蓮華舎のブログ。

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三部作刊行を終えて 蓮華舎長・編集後記より

  蓮華舎 新刊『目覚めの力』三部作刊行を終えて~編集後記~】

☆『恩寵の力』『母の力』『目覚めの力』の三部作を無事刊行し終えて、蓮華舎・舎長の編集後記(『目覚めの力』より転載)を掲載いたします!

三部作の全体像が見えやすくなる(かも)しれません。どうぞ、ご一読ください。

 

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この度、本作『目覚めの力』の刊行を以て、岩城和平先生の三部作が完成することになりました。

一冊ではとてもまとめきれない、というところから、自然な流れで連作となり、それぞれが独自のカラーを持つ三部作となりました。2020年を境に世界は大きく変化し、その時代の波を受けながらも、それに呼応するようにこの三部作をお届けできたことに、まずは安堵と、そして小さいながらも強い希望を感じています。

 

『恩寵の力』では、和平先生の半生の自伝を含め、二十年以上にわたり根本的に何一つ変化することのない教えの内容を、はじめてパブリックにご紹介しました。

それは、インド哲学においてもよく言われるような単語を使いながらも、和平先生の経験から編み出された独特の言い回しを以て、人生の・世界の・宇宙の・そして、それを超えるものの観方を提示するものであり、人によっては、それだけで目の覚めるような思いをされた方もいるだろうと思います。

根本的には変化がないとはいえ、年を経るごとに教えの内容は常にアップデートされており、時代に即して、また伝える相手によって変化している部分があります。仏教用語では対機説法と言うのかもしれませんが、「講話と問答部分」では、それを含めて会話の機微や臨場感、そしてそこに込められる言外の「恩寵の力」を感じ取ってもらえたものと思います。

 

続く『母の力』では、今までどこにも明かされたことのなかった、全てを生み出す大本の力である、根源的な「母」とは何か、にフォーカスがなされ、一般に「悟後の修行」とも言われるものへの詳述がなされています。

晴れ渡った空のような、人の意識の本来的な姿を覆い隠すものの正体である「マーヤ」、そして、人の情動に働きかけては、時に人を行動に駆り立て、欲望に走らせ、結果として物事を展開させる力を持つ「魔」、そして、それらを生み出した「母」はまた、私たち自身を創造した力でもあるのです。それらに対する詳述は、直接「母」を感得し、そこから得られた叡智を血肉化した人からでなければ語り得ない、感嘆するような壮大な「仕組み」に対する理解を読者に提示するものとなりました。

 

私事にはなりますが、『母の力』を制作する過程で、私のお腹の中に小さな命がやってきたことで、毎日その「母の力」に翻弄されながら編集を続けるという稀有な体験をしました。それは、「すべては一つ」、「ワンネス」などとよく言われるような、ふわっとした理解を粉砕するかのように、「あなたとは別の個体です!」とお腹の中からしっかりと主張し、その期間は自分の中に別の意識があることで、マーヤの抗いがたい大きなマントの中にすっぽりと入ったようでした。絶対的な意識が覆い隠されて(本書に即して言えば、「神がなくなってしまい」)、まさに「マハーマーヤ」という呼び名高い、「母」の作用を強く感じる体験となりました。

その後、無事に『母の力』は刊行され、お腹の中にいた命も外に出てきました。その子が力いっぱい泣いた後、ようやくすやすやと眠りについたある晩、それを眺めている自分に、大きくて強い作用のある愛が、まさに内側から溢れ出てくる経験をしました。そしてそれが、根源の「母」から来ていること、そして、「母」はそれを、この世界の全てのものに、ひとつの例外なく注ぎ続けているという理解を和平先生から与えて頂いたことで、その体験が私の中に意味を持って息づき、慣れない育児に消耗していた心身が、蘇るような生きた理解となりました。

 

人によっては、この作品で翻弄されたように感じられる方もいらっしゃるかもしれません。それほどに、強く作用するエネルギーを持った本になりました。

そして、そのエネルギーの渦を鎮めるかのように、ある意味で「父の力」を纏いながら、前作刊行から1年以上かかりましたが『目覚めの力』がここに無事に刊行されました。

本作は、読者に「母」「父」への理解を喚起しながらも、二元性を超えるものの観方へと一気に誘うものです。

 

本作ではタイトルからわかる通り、自己探求をする人にとっての目指すべきゴールである、目覚めの最終形態である悟り、そして死にフォーカスがなされています。

 

「母」の力によって生みだされたものは、確実に死を迎えます。誰もが皆、いずれかのタイミングで、親しい人を死によってなくし、自身もまた死を免れることはできません。それが三次元世界の掟でありますが、その背後には、生まれることもなければ、死ぬこともない、絶対的な存在があります。その見ることも聞くこともできないものが確かに「在る」ということが、私たちに、死を乗り越える力と、現実世界に溺れずに現実世界を生き抜く智慧を与えてくれるのだ、と本書は繰り返し教えてくれます。

 

本来、悟りや神といったものは、言葉で表すことができないものです。しかし、宇宙が始まる前からのことわりを、和平先生の卓越した言語化能力でもって顕わしめてしまった、というのが今回の『目覚めの力』です。

そこには、言葉を使いながらも、言葉を超えて、私たちの魂に直接作用してくる、「目覚めさせる力」が、溢れんばかりに乗せられているのです。

 

本作の中には、こんな一説があります。

 

「悟りが在るのではない、神が在るのだ」

 

このテーマの幾多の本が世に出されているとはいえ、そんなことを言っている人にも、本にも、私は今まで出会ったことがありません。

「絶対」が在る、ということを、観念ではなく、全身全霊でわかっている人から発せられる言葉には、必然的に、人を強くインスパイアする力があります。それはとても透徹した言葉です。

同時に、前二作にも共通する、人生を全肯定させてくれる、言いようのないあたたかなエネルギーに満ちた教えが、根底にいつも流れているのです。

それこそが、和平先生という人であり、この本を大事に仕上げて、皆さんにお届けしようという原動力を与えてくれるものでもありました。

 

「絶対」がある、「答え」がある、ということが、どれだけ人を救うものであるのかは、この不安定で一寸先がどうなるかわからない社会的な状況にあって、より明確になるものだろうと思います。

そして、「みこころ」と共に生きることによって、私たちは唯一無二の自分の人生から学び、自分の中にたくさんの視点を培い、自他を大事にすることができるようになります。それを、修道と呼ぶのだと思います。

 

最後になりましたが、本書は刊行のためのファンディングを行いました。呼びかけてすぐに十分なご支援をいただき、皆さまからの応援を一心に受けながら、刊行を成し遂げることができました。誠に、ありがとうございました。

また、三部作を通して、美しく力のある装丁で本に輝きを付加して頂いた装丁家の芦澤泰偉さんにも、この場を借りて、心より感謝申し上げます。

 

ただただ、向かうべきものはシンプルなものであるという理解を読者の皆さんと共有し、和平先生の放つ、温かく肯定的なエネルギーで満ちた三部作が広く行き亘って、雲の隙間から太陽が顔を出すように、私たちの内から少しずつ晴れ間が広がっていくことを願っています。

本書を手に取って頂き、ありがとうございました。

 

蓮華舎 大津明子