求める方向へ向かうことすらできません。
.....
恩寵は常にそこにあるものの、いつ風が吹くのかは私たちには決められません。しかし、私たちの扉と窓が閉まっていては、風が吹いても中に入ってくることができません。ですので、謙虚な態度で扉と窓を開けるための全力の努力をして、風が吹いたときにお迎えできるようにしましょう。
《私は妊娠出産育児?で『あきらめる』のパワフルさを知りました。④》
こんにちは。ゆっきぃです。
コロナ自粛も緩和され始め、ちょっとずつ柔らかな感じになってきているように思うのは気のせいでしょうか?
私たち家族は「こんなんで大丈夫なのか?!」と思うほど、毎日のほほんとのんびり生きています。
いい天気だなぁ。鳥の声が可愛いなぁ。風が気持ちいいなぁ。ムカデの季節だな!!。コバエも出てきてるね?!。そろそろ赤しそジュースを作りたい時期だなぁ…
そんなことと変わらないテンションで私はふと思います。
「私には息子がいたんだなぁ。」
「死んじゃったんだよなぁ。」
「あの時は大変だったなぁ。」
と。
不謹慎に感じます?
もしそうならごめんなさいね。
でも仕方がない。
これが紛れもない事実であり、私にとってはとても心地のよい毎日なのですから。
さて、今回もその大変だったときのお話しの続きです。
割とセンセーショナルだしなかなか衝撃的な出来事だけれど、『あきらめる』を知ることで、こんな快適な毎日を過ごすことができているんです。
では今回もこの物語をご自分の“今”に在りながら楽しんでみてください。
そうなるように綴りますね。
*まだ読んでいらっしゃらない方はこのシリーズを最初から読んでくださると嬉しいです。ぜひ。↓↓↓
小さな小さな息子は『天太(てんた)』と名付けられました。
最愛の旦那さんが「これがいい!」と前々から思っていた名前です。
(私、この名前大好きなんです。可愛くないですか?)
天太は2250グラムで産まれてきました。
18トリソミーの男の子にしては大きく立派に生まれてきた方です。
彼は生まれてすぐに「2週間がヤマです。」と告げられ、あらゆる管や線をつけられ、小さな顔に大きな酸素吸入用のマスクをつけられました。
細い腕、細い足、ちょっと黒めの皮膚(血色が悪くてね)、微妙に気になる耳の位置。
両手の中指と薬指はいつも折り曲げられ、いつでも不思議な形のグーをしている。
背中の毛はかなり長く、そして毛深い。
一見して「普通じゃない」とわかる風貌な彼は、いつだってとても大きな綺麗な目で私を見つめました。
「…か…可愛い…」
私は彼に会いに行くたびに愛しさが増していくのを感じました。
折れ曲がったままの指の不思議なグーも、ちょっと黒い肌も、耳の位置も、背中の長い毛も、すべてがどんどん愛しくなっていくのです。
そんな自分の感情が怖くて、嫌で仕方がありませんでした。
我が子を可愛く思う気持ち、愛しく思う気持ちが怖くて怖くて一生懸命なんとか蓋をしようとしました。
そして彼の物は極力買わないように、増やさないように努めました。
だって、どうせ死んでしまうのですから。
私はNICUで彼を抱っこしながら、窓からふりそそぐ太陽の光を浴びている時間があまりにも穏やかで何度も静かに涙を流しました。
その後、彼は2週間のヤマを乗り越え、心臓に開いていた2ミリほどの穴を塞いでしまい(自力でね)、呼吸器から脱却するという快挙を成し遂げました。
私と亮一さんは何度もいろんな決断を迫られ、何度も話し合いをして、何度もドキドキしながら私たち夫婦の決断を先生に伝えました。
今なら手術ができそうですが手術はしますか?もしもの時に延命治療はしますか?もしもの時に人工呼吸器は付けますか?一度人工呼吸器をつけてしまうとなかなか外せませんが?…などなど盛りだくさん。
生まれてすぐの我が子の命に関わることの決断を、何度も何度もしなければなりませんでした。
これはなかなかにきついことです。
いつだって『死』が隣り合わせであることをこれでもかと突きつけられたのです。
「どんどん天太が愛しく可愛くなっていってるの。怖いの。もう嫌だよ。どうせ死んじゃうんだったら早く死んじゃえばいいのにって思っちゃうの。そんなことを思っちゃう自分もなんなの?!って思うの。もう嫌だよ。」
私は亮一さんに何度もそんなことを言いました。
その度に亮一さんはじっくりと話しを聞いてくれて、そしてこう言ったのです。
「うんとさ…俺はこう思うんだ。いつだってなんだって唯一無二の自分の人生の『彩(イロドリ)』なんだなぁって。」
私は亮一さんのその言葉を聞いて、なんだか目がパッと開いたような気がしました。
彩。
イロドリ。
これは私の人生の中の彩なんだ。
まぁパッと目が見開いたからといって、身体と心のしんどさは変わらなかったんですけどね。笑
でも視点ができた。
彩なんだという視点ができたのはとても大きかった。
その後、天太さんは驚異の回復?成長?を遂げ、生後4か月頃についにNICUから出ることになります。
・口からミルクを飲むことができない。(鼻からチューブを入れてそこから点滴のようにミルクを入れていく。←1日7回。)
・自力でウンチを出すこともできない(浣腸を一日2回ほどする。)
・飲ませるお薬の種類がいくつもある。(シリンジで鼻チューブから入れる。)
・身体がめちゃくちゃ弱い。(すーぐ感染症にかかる。)
・いつまでたってもふにゃふにゃのまま。(首ずっとぐにゃぐにゃ。)
・いつ死んじゃうかわかんないって言われている。
↑これ。この状態で家に帰ってきたのです。
そりゃ嬉しかったですよ。
生まれてから添い寝を一度も出来なかったんですから。
やっと一緒に寝られる。なんて思ってね。
でもそれ以上に不安で不安で仕方がなかった。
家には3歳になったばかりの娘がいます。
その娘のお世話と天太のお世話(やることいっぱい!!)、そして亮一さんのゴハン作りや家事。
なんだか大変そうだけれど、何が大変かもわからない状態でした。
さて。
ここから私はかなり疲弊していきます。
やることが多すぎて…な部分もかなり大きかったけれど、それ以上に自分の中の『べき』や『こうでなければ!』や『これだけはゆずれない』がどんどん如実に露呈してきたからだと思います。
この後私に、今思い出しても二度とあの時には戻りたくないっ!!と切実に感じてしまうほど辛い時がやってきます。
まぁそれも彩なんですけど。
長くなってしまったのでその話しはまた次回。
『あきらめる』に必ず辿り着きますから(笑)、どうか最後まで読んでくださいますように。
また来月お会いしましょう。
それまでお元気で!
ではまた。
現在『ヒマラヤの師と共に』のSriMの最新作『On Meditation-オン・メディテーション』。ご紹介、第三弾です!
今回は、こんな痛烈な指摘をご紹介します。
『On Meditation』では、ヨーガの伝統を踏まえながら、現代的な生活の中で瞑想に親しんで行く方法について、陥りがちな方向について、ユーモアを織り込みつつ、的確なガイダンスが繰り広げられています。
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On Meditation 第6章「 瞑想における障害物」より抜粋
古めかしい宗教的な儀式や慣習から自由になったと、無宗教の現代人は喜んでいます。しかし、実際、彼らはただ表面的に異なる慣習儀式を作り出しているだけなのです。人間の心が新たな慣習儀式に傾倒すれば、人間の心の集合体である社会にも新たな決まりごとができます。娯楽も慣習儀式の一つです。慣習儀式は多くの人にとって必要なことですが、真に自由な人物にはもはや無縁なものです。どんのような慣習儀式も必要のない人物は真に自由だと言えるでしょう。もちろん、無理に表面的な真似だけをしても仕方がありませんが。
一般的に、人々は自分にとって都合の良い事実のみを求めます。純粋に真理を探究する人は稀です。「スピリチュアル・エンターテイメント」という言葉で表されるように、魂の成長においても人々は娯楽を求めます。もしくは、彼らにとって都合がよく、素晴らしい「真理」を。
または、安定を求めている人たちもいます。真理が表面上の安定や安心とはむしろ直接に関係ないものだとわかった途端に、これらの人たちは探究をやめてしまうのです。むしろ、真理を求める過程では、安定や安心のための土台は全て崩れ去り、「自分」というアイデンティティを構成するありとあらゆるものが失われるのです。これは本当に真剣な人でなければできません。
それでもあなたは真理を求めますか?
《私は妊娠出産育児?で『あきらめる』のパワフルさを知りました。③》
みなさんお久しぶりです。ゆっきぃです。
自粛生活が続いている毎日、いかがお過ごしですか?
いろいろな面でストレスを感じていらっしゃる方も多いかもしれません。
もしよかったら“今だけ”でもこの文章を読んで頂けると嬉しいです。
『あきらめる』という言葉にはとてもパワーがあるからです。
まだ私の過去の物語のお話しが続きそうですが、“今だけ”でもこのお話しを楽しんでくれたらいいなぁと思いながら綴ります。
さて、前回の続きです。
もしまだ読んでいない方がいらっしゃったら前回と前々回のお話しをぜひ読んでみて下さいね。↓↓↓
妊娠31週目の検診での「んー…18…の可能性は…」という小さな声での会話。
先生たちのこの言葉に強く反応してしまった私。
それから私は『18トリソミー』というワードで検索をしまくる検索魔と化していきます。
先生たちの「…18…」という言葉でピンときてしまったんですね。
ところで『18トリソミー』ってご存知ですか?
簡単な説明を書いておきますね。
18番染色体が一本多いことによる疾患です。妊娠の中期~後期にかけて、胎児の発育が遅くなったり、羊水過多がきっかけとなって診断されることがあります。出生の頻度は新生児8000人に1人程度で、女児が多いとされています。
出生時の体重が少なく、口と下顎が小さく、鼻筋がとおった細い鼻、弓状の眉毛をもつ繊細な顔立ちです。筋緊張が強く関節が拘縮し、指が他の指に重なる手の握り方で、足底がロッキングチェアの底のように丸くカーブします。
重い心疾患があり、治療が困難なこともしばしばです。そのため分娩時や1歳までに死亡する子どもも多く、発達も遅れますが、積極的な治療によって救命される子どもも少しずつ多くなってきています。
先生は「今の段階ではグレーです。」と言いました。
私が指摘されたのは羊水が少し多いこと、胎児の頭がほんの少しだけ大きいこと、脳と頭蓋骨の間にほんの少しの空洞があること、でも心臓の疾患は目視では見当たらないということでした。
心臓の疾患が目視できていたらきっとグレーではなかったのでしょう。
『障害児』『染色体異常』『見た目に特徴がある』『発達が困難』
そして『短命』。
私の頭の中にそんな言葉ばかりがぐるぐると渦巻く。
私のお腹の中にいる子は男の子でした。
男児は女児に比べると生まれてくる確率はもっと少なく、そして生まれてきても育つ可能性はかなり低いと書いてある。
幸福だった妊婦生活がガラリと変わりました。
知れば知るほど怖くなる。
でも調べずにいられない。
お腹の中では可愛い我が子がポコポコ元気に動いているのに怖くて仕方がない。
「まぁ考えても仕方がないかぁー!もしかしたら大丈夫かもしれないし!」
と言える時間と
「…どうしよう…これからどうなっちゃうんだろう…自分の子が死んじゃうなんて私…どうなっちゃうんだろう…」
と不安に巻き込まれる時間が交互にやってくる。
そんな毎日を過ごしました。
亮一さんはそんな私の話しをいつも根気よく聞いてくれて、そしてこんなことを言いました。
「なるようになるよ。どんな子でもきっと可愛いよ。だって家に生まれてくるんだから。大変かもしれないけどきっと楽しくなるよ。」
私は亮一さんのその言葉を聞いて安心しながらも「…この人は呑気でいいなぁ…」と
ほんの少し淋しさを感じていたのでした。
そして迎えた出産当日。
検診の結果はずっとグレーのまま。
生まれてくるまで健常児なのか障害児なのかわからない状態の出産です。
亮一さんは手術室に向かうベッドに横になっている私に向かってこんな風に声をかけました。
「ゆっきぃ!がんばって!楽しんできて!!」
健常児なのか障害児なのか生まれてくるまでわからない出産。
生まれてきて障害児だったらどんな大変な状況になるかなんて想像もつかないままでの出産。
そんな出産に向かう私に「楽しんで!」という旦那さん。
私はベッドの上から手を振り、「楽しんでくるー!!」と返しました。
結果。
私はそれはそれは見事な18トリソミーの男の子を出産したのでした。
それからの時間は怒涛に次ぐ怒涛。
出産後すぐに違う病院に搬送された我が子。
術後の傷の痛みと子宮収縮の痛みに身を捩りながら泣きわめく私。
痛みと不安と悲しみがごちゃ混ぜになり、混乱する。
「大丈夫なの?家の子大丈夫なの?!」
泣きながら看護士さんに聞いてもわかるはずもない。
「もう!!めちゃくちゃ痛いし自分の産んだ子にもちゃんと会えないし!踏んだり蹴ったりだよぉぉーーー!!!」
と看護士さんに変な悪態をつく私。
その後、痛みと戦いながら一晩だけ過ごした個室から大部屋に移った私の手元には赤ちゃんがいません。
他のベッドにはそれぞれのお母さんが生んだ、元気な赤ちゃんがいます。
当たり前だけど。
朝も昼も夜も私の手元には赤ちゃんがいないのに、ずっとどこかで泣いている赤ちゃんの声を聞く生活が始まりました。
手術後2日目には傷の痛みに耐えながら立ち上がり、前かがみになりながらなんとか歩いてアピールし、無理矢理外出許可をもらいました。
帝王切開後の傷の痛みって半端ないんですよ!!
そりゃそうですよね。
お腹と子宮を切ってるんですから。
術後3日目には車で40分かけて息子に会いに行ったのですが、今思うと自分ごとながら『母親って強いなぁ』と感じます。
NICUにいる息子を始めてみた時のことは今でも鮮明に思い出せます。
たくさんの管や線、訳がわからないあらゆる機械に繋がれた小さな小さな息子。
その姿があまりにも痛々しく感じて、気づいたらお決まりのこんな言葉が口から出ていました。
「…ごめんねぇ…。ちゃんと産んであげられなくてごめんねぇ…」
こんな風に私の『あきらめる』の新たなストーリーが始まりました。
なかなかハードじゃないですか?笑
でもこんなのはまだまだ序の口でした。
これから始まる生活の大変さ、辛さ、憤り、悲しみ…をこの時点での私は知る由もなかったのですから。
さて、こんなに何話にも及ぶと思っていなかった『あきらめる』についてのお話し。
きっとこれを書いていることが何かに繋がるのでしょう。
どうか途中で止めずに最後まで読んでくださいますように。
ではまた来月。
続きを楽しみにしていてください!
それまでみなさんお元気で!
『ヒマラヤの師と共に』の著者、SriMの最新作にして、本国で話題をさらった『On Meditation-オン・メディテーション』、現在鋭意制作中です。
'マインドフルネス' についても丁寧に解説されています。
少しずつ内容のご紹介をしていきますので、どうぞお楽しみに!
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(前回のご紹介はこちら!)
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【On Meditation 第1章 なぜ瞑想をするのか】
Q:マインドフルネスとは何か、より抜粋。
もしあなたが世界をより良い場所にしたいのであれば、あなたが満足のゆくまで社会の改革を行うのも良いかもしれません。しかし、あなたの心が変わらないまま、人間の内面の本質に近づくことなく、意識こそが私たち全ての共通点なのだと知らなければ、どれだけ外側の現実を変えても暴力や争いはなくならないでしょう。私たちは自分自身の心を変えるところから始めはじめなければいけないのです。マインドフルネスの実践が必要なのです。
もし私の心が常に内面的な争いの状態にあったら、どのようにして外側の現実に起きている争いに対処できるというのでしょう? 武器を捨てて、内面の平安を求めてみてはどうでしょうか? もし一人の人物がこれをできれば、たくさんの人が影響を受けます。このために、私たちは内面の変化から始めるべきなのです。
マインドフルネスは外側にあり、また、内面にもあります。この両面が統合できたときに、あなたは真のマインドフルネスの中にあります。このマインドフルネスの状態が保てれば、通常の意識の次元を超えたの意識の状態を経験することが可能になります。
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