《私は妊娠出産育児?で『あきらめる』のパワフルさを知りました。④》
こんにちは。ゆっきぃです。
コロナ自粛も緩和され始め、ちょっとずつ柔らかな感じになってきているように思うのは気のせいでしょうか?
私たち家族は「こんなんで大丈夫なのか?!」と思うほど、毎日のほほんとのんびり生きています。
いい天気だなぁ。鳥の声が可愛いなぁ。風が気持ちいいなぁ。ムカデの季節だな!!。コバエも出てきてるね?!。そろそろ赤しそジュースを作りたい時期だなぁ…
そんなことと変わらないテンションで私はふと思います。
「私には息子がいたんだなぁ。」
「死んじゃったんだよなぁ。」
「あの時は大変だったなぁ。」
と。
不謹慎に感じます?
もしそうならごめんなさいね。
でも仕方がない。
これが紛れもない事実であり、私にとってはとても心地のよい毎日なのですから。
さて、今回もその大変だったときのお話しの続きです。
割とセンセーショナルだしなかなか衝撃的な出来事だけれど、『あきらめる』を知ることで、こんな快適な毎日を過ごすことができているんです。
では今回もこの物語をご自分の“今”に在りながら楽しんでみてください。
そうなるように綴りますね。
*まだ読んでいらっしゃらない方はこのシリーズを最初から読んでくださると嬉しいです。ぜひ。↓↓↓
小さな小さな息子は『天太(てんた)』と名付けられました。
最愛の旦那さんが「これがいい!」と前々から思っていた名前です。
(私、この名前大好きなんです。可愛くないですか?)
天太は2250グラムで産まれてきました。
18トリソミーの男の子にしては大きく立派に生まれてきた方です。
彼は生まれてすぐに「2週間がヤマです。」と告げられ、あらゆる管や線をつけられ、小さな顔に大きな酸素吸入用のマスクをつけられました。
細い腕、細い足、ちょっと黒めの皮膚(血色が悪くてね)、微妙に気になる耳の位置。
両手の中指と薬指はいつも折り曲げられ、いつでも不思議な形のグーをしている。
背中の毛はかなり長く、そして毛深い。
一見して「普通じゃない」とわかる風貌な彼は、いつだってとても大きな綺麗な目で私を見つめました。
「…か…可愛い…」
私は彼に会いに行くたびに愛しさが増していくのを感じました。
折れ曲がったままの指の不思議なグーも、ちょっと黒い肌も、耳の位置も、背中の長い毛も、すべてがどんどん愛しくなっていくのです。
そんな自分の感情が怖くて、嫌で仕方がありませんでした。
我が子を可愛く思う気持ち、愛しく思う気持ちが怖くて怖くて一生懸命なんとか蓋をしようとしました。
そして彼の物は極力買わないように、増やさないように努めました。
だって、どうせ死んでしまうのですから。
私はNICUで彼を抱っこしながら、窓からふりそそぐ太陽の光を浴びている時間があまりにも穏やかで何度も静かに涙を流しました。
その後、彼は2週間のヤマを乗り越え、心臓に開いていた2ミリほどの穴を塞いでしまい(自力でね)、呼吸器から脱却するという快挙を成し遂げました。
私と亮一さんは何度もいろんな決断を迫られ、何度も話し合いをして、何度もドキドキしながら私たち夫婦の決断を先生に伝えました。
今なら手術ができそうですが手術はしますか?もしもの時に延命治療はしますか?もしもの時に人工呼吸器は付けますか?一度人工呼吸器をつけてしまうとなかなか外せませんが?…などなど盛りだくさん。
生まれてすぐの我が子の命に関わることの決断を、何度も何度もしなければなりませんでした。
これはなかなかにきついことです。
いつだって『死』が隣り合わせであることをこれでもかと突きつけられたのです。
「どんどん天太が愛しく可愛くなっていってるの。怖いの。もう嫌だよ。どうせ死んじゃうんだったら早く死んじゃえばいいのにって思っちゃうの。そんなことを思っちゃう自分もなんなの?!って思うの。もう嫌だよ。」
私は亮一さんに何度もそんなことを言いました。
その度に亮一さんはじっくりと話しを聞いてくれて、そしてこう言ったのです。
「うんとさ…俺はこう思うんだ。いつだってなんだって唯一無二の自分の人生の『彩(イロドリ)』なんだなぁって。」
私は亮一さんのその言葉を聞いて、なんだか目がパッと開いたような気がしました。
彩。
イロドリ。
これは私の人生の中の彩なんだ。
まぁパッと目が見開いたからといって、身体と心のしんどさは変わらなかったんですけどね。笑
でも視点ができた。
彩なんだという視点ができたのはとても大きかった。
その後、天太さんは驚異の回復?成長?を遂げ、生後4か月頃についにNICUから出ることになります。
・口からミルクを飲むことができない。(鼻からチューブを入れてそこから点滴のようにミルクを入れていく。←1日7回。)
・自力でウンチを出すこともできない(浣腸を一日2回ほどする。)
・飲ませるお薬の種類がいくつもある。(シリンジで鼻チューブから入れる。)
・身体がめちゃくちゃ弱い。(すーぐ感染症にかかる。)
・いつまでたってもふにゃふにゃのまま。(首ずっとぐにゃぐにゃ。)
・いつ死んじゃうかわかんないって言われている。
↑これ。この状態で家に帰ってきたのです。
そりゃ嬉しかったですよ。
生まれてから添い寝を一度も出来なかったんですから。
やっと一緒に寝られる。なんて思ってね。
でもそれ以上に不安で不安で仕方がなかった。
家には3歳になったばかりの娘がいます。
その娘のお世話と天太のお世話(やることいっぱい!!)、そして亮一さんのゴハン作りや家事。
なんだか大変そうだけれど、何が大変かもわからない状態でした。
さて。
ここから私はかなり疲弊していきます。
やることが多すぎて…な部分もかなり大きかったけれど、それ以上に自分の中の『べき』や『こうでなければ!』や『これだけはゆずれない』がどんどん如実に露呈してきたからだと思います。
この後私に、今思い出しても二度とあの時には戻りたくないっ!!と切実に感じてしまうほど辛い時がやってきます。
まぁそれも彩なんですけど。
長くなってしまったのでその話しはまた次回。
『あきらめる』に必ず辿り着きますから(笑)、どうか最後まで読んでくださいますように。
また来月お会いしましょう。
それまでお元気で!
ではまた。