蓮華舎のブログ。

出版社 蓮華舎のブログです。新刊のこと、著者のお話、寄稿、取材記、舎長の日誌など。

【舎長おーちゃんが行く!④】舎長、キャパオーバーになる の巻。

みなさんこんにちは。

 

先週私は、とうとう感染ではないか!!という程体調を崩して悶絶していました。

 

わたしは昔から心の状態が即身体症状としてあまりに解り易くあらわれるタイプで、思い起こせば、学校をまともに卒業できたことが見事に一度もございません。

身体症状にあらわれて登校を拒否することはしょっちゅうで、文字通り問題行動をよく起こしました。

 

そんなことを繰り返したため、一応長い付き合いである自分の心と体の相関関係は、わりとよくわかってきました。

ですので、この具合の悪さは一体何だろう...と悶絶の内に考えていました。

 

そして、ある程度わかったのですが、

私は自覚のまったくもって欠如した状態で社長になったために、例えば、会う人に「私の本を出してください!」とか「これまでの軌跡をまとめたい」とか「仕事をください」とか「自伝を」とか「作品集を」などなど言われる状態に心の準備も耐性もできていなかったようです。

(私も言いたい、「舎長業以外でも仕事なんでもやりますよ!」)

 

このように言われることが多くて正直、少々驚いています。

みなさん様々に成し遂げたことがあるのだと思います。

 

しかし....会って1分も経っていないのに、そういわれても...

電話ではじめて話しただけで、そういわれても....

 

うーん。

 

加えて、経理。面談。確定申告。翻訳原稿のチェック。映像の編集。新しい本のこと。お金は足りるのかな、とか、いつまでに何を仕上げたらいいのかな、とか諸々の算段。それから、今日はあの書店さんに本の補充をしてくださいと言わなくちゃとか.....

今までまっったく使う気すらなかった部分の頭を使う日々。

 

ただ、毎回感動するのですが、蓮華舎はほぼ週1の会議に、常時4人くらいの人が集まります。

そして、私に足りない諸々のことをカヴァーしてくださいます。

更に、空いている時間を使って、税金の処理を手伝ってくれたり、お金の振り込みをしてくれたり、資料をつくってくれたり、カメラを貸してくれたり、倉庫を提供してくださったり、本の運搬を手伝って下さったり、蓮華舎の社会的役割というのをアドヴァイス下さったり、そのほかにも実にさまざまなるフォローの手によって存続しています。

 

ですので、口が裂けても「ひとり出版社です」とはいえません!

 

....と、そうはいっても、自分でやらなければならないこと、やるべきことはいろいろある。

 

あれ?

 

何のためにこれやろうと思ったんだっけ....

 

おかしい。

 

 

どうやらこの違和感が体調不良の原因にあるようでした。

 

どうしようもなくエネルギーが低下していました。

 

 

正直に申してはいけないのかもしれないのですが、

わたしは出版社を経営したいとも、編集作業をしたいとも、そんなことはまったく思ったことがございません。

そして、多分これからも、ないのではないかと思うのです。

 

今やっていることは、自分の生きることに直結しているためにやっているだけなので、直結しなくなったらまた1からやり直そう。

そう思います。

 

私は自分が知りたいのと、あなたが知りたいのと、世界が知りたい。世界とは、絶対的な何かで、できることならどこかで聞いてきた知識ではなく、自分で知りたいと思います。

 

そして、そのために必要な様々に複雑で面倒でどうしようもなくこの世的、手続き的、人間関係的なこともそれはもう引き受ける!

 

しかし、万一キャパオーバーで引き受けきれなかったら誰に言ったらいいかわかりませんが、本当にごめんなさい!これくらいしかできないのです!

 

というわけで、

自分の社会から見られる立場と、自分の思っている自分の立ち位置に齟齬があって、そして無自覚に義務的な事に自分を合わせてしまったりしたことが、どうやら身体症状となってあらわれたようでした。

 

「本当の自分」はよくわからないけど、今の時点の「自分の本音」なら、まっすぐ問えばわかる。むちゃくちゃ利己的に聞こえることでも、その小さな声の本音を無視しないようにしようと思いました。

 

たぶん何度もここに戻らないといけないと思うのですが、

自覚0のまま、それでもそのようにしながらやっていこうと思います。

 

いつだって好きでやってるんだということを忘れないようにしたいです。

 

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子育てなんかできない! 藤山幸江 第一稿

蓮華舎のブログをお読みの皆さんはじめまして!

昨日の舎長のおーちゃんのブログでご紹介頂きました藤山幸江と申します。

みんなは私のことを『ゆっきぃ』と呼んでおります。

てことで、こちらでも「ゆっきぃです!」とこれからはご挨拶させていただきますね。

 

この度、舎長であるおーちゃんこと大津明子さんに声をかけてもらい、蓮華舎のブログに文章を綴らせて頂くことになりました。

まったくもってありがたいお話しです!!

ありがとうございます!!

 

ところで、昨日の舎長のブログを読んで頂けましたでしょうか?

もしまだでしたらぜひ目を通してみてください。↓↓↓

https://padmapublishing.hatenablog.com/entry/2020/02/11/120000

 

 

読みました?

どうお感じですか?

そうなんです。私の過去はめちゃくちゃなんです!

中学3年ころから摂食障害の症状が出始め、それから15年以上ひどい摂食障害に苦しみます。

21歳の時には滋賀県雄琴という町でソープ嬢として働きます。

一年で700万円というお金を貯め、返さなくてもいいであろうお金をとある人に返します。殺される覚悟で。

 

その後はバーテンダー、クラブホステス、雑誌記者、そしてリフレクソロジストになり、整体師になりました。

もう過去の職業をあげるだけでも生きている動線がめちゃくちゃです。

自分でも笑っちゃうくらい。

そしてそれは職業だけに留まらず、プライベートでもかなりめちゃくちゃな日々でした。

男性を心から好きになれない。「人を好きになる」がわからない。「付き合う」がわからない。「彼氏」とか「彼女」がどういうことなのかわからない。

当然結婚や出産なんてまったくわからない。

わからないからたくさんの異性と関係をもったりしてみたり。もうめちゃくちゃ。

 

とにかく「私」は物心ついた時から「私」が大嫌いで許せなくて、いつでも「消えてなくなりたい!」と思っているような過去でした。

だからこそ、私は私を観察し続けました。

私が大嫌いだと思っているコイツはなんだろう?

どうしたら「私」が「私」を好きになれるのだろう?

この大嫌いな「私」は一体全体いつも何を思っているのだろう?

そして目の前に繰り広げられる様々な出来事を観て、この大嫌いな「私」は何を感じているのだろう?

 

こうして「私が大嫌いでたまらない私」は、いつの間にか「大嫌いな個としての私」を「じっと観察するもう一人の私」の視点を強化していきました。本当にいつの間にか。

それはいつしか「“私”とはなんだろう?」という思いに変わり、「“私”が今行っているこの“人生”とはなんなのだろう?」という「問い」に移り変わっていきました。

 

“苦しみ”の本質がなんとなくわかってきた頃、今の最愛の旦那さまと知り合い、長く患った摂食障害の症状も見事に治まりました。

今、私は大好きな男性と結婚をして、妊娠出産を経験し、現在8歳になった超絶可愛い娘と最愛の旦那さまと可愛いらしいお姑さんと生活をしています。

あんなに大嫌いだった「私」と消し去りたいほど嫌悪していた「私の過去」がいつしかぐるりと反転して、今ではたまらなく愛しくなりました。

 

あれほど「わからない!!」と叫んでいた結婚、妊娠出産、そして子育て(?)を私はいつの間にか楽しくしているのです!!驚愕!!

 

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愛娘と愛猫。

 

結婚、妊娠出産を経てなお、私の「私をジッと見つめる視点」は強くなり、そして広く大きくなっていきました。

最愛の旦那さんである亮一さんと共に、その視点の話しをいつもしているから尚更です。

 

今目の前で繰り広げられているこの現象はなんだろう?

今私が感じているこの感覚はなんだろう?

私が今感じてるこの感情はみんなが名付けている『イライラ』というものなのだろうか?

私が今感じているこの感情の名前はきっと『ワクワク』と呼ぶのかもしれない。

そんな風に。

『結婚』も『妊娠』も『出産』も『子育て』も、ただそう名付けている現象に過ぎない。

その現象に名前を付けた途端、人は自分のフィルターでその物事を観てしまう。

名前を付ける前、その前の状態をまっさらな目で見つめたい。

まっさらな自分の感覚で感じたい。

いつでも自分の感覚に正直に開いていたい。

そんなことを常に考えている、感じようとしている44歳のゆっきぃです。

だからね、よく聞いてくださいね、私は

 

『子育て』なんて出来ないし、やったこともないのよぉぉぉーーー!!!

 

こんなめちゃくちゃな過去を持つ、ポンコツで物忘れがひどい私が(最近は特にいろんなことを覚えていられません!!)私の日常をどんな目線で観て、何を感じているのか、『目の前の現象に名前を付ける前』の感覚で綴っていけたらいいなぁと思っています。

 

稚拙な文章だと思いますが、よかったらお付き合いくださいね。

どうぞよろしくお願いいたします!

 

ではまた。

【舎長おーちゃんが行く!③ 】藤山幸江さんのこと。

みなさんこんにちは!

いかがお過ごしでしょうか?

 

今日は今月から蓮華舎のブログに登場してくれる藤山幸江さんのことを少しご紹介したいと思います。


彼女は、横浜に住む整体師です。

彼女の元にはよく人が相談に訪れます。それは、彼女が腕の良い整体師であり、人の状態を読み取る能力に長けているからということもあるのですが、、、

幸江さんの前に来ると、裸になりたくなってしまうのです。しかも、ほとんどの場合、自分でも気づかないうちに脱いでしまう。

そして、どうしても自分で脱げない厚い鎧のようなものを被っているときなどは、幸江さんが時に優しく、時に胸ぐらを掴むようにして、一枚一枚脱がしてくれるのです。

 

あ、これはもちろん比喩ですよ。

 

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京都に降り立った21歳の小娘ゆきえ。
 
所持金2万3千円。
 
京都に深夜バスが到着したのは早朝5時30分頃。
どこに行くあてもなく、京都にまったく詳しくない。
というか土地勘がまるでない。
どこが繁華街なのか?そしてそこまでどうやって行くのか?
今夜泊まる場所は?
少しの荷物を持って、キョロキョロと移動をはじめた。
http://yukiukixkix.hatenadiary.jp/entry/2017/12/06/152507
 


こんな感じで始まる幸江さんのブログによる自叙伝は、その一応の完結をみたときに「小娘有里ちゃんロス」が起きるほどの反響を呼びました。 

 

ちなみに「有里ちゃん」は、幸江さんのかつての源氏名です。
 
源氏名
 
そうです、このブログに描かれているのは、幸江さんの「雄琴ソープ嬢」時代の赤裸々自叙伝であるのです。
 
ここで顔をしかめる方々いらっしゃるかもしれません。

 

ソープ嬢

しかも、蓮華舎のブログでソープ嬢
 

しかし、少しの間考えたのち、前に戻ってそのブログのURLをこっそりクリックされるかもしれない(別にこっそりする必要はないにもかかわらず)。

 そのままぜひ、1話からさかのぼって、数日かけて最後まで読み進めてください。
 
そこに展開されているのは、顔をしかめたときに思い描いたような感じだったでしょうか?
 

少なくとも、このブログの熱心な読者であった私は違いました。

 

何か違うのでしょうか?

 
雄琴ソープ嬢、有里ちゃんは1年で700万円を貯めるとその仕事をすっぱり辞め、その後はバーテンダー、そして大阪のホステスとして働きます。

それぞれの場所で、見事にいい所まで上り詰めていきます。そして、あるときにスパッと辞める。その中に埋没していくことはついぞありませんでした。


彼女はそれぞれの場所で、一歩引いた場所からその大きな目で起きていること「ジっ」と見つめます。完全に飲み込まれることなく、しかし、好奇心をむき出しにして。
 
薬物にはまってしまう同僚、男性に貢いでしまう嬢たち、とにかく承認されたい男たちの悲哀、恋愛にはまることのできない自分、過食嘔吐の症状、、、、

 

人の本性が文字通り隠すことなく現れてしまう場所で、有里ちゃんは自分と周りを観察し続けます。

そしてそれは、仙人のような旦那さんと、悶絶するほどかわいい娘さんと家族を営むようになった今でも、変わらず、より大きく優しい視点とともに強くなっているようです。

 

幸江さんと私は、数年来のたいへん仲の良い友達です。

私はたまにふざけて「幸江先生!」というのですが、完全にふざけているわけでもないのです。

 

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彼女はいつも誰に対してもこう聞きます。

 

「それで、ほんとうはどう感じているの?」

 

それは、いつも彼女が自分自身に聞いていることなのだと思います。
 
ほんとうに、ほんとうは、どう感じているのか。

それをちゃんと知ることは、案外難しいことだと思いませんか?

 

いつだって私たちは色眼鏡でものを見てしまう。

だって、ずっと色眼鏡をかけろかけろと言われ続けてきたのですから。

でもそれに気づいたのなら、眼鏡をいったん外すことができる。

...少なくとも、外そうとすることはできる。

 

外側から与えられてきた基準を一旦外して、肩書きも社会的な役割も全部かなぐり捨てて、とことんまで自分に正直になった時に、一体どう感じているか。

それを、私もまた幸江さんと、皆さんと一緒に、知っていきたいと思います。

 

 

今年も私は「なんでだろ?」や「おかしいなぁ」と思うことに正直に向き合っていきたいし、

それで?私はどう感じてる?を知っていきたいなぁと思います。

「常識」とよばれている事柄を真っ向から否定するのではなく、

「ん?なんだ?これ?」という視点で観て、そして私は何を感じるかを知っていきたい。

そんなことを感じた年末と新年でした。
 
今年も自分に正直に。

ごまかさずに生きていきたい。

いつだって丸裸になれるようでいたいです。

https://yukiukix.hateblo.jp/entry/2020/01/04/165925

 

 

子育ても、夫婦関係も、女性性も、家族も、日々の生活も

「ん?なんだ?これ?」という視点で観てみたらどうなるか。

 

それを毎月少しずつ綴っていっていただく予定です!

 毎月第2水曜日に更新。

 

みなさま、どうぞ、お楽しみに!! 

 
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 幸江さんと旦那さんの亮一さん(と猫の夏ちゃん)
 

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【小野田智之さんに聞く!】物質と精神の橋を渡す 〜音と形、フォノグラムの世界 (3)

昨日に引き続き 小野田さんに聞く!第3弾。

 

果たして、身体調整も、楽器の制作にも、終わりはあるのでしょうか?

新しい科学へ向かう道筋について、数学について。

どうぞ、ご一読ください!

 

 

―共同研究者の方が亡くなられてからもずっと研究を続けられたんですね。

 

その時期がいちばんしんどかった時です。30歳ちょっとくらいから、結果が出た39歳くらいまでかな。

 

―「結果が出た」っていうのは、どういうことですか?

 

等音面の物理的データが出た、ということです。あれが出るまでは何一つ言えなかった。あれが出てやっと言えるようになった。

 

物理的な実証は永久にできないと思いながらやっていました。それができないとすると、どういう証明方法があるかというと、論理矛盾のない論理体系にするしかない。

数学っていうのは、実証されなくても論理矛盾なく展開していければ、それはそれでひとつの世界です。これを学会でおさめれば、それはそれで一応価値のあることだし、初めからそのくらいしかできないだろうと思ってやっていたんだけど、物理の実証ができたために、そこから一気に今までのフォノグラムの数理研究が実を結んだわけです。それをまとめたのが「等音面の確率過程」っていう論文です。ネットで公開しているものになります。

http://tomoyukionoda.com/page-443/#

 

あれは学会でちゃんと発表したんですけど、さすがに皆うなってはいましたけど「よくわからん」という感じです。専門家も、形式的には理解できるけどその真意までは理解できなかった。あれは、本当にすごいんですよ、シュレディンガー方程式が出てくるから。シュレディンガー方程式っていうのは量子力学の基本方程式なんですけど、等音面を数式化してきても、同じ方程式にたどり着く。シュレディンガー方程式っていうのはミクロの量子力学の世界を扱う方程式ですが、それの現実モデルっていうのは非等音面にランダムノイズを乗せたときの砂粒一個の動きと全く同じだっていうこと。つまり、現実モデルとして、非等音面で砂粒一個動かしたら、粒子の動きと一緒ですよっていうことで、これだけでも結構凄い話なんですよね。でも、論文の意味がわかってないから、本意まではわからない。

 

そういう学会発表みたいなこともしばらくやっていたけど、馬鹿らしくなっちゃって、もういいやって思った。そのときに助けてくれる人がいて、小野田さんはもう自分でやったほうがいいですよ、って言ってくれて、それで、自分の名前でHPを作り出しました。それでちょっとずつこういう形になってきたわけです。

 

―HPを作って、そして、このように一般に教えるっていう活動を始めたのですか?

 

はじめは楽器を作って売ろうかなと思っていたんだけど、それでいっぱいになっちゃったら嫌だなと思ったから、職人を増やそうと思った。同じことを出来る人をつくろうと思った。そうしたらブーちゃん(小飯田さん)とかが来てくれて、だんだん、今のような形になってきました。

 

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板のフォノグラムを取る練習

 

―身体でも楽器でも終わりのない作業に見えるのですが.....

    終わりはあるのですか?

 

ある。あります。そこに連れて行ったときに、みんなが絶対同じ見解になるはずです。それが「真我」という状態だと思う。もしそれより先があるとしたら、自分は知らないし、あるとも思えない。

 

でも本当に、楽器が唯一のものだと思います。身体の宗教上言われている変化がちゃんと研究できるものは。科学と宗教、精神と物質を結ぶ唯一の道は楽器研究しかないと思う。ほかのものでは無理だと思う。そこには同じ数理が働くからです。この橋をつなぐことが、この研究でたぶん一番重要だと思う。この道がつけば、人類はこの道筋から新しい科学を研究する道ができるから。もう限界なんですね、超ひも理論にしても、前頭葉の世界ですからね、全部。どれだけ行っても、電磁場のこねくり回しでしかない。

そうではなくて、内のほうに向かう科学。

そこに向かうのはこれしかないんです。音と形しかありません。

 

―数学的に正しいものは必ずしも物理的に証明できるものではないのですか?

 

全然関係ない。全くありません。

 

―では、数学的に証明できることとは何なのでしょう?

 

数学の世界の中だけで成り立つ真理です。正三角形の内角の和は180度であるっていう命題がありますよね。正三角形をこの世で書けますか?書けないでしょう。だけど、ものすごく汎用的に使える。智慧の体系だから、もちろん物理とか工学には非常に応用が利くわけです。

 

でもね、例えば量子電磁力学っていうのがあるんだけど、数学理論の値と実測値との誤差がどのくらいかというと、数万分の1より小さい。つまり、数学と物理はほぼ一緒と言えるくらい。これはこれですごい。

物理はほぼ数学で書かれているって言ってしまえるくらいの厳密さです。

 

アインシュタインの有名な言葉で「理論があって初めて何を観測されるかが決定される」っていう言葉があります。たとえば重力波がそうですよね。重力波っていうのはアインシュタインの理論から演繹されて、「こういうものがあるだろう」と予言された。数学が無ければ予言出来なかったわけです。理論があって、予言されたものが、100年後にやっと実体として観測されたわけだから。

だから、理論があって初めて何を観測されるかが決定される。実体が先なのか、予言が先なのか。でね、これが面白いことに、物理の事実は必ずその事実が起きる何十年か前に数学が先に予言しているんです。

ここにね、数学の不思議さを見ちゃうんですよね。面白いでしょ?

 

(聞き手:大津 明子)

  

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京都教室での制作風景

 

 

【小野田智之さんに聞く!】物質と精神の橋を渡す 〜音と形、フォノグラムの世界 (2)

昨日に引き続きまして、小野田智之さんに聞く!

インタビュー2日目です。

「響く楽器」の秘密は、どう生きるかに密接するという衝撃。 

どうぞご一読ください!

 

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渦を巻いているヴァイオリンのフォノグラム

 

―フォノグラムの図形を確実に観じとれるようになっていったのは、ヴァイオリンを等音面に削っていく過程においてですか?

 

これが、共同研究者が亡くなってから、確実にわかるようになりました。死ぬ前も一緒に削っていたけど、それまではどこかで頼っているんですよね。頼る人がいなくなって、完成もされていないとすると、自分で何とかするしかない。そうなって初めて出来るようになりました。

 

―共同研究者の方の身体がおかしくなったとき、小野田さんの膝を言い当てたように、自分で自分を治療することはできなかったのですか。

 

そこには、Fさんの大きな間違いがあったと思う。人一人では解決できないの。あの人は山に籠って修行していたようなものなんですよ。だけど、人っていうのは、人と絡む中でしか、自分に無い共鳴に反応することができないようにできている。

 

―自分に無い共鳴?

 

嫌な刺激であろうが何であろうが、人と接する中でしか、人間って救われていかないんだよね。そこが自分とFさんとの決定的な違いで、これは楽器制作にも表れている。

 

Fさんの楽器は、弦を張る前の状態だと「等音面」。だけど、弦張った状況では崩れているんだよね。弦を張って崩れているヴァイオリンは、最終的に弾いたときに崩れているの。鳴らない、響きが弱いの。つまり、外からプレッシャーがかかっている状態では、響くものにすることができなかったということです。でも、弦を抜いたときのそれは完璧。

 

つまり、真実っていうのは人の中にはないの。人と人の間にしかない。人と付き合っている中でしか本当の関係はできない。そこなんですよ。

だから「私」とか「あなた」を問題にしている以上、「真我」ではないんです。

 

すごい知性だったよ、でもそれは気づけなかった。すごい能力もあった、フォノグラムの能力もすごかった。それでもそこには気づけなかった。なぜか。

人との生活、プレッシャーがない状態で済ませてしまったからです。自分の現身(うつしみ)を見ているだけの世界。きれいなところしか見たくないっていう、ちょっとそういうところがありましたね。きれいな水の中で泳いでいてもね。泥の中で泳がなくちゃ。蓮の花にならないと。

 

死後、本当にそれがわかった。それを解決した時に、あぁ自分はFさんを超えたと思いました。冷静に評価するってことは、そこはちゃんと見定めないといけない。でも本当の自立はFさんが亡くなってから、自分で何とかしないといけない、となってからです。

どこまで到達しても、それを捨てないといけないんですよね。どうでもいい、っていうか。それができないと、最後までそれに苦しめられる。

 

でも、これも研究がある程度ちゃんとしてくるから、この話も意味を持つんですよね。そうじゃなかったら、ただの変な話です。そうでしょう?

  

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タッピングトーン(音)を聞きながら制作しているヴァイオリン

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 <明日に続く!お楽しみに!!>

 

 

【小野田智之さんに聞く!】物質と精神の橋を渡す 〜音と形、フォノグラムの世界 (1)

みなさま、こんにちは。

昨日予告していました通り!

 

本日から3日間にわたり、『物質と精神の橋を渡す 〜音と形、フォノグラムの世界』について、その世界の発掘者である、小野田智之さんにお話を伺ったことをご紹介していきます。

まずはフォノグラムとの出会いから。

 

「フォノグラム」という新しい世界の読み解き方がどのようにして生まれたか。

その軌跡の一部を読み取っていただけたら幸いです!

 

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 定期講習会の導入。小野田さんによる解説

 

―フォノグラム(音の図形)のことはいつ頃からわかっていたのですか?小野田さんが数学に出会った経緯も教えてください。

 

自分でもよくわからないんですが、若い頃から直観的にはわかっていました。お祖父ちゃんがアマチュアの画家というのもあって、芸術の教育を受けたのと同時に、屋根裏に行くと岩波文庫がバーッと並んでいたんですよね。デカルトの本とか難しい哲学の本とか。そういう本に、小さいながら憧れていたんですね。それで10代の終わり頃から哲学の本を読みだした。悩みを相談する相手が本の中にしかいなくて、本の中に答えが書いてあったりするわけですよ。それで、あぁそうなのか、と。

ただ、別に学者になりたいとか、そういうつもりで勉強していたわけではないです。それがだんだんと、大学生になって、数学の先生に会って、あぁ、数学の研究がしたいなと思った。

 

―大学生になるまで数学をやりたいと思ったことはなかったのですか?

 

全くありません。どちらかというと、人間の意識に関心があって人工知能の研究をしていたんですよね。そのときに、数学のある問題に行き当たって、数学の先生で面白い人がいる、って友達に紹介してもらったんです。そして、数学の問題を解かせてもらったらすごく面白くて、その場でパパっと解いちゃった。そしたら向こうも能力を認めてくれて、そこからマンツーマンの指導が始まりました。

 

―それは大学の何年生くらいのときですか?

 

2年生くらいかな。そのときは、何になる気もなかった。何の野心もない。本当はラグビーをやって実業団に入って、30歳位までやって、そのまま会社員やろうと思っていました。だけど、怪我をしてしまったから、それが叶わなくなったんですよね。

 

―今は亡き共同研究者の方と小野田さんのことを教えてください。

 

自分が25歳の時に52歳だったから、父親のような関係です。そのとき、自分はまだ学生で、郵便局が民営化されていなかった時代、郵便局のバイトは深夜だと人が余っているような状態で、バイトしながらずっと勉強ができた。そのとき、休み時間に自分はファインマンの物理学の本を読んでいて、それもあってその人が向こうから声をかけてきてくれて、それから休み時間にその人と一緒に話をしながら研究することができました。でも、はじめて会った時はリストラされたサラリーマンかと思いました。だって、変な図形取っている変なおじさんだし、郵便局のバイトでは生計は立てられないですから。

 

―その方は大学や何かに所属していたわけではなく、自分で研究をしていたのですか?

 

そうそう、ほとんど世捨て人のようでした。同時に、ほんとうに音楽家。ヴァイオリニストでありヴァイオリン制作者。自分は音楽とヴァイオリンの制作をその人から習いました。

 

その人に出会ったのはまだ学生の時で、スポーツで怪我したばかりで、もう人生終わったなと思っていた時。いきなりその人が「君、膝から下動いてないよ」って。誰にもそんなこと言ったことないですよ。本当にびっくりした。今の自分のように(フォノグラムを観ることで)膝を見て、言い当てたんですよね。

それで、それを言い当てられた事と、怪我した後で、命をぶつけられるような何かをしないと、これはもう浮かばれないと思っていた。そういう時にそのFさんと出会って、ああこれが俺の研究するテーマだ、ってわかった。

 

―共同研究者のFさんと数学の先生と、ふたりの先生がいる状態があったのですね。

 

そうそう、面白くて数学の先生とFさんは会っていないんですよね。

Fさんはすごい人だった。会った時、こんな知性は見たことないっていう感じでした。宗教とか芸術とか文化とか、いわゆる理数系以外は全部Fさんから学びました。そして、それを数学的に解明できるかを自分がやることを後押ししてくれたのが、数学の先生です。

 

―フォノグラムを科学的に証明しようとしたのは、大学を出てからですか?

 

大学時代からです。その研究に出会ったから、大学を辞めなければならないって思った。いわゆる「売れる研究」っていうのがあるわけですよ。それから「やっちゃいけない研究」もある。やっちゃいけない方だったから、言える訳がないの。だから一人でやるしかない。それに、やったところで何になるわけでもないんですよ。でもそれが重要だと思ってやっていた「何か」はあったわけで、それには価値があるって数学の先生も言ってくれたから。その後押しがなければできなかったと思います。研究を押す、というか、自分を押してくれた。だって、大学を辞めるって言ったら、辞めた日に「じゃあ、科学の国際会議でも行こうか」って先生は言うんだよ。何の手柄もない学生なのに。ただ「やる」っていう気持ちだけなのに推挙してくれた。周りは日本の代表ばかりで、「誰だ?」ってクレームは来るよね。そしたら、「この子が行かないんだったら僕もいかない」って、学会にもゴリ押しで入れてくれたりしたんです。ですから、数学の先生とはいい思い出しかありません。

 

大学を卒業してからもずっと研究していたんですけど、一般的なところに属している訳でもないし、ただ自分の信念というか、直感に基づいてやっているだけだから、さすがにどうにもならんな、ってところにくるわけですよ。

Fさんが他界して、もうこの研究やめようかなって思っていました。その頃はまだ何の実証もできてないから、無しにすれば自分も自由になれたから。それがちょうど33歳とかそのくらいかな。

それまではFさんと二人でやっていたから、なんとか気持ちも保てていたけど、いよいよ話し相手もいないし、これからどうなっちゃうのかな、と思いながらやっていたわけです。

 

でも、ここで止めると一生Fさんとのケリが付かないな、と。それで、解決して先に進むっていうことを決めて、やっぱり良かったなと思う。だって、そのまま止めていたら、Fさんは浮かばれないし、自分も浮かばれない。でも、今こうやって皆さんがフォノグラムのことを知り出した。だから、死んだ人も、残された方が頑張れば、救われるんだよ。昔はふとしたときに思い出すと苦しくなっていたんですよね。こういう話も出来なかった。こういう話が出来るようになって、成仏してくれたのを感じる。Fさんが頑張ったことは死後もちゃんとそれを受け継げば、お返しすることができる。だから、やってよかったなと思います。

 

 <明日に続く!お楽しみに。>

 

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ヴァイオリンのフォノグラム図形

 

【舎長おーちゃんが行く!②】音と形と発掘者、これからご紹介していきたいこと。

みなさん、こんにちは!

舎長のおおつです!!

 

私は先日、都内のはずれのある場所で、

ただひたすら板を削る不思議な人たちの集う場に行ってきました。

ただ黙々と、長時間、削る。おしゃべりに興じる人も特にありません。

何かを感じているようでもあるし、何かを聴いているようでもある。

 

一体、何をやっているのでしょうか?

 

これは、これから新しくご紹介していきたい大事な研究が辿って来た道筋を、

そっくりそのまま追体験するために設けられた場所です。

 

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かくいう私も、これから削るための大きなまな板とのこぎりをぶら下げて会場に向かったわけです。

まさか人生で板を削る日が来るとは思ってもみませんでした...(そんなことばっかりです)。

 

そして!!

これから不定期で、舎長突撃取材レポート(?)を通して、

その様子をご紹介していきたいと思っております!

題して、音を観るということ~「フォノグラム」を体験し始めるひとびと。予定!

 

これら一連の出来事との最初の関わりは、小野田智之さんの主宰する「もじもじ考」に参加したことから始まりました。

 

どこの何とも異なるそこでのお話と「もじもじ考」がとても面白かったのに加え

うまく言えないのですが、背後に膨大な量の何かがある....

そんな予感とともに、私の中で疑問と興味と期待が膨らみました。

 

私たちは共鳴しあいながら日々を生きています。

自分の共鳴と人との共鳴。

それらがうまく響かなくなるときに不調、不協が生じる。

 

「もじもじ考」は自分の身体を、もともとのあるべき響きに戻してくれる、

そんな感じがしました。

自分がもとの素直な体に戻ってはじめて、他と共に響き合うことができる。

そんな風にも思いました。

 

同時に、今まで感覚的に捉えていた諸々の事を科学的に掬い上げてくれるような「もじもじ考」のレクチャーなどにも、

信頼できるという絶対的な安心感のようなものを覚えました。

その感覚は小野田さんの研究の内容を知るにつれて、確信にかわりました。

 

でも、「もじもじ考」は身体へのアプローチ。

そして、今私がご紹介しようとしているのは「板を削ること」。

 

このふたつが同じところで語られることに「なんで?」と思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

そんな鋭いみなさまに贈る、、、インタビューを用意しました!

 

主宰者であり、フォノグラム(音の図形)の発掘者、研究者である、おにょさんこと、小野田智之さんの辿ってこられた道筋や一体どんな研究なのか? について。

 

....少しご紹介するつもりが、あまりにも伺ったお話の内容が濃く、面白く、また大切なものであったため、全部書き起こしましたので、、、

明日から3日間にわたってお届けしていきたいと思います! 

 

小野田さんのブログには、こんなことが書かれていました。

 

私は、数学、音楽、東洋医学、物理学、宗教の中身などを「共鳴板を音を聞いて削る」という過程の中で全て学ぶことが出来ました。

フォノグラム研究は、すべての学問のルーツの研究であり人間そのものの研究であると言っても言い過ぎではないと思っています。

そして、いまだ、現代科学では明らかにされていない領域の研究でありフォノグラム研究は、その健全な橋渡しのための研究でもあります。

 

(健全な橋渡しというのは)現代科学とも矛盾しないという意味です。また、いまだリンクが見つかっていない精神と物質の橋渡しという意味でもあります。

 

「共鳴板を音を聞いて削る」とは、一体どんなことなのでしょうか。

 

ヨーガやインド哲学も含め、あらゆるジャンルの底に流れるものについて。

ぜひとも読んでいただきたいです。

 

どうぞお楽しみに。

 

小野田さんブログ:裏フォノグラム (音の図形2)→おにょ日記

オニョロジーHP:http://tomoyukionoda.com/

 

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