《私は妊娠出産育児?で『あきらめる』のパワフルさを知りました。①》
お久しぶりです。ゆっきぃです!
毎日くだらないことでケラケラと笑って過ごしている44歳既婚娘一人の私ですが、こうなるまでにはいろんな道程がありました。
蓮華舎さんでの連載のスタートとして何を書こうかいろいろ悩んだのですが、今の私に成るまでに必要不可欠だった出来事と気付きについて書いていきたいと思います。
これが役に立つかどうかはわかりませんが、これはどうしても書きたい!と思ったことなのでよかったらお付き合いくださいね。
私には現在8歳になる1人娘がいます。めちゃくそ可愛いです。
こんな存在が地球上にいるなんて!!!と毎日驚愕するほど可愛くてたまらない。
でも、そう“心から”“条件なしに”思えるようになれたのは妊娠出産育児(?)で体験した『あきらめる』があったからだと感じています。
これから何回かに渡って『あきらめる』をテーマに綴っていきます。
『あきらめる』がわかるととってもパワフルで幸福なんですよ!
信じられます?!
今日は私の出産のお話しから。
私は娘を産むとき『水中出産』を希望していました。
あんなに気持ちよさそうなことないじゃん!なんて思っていましてね。
なので両親や姉兄の反対&心配をよそに、水中出産ができる助産院で出産することを決めていました。
「夫婦2人でプールみたいなお風呂に入ってさ、そんでさ、後ろからハグしてもらってさ、そんでさ、スルン!って産むんだよぉぉーー!!めっちゃ楽しそうじゃない?!」
こんな風にあっけらかんと。
ですが結果は素晴らしく見事に私を裏切ります。
私の出産の始まりは破水からでした。
(*『破水』とは胎児を包んでいる膜が破れ、中の羊水がでてきてしまうことです。普通は陣痛が始まってから破水をして胎児が出てきます。)
破水から始まってしまうと感染症の心配から水中出産はできません。
あんなに楽しみにしていた出産をいきなり絶望が襲います。(大げさに聞こえます?)
それでも助産院で自然分娩ができるならいい!
水中出産ができなくても通院していた助産院で出産ができるならいい!と気持ちを立て直す私。
が、私の出産はことごとく私の希望を裏切ります。
破水をした後すぐに陣痛がやってくるはずなのに、待てど暮らせど陣痛がやってきません。
シーンとしている私のお腹。
「え?もっと痛くなるはずだよね?」
「あれ?破水したらすぐにどんどん痛くなるはずなんじゃないの?」
時間の経過と共に、私の焦りはどんどん増していく。
なぜなら破水をしてから48時間以内に陣痛がやってこなければ緊急帝王切開になってしまうから。
「やだよぉ~。あんなに頑張ってたのに帝王切開になっちゃうの嫌だよぉ~。」と泣きながら股に分厚いパッドを挟んで神社の階段の上り下りを何往復もする私。
(階段の上り下りをすると陣痛が促進されると言われたんですよ。)
それを見守る最愛の旦那さま。
時間はどんどん過ぎていく。
今日の日まで自然分娩ができるように毎日3時間くらい歩いたり、食べ物にもそれなりに気を使ったり、きっついツワリにも耐えたり…
私、頑張ってきたのに!!!
私の希望が叶わないなんてそんなはずないっ!!!
そんな思いに押しつぶされそうでした。
結局私の出産は
水中出産もしくは自然分娩で「うふふ♡幸せ出産♡」を希望、理想としていたのに、
“助産院から嘱託医に行くことになる→陣痛促進剤を投与されバルーンを挿入される→促進剤での「いっそ殺してくれ!!!」というほどの陣痛を8時間ほど堪える→挙句の果てにタイムリミットが来て「はい!帝王切開手術ねーー」と言われる”
というものになりました。
自然分娩とは真逆の出産。
薬で陣痛を促進した上、結局手術。
私、かなりのショックで号泣。
泣きながら帝王切開手術の準備をされる私に看護士さんがこんなことを言ったのを覚えています。
「辛いよねぇ。頑張ったのにねぇ。でもね、お母さんも赤ちゃんも元気で無事なのが一番大切だからね。」
「帝王切開が始まったら10分くらいで赤ちゃんに会えるから。ね。」
「このまま心拍が下がっちゃう方が心配でしょ?元気に産んであげよう。」
そして陣痛促進剤でのきっつい陣痛に堪えていた姿を見ていた母親が、私の手を握ってこう言いました。
「辛いよねぇ。あんなに頑張ったのにねぇ。でもあんたと赤ちゃんが無事ならいいのよ。頑張んなさい。ね?頑張れ!」
そんな思いやりのある優しい言葉をかけてもらったのにも関わらず、帝王切開で産むことに決まった時、私は悔しくて悔しくて悲しくて悲しくて仕方がなかった。
あの時はお腹の赤ちゃんが無事かどうかよりも、私の希望が叶わないなんて!!という絶望と、私の思い描いていた『理想の姿』を体現できないなんて!!という憤りでいっぱいだった気がします。
なんてひどい母親でしょう。
私が娘を出産した病院はとても素敵な病院で、帝王切開手術での出産に旦那さんが立ち会うことができました。
少し離れた場所で椅子に座って私の手術での出産を落ち着いてみている旦那さん。
娘は私と旦那さんが見守る中、無事にお腹からガバッと出てきました。
「おぎゃー!」という元気な声と共に。
その血まみれの紫色をした人間型の物体を見て、私たち二人はこんなことを同時に思ったんだよね。
「わ!ほんとに人間が入ってたんだ!!」
「わ!めっちゃ可愛い!!」
てね。
私は希望していた水中出産ができませんでした。
私は渇望していた自然分娩ができませんでした。
希望と理想にむかって頑張ったのに。
勉強もたくさんしたのに。
生まれた娘はとにかく可愛くて仕方がないのに、出産してしばらくは悲しくて悔しかった。
その後、私はすぐに母乳問題でまたもや理想とはかけ離れた事実を突きつけられて泣いたり悩んだりします。(なかなか母乳がでなかったのです)
出産が望み通りにいかなかったことに加えて母乳問題まで。
母乳がなかなか出ないことが辛くて泣きながらおっぱいを咥えさせ、「足りない!」と泣く娘に泣きながら哺乳瓶でミルクをあげる。
ミルクをごくごく飲む娘を見て泣けて泣けて仕方がなかった。
私のおっぱいではなく、粉ミルクをごくごく飲む姿が嫌で仕方がなかったのです。
そしてお腹がいっぱいになるとすぐに寝てしまう娘。
まったく手がかからないめちゃくちゃいい子でめちゃくちゃ可愛いのに、ただただ私の理想と違うことが許せなかった。
そんな私の話しをいつも聞いてくれる旦那さんがある日こんなことを言いました。
「この子はゆっきぃに『あきらめる』を教えてくれてるんだねぇ。」
私は旦那さんのこの言葉を聞いた時「なぬっ?!!」とほんの少しの反発を覚えました。
『あきらめる』ってなに?
どういうこと?
あきらめきれないよ。
何をどうやってあきらめるっていうの?
あきらめちゃったら終わりでしょ?
そんなことを感じている反面、どこかでそうなんだろうなぁと思っている私。
私はそれから『あきらめる』とはどういうことだろう?と考えるようになりました。
私はどうして『あきらめられない!』なんて思っているのだろう?と。
私はどうしようもなく『あきらめの悪い女』なのでしょう。
この後、ますます私に『あきらめる』を教えてくれる体験が待っていました。
その話しはまた次回。
最後まで読んでくれてありがとうございます!
よかったら次回も読んでくださいね。
ではまた。