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子育てなんかできない! 第3稿 ゆっきぃ

子育てなんかできない! 第3稿  ゆっきぃ

《私は妊娠出産育児?で『あきらめる』のパワフルさを知りました。②》

 

お久しぶりです。ゆっきぃです。

前回の投稿からもう一ヶ月もたってしまったんですね。早いなぁ。

今、世の中が大きく動いておりますね。

みなさまは元気でお過ごしでしょうか?

私たち家族は家でのほほんと過ごしております。

不安や焦り、恐怖に巻き込まれそうになっている方がもしいらっしゃったら、今だけでもこのお話しを読んで『自分』に戻ってみて下さい。

もしよかったらお付き合いくださいね。

 

さて、前回の続きです。

まだ読んでない方がいらっしゃったらまずはこちらをご一読ください。↓↓↓

子育てなんかできない! ゆっきぃ 第二稿 - 蓮華舎のブログ。

 

最愛の旦那さまの言葉を聞き、『あきらめる』とはどういうことだろう?と少し首を傾げながら考え始めた私ですが、それはなかなかに難しいことでした。

やっぱり娘を帝王切開で産んだことがひっかかっていたし、それのせいで母乳も思うように出ないのではないかと何度も何度も考えました。

出産は仕方がなかったかもしれないけど、だったら母乳育児だけはなんとしても!と半ば意地になっていた私は桶谷式のおっぱいマッサージに何度も通い、指導を仰ぎましたが行くたびに食事内容について怒られる始末。

「ご飯は一日最低3合は食べなきゃ!大きなおにぎりを朝何個も作っておくのよ!そしたらいつでもたべられるでしょ?ゆっきぃさんは量が少なすぎる!もっとご飯を食べなさーい!」

って、言われたってねぇ。そんなに食えんのですよ。でも無理やり大量のご飯を食べてる私は一体何がしたいのかわからなくなりました。

そして夜中の授乳は母乳にとってとても重要だと言われ、がっつり寝ている娘におっぱいを必ず咥えさせてくれと言われたのです。

母乳育児に意地になっている私は熟睡している娘に泣く泣くおっぱいを咥えさせたのですが…

 

結果、娘大号泣。

そりゃそうだよね。笑

 

「そんなに食べたくもないご飯を食べるの辛くない?」

「ぐっすり寝てる時に飲みたくもないおっぱい飲ませられるのって普通いやだよなぁ…俺だったら嫌だなぁ…」

「母乳じゃなくてミルクでもいいんじゃない?だってさ、今娘ちゃんは元気だしご機嫌だよ。

娘ちゃんもゆっきぃもご機嫌のほうがいいよ。俺よくわかんないけどさ。」

 

旦那さんのその言葉にすこーし反発を覚えながらも「そ、そうですよね!私、楽していいんですよね!!」と目が覚める私。

それから私は一体何でこんなに『自然分娩』や『母乳育児』に固執しているんだろう?と改めて考えました。

そうすると、とても面白いことがわかってきたのです。

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夜中におっぱいをむりやり咥えさせられていた娘(8歳。)が書いた「どんだけぇー!!」 あの時はすいませんでした。

 

私の母親は私を含め、3人を帝王切開で出産しました。

一番上の姉がお腹にいる時に逆子が治らなかったからです。

兄を出産するときは自然分娩にチャレンジするも、子宮口が開き切らず、泣く泣く帝王切開になりました。(私と同じ。)

で、必然的に私を産むときも帝王切開出産。

そんな出産を経験した母の口癖があります。

 

「お母さんは3人とも下から産むことができなかったから女として欠陥品なのよぉ。あんたたちをちゃんと産んであげられなかったのよねぇ。ごめんねぇ。」

 

私は小さいころからこの口癖を何度も聞いてきました。

もちろん母に悪気はありません。

母も口惜しかったのでしょう。

“いつの間にか”私はこの母の言葉を自分の中に持ち続けていたのでした。

無意識に。

そして「私が自然分娩をしてお母さんを安心させてあげなくちゃ。」という気持ちが湧いてきていたのです。

もし私が帝王切開で出産してしまったら母が悲しむだろうし、「お母さんのせいで…」とか言われちゃうだろう。と。(姉も帝王切開で出産していたものですから尚更です。)

それに加え、私は私を「女として欠落している存在だ」とずっと思っていて、とても自信がなかったのです。

出産と育児でそれを覆してやる!そうじゃないことを証明してやる!と“いつの間にか”思っていた私。

“いつの間にか”って怖いです。

自覚するまで無自覚ですからね。(当たり前か)

私は出産と母乳育児が思うようにいかなかったことで無自覚だったことを自覚することができました。

私は私がそんなことを思っていたことに気付き、「あはは」と笑いました。

出産方法や育児方法と『女として欠落している』とは全く関係ないじゃん!!

ましてや母親の人生と私の人生は全く違うものじゃん!!

そんなとてつもなく当たり前のことに「あはは」と笑いながら気付いたのです。

私はやっとあっけらかんと「まぁ帝王切開だったけど別にいいじゃん」「まぁ母乳とミルクの混合育児でも別にいいじゃん」と思えたのです。

「あはは」と笑えたその時、もしかしてこれが『あきらめる』なのかもしれないと“ほんのり”思えました。

それからの私は毎日らくーに楽しく可愛い娘ちゃんと愛しい旦那さんとますます「わはは」と笑いながら過ごしていたのですが…

 

私が『あきらめる』を知るのにはこんな生ぬるい出来事ではだめだったのでしょう。

なにせ『あきらめの悪い女』ですから。

 

その後、私にさらなる『あきらめる』を体感させるようなとても大きな出来事が起こります。

その出来事は突然やってきました。

 

娘が2歳になった時、私は旦那さんに「もう一人子供が欲しい」と言いました。

娘が弟か妹と一緒に遊んでる姿が見たかったからです。

私は『子どもが2人の4人家族』を夢見ました。これはきっとよくある普通のことですよね。

一度流産を経験したのち、私は無事に妊娠をしました。

(流産もけっこう悲しかったですよ。びっくりしたし。)

とても嬉しかったし、これで夢見た通りの家族がつくれる!と歓喜しました。

つわりは相変わらず辛く苦しかったけれど、そんなものだと思っていました。

十月十日後には元気な赤ちゃんが生まれてくるんだから今は仕方がない、と。

 

が。

 

妊娠31週の検診の時、担当の先生がこんなことを言いました。

 

「んー…ちょっと頭が大きいなぁ…」

 

エコーを診る時間がやたら長い。

ずっと診続けている。

 

「ちょっともう一人の先生に診てもらいますね。」

担当の先生はいつもなら呼ばないもう一人の先生を呼びました。

その時、2人の先生の会話からこんな声が漏れ聞こえてきたのです。

 

「んー…18…の可能性は…」

 

私は聞き逃しませんでした。

18という数字を。

すぐに私の脳裏に『18トリソミー』という言葉が浮かびました。

 

私の楽しい2人目妊婦生活はここからガラリと変わります。

 

さて、そのお話しはまた次回。

ここから何が起きるのか?!

よかったら次回も読んでくださいね。

ではまた!