蓮華舎のブログ。

出版社 蓮華舎のブログです。新刊のこと、著者のお話、寄稿、取材記、舎長の日誌など。

子育てなんかできない! 第6稿 ゆっきぃ

《私は妊娠出産育児?で『あきらめる』のパワフルさを知りました。⑤

みなさんこんにちは!

お元気ですか?ゆっきぃです。

 

蓮華舎さんでのこの連載の原稿を書くたびに「もう1ヶ月?!早っ!!」と毎回同じ反応をしていることに笑ってしまいます。

みなさんのこの1ヶ月はいかがでしたか?

世間では毎日たくさんのニュースが流れています。

私の内側にもさまざまなニュースが流れ、そして消えていきます。

あなたの内側には今どんなニュースが流れていますか?

過去にはどんなニュースが流れたのでしょうか?

かつて私の中に流れたニュースを今一度取り出して、みなさんにお見せしますね。

『あきらめる』を知ることになったニュースを。

よかったら今回もお付き合い頂ければうれしいです。

この『あきらめる』シリーズをまだ読んでいらっしゃらない方はこちらからぜひどうぞ。↓↓↓

 

 

天太さんがNICUを出て、わが家に迎え入れてからのしばらく日々は私の記憶の中ではとても辛く苦しいもののままです。

今思い返してみれば、それはそれはすごいプレッシャーの中で生活していたのがわかります。

(当時はわからなかったんですが。)

一日中ずっと気にしていなければならないのはどんなに健常の赤ちゃんでも同じだろうと思うのですが、成長する可能性が極めて低く、そしていつ死んでしまうかわからない子の毎日のお世話は思っている以上に辛いものでした。

 

未来がみえない。

(いつだって未来はみえないのですが…。)

私はいつまでこの生活に縛られるのだろうか。

朝から晩まで、24時間ずっとこの子を気にしながら生活している毎日。

気軽に出かけることもできない。

外に出ればそれだけ感染症のリスクが高まるし、なによりミルクの注入はどこでどうやればいいのか。

 

目の前の天太はいつだって可愛くて、そして不器用ながら笑う事ができるようになったりしている。

3歳になった娘は3歳なりにこの小さな弟を可愛がっている。

抱きしめるとふにゃふにゃで温かい。

キスをするといつものびっくりしたような顔で私を見返す。

 

そんな天太は、いつの間にかこんなに「辛い辛い」と思っている私を目で追うようになっていました。

 

天太はとてつもなく可愛い。

でも毎日が辛い。

寝不足で、自由がなくて、いつだって何かを心配して、気にして…

 

いつ死んじゃうかわからないってことは、いつまでもこの生活が続いていく可能性があるってことじゃん!

で?

あと何年?

あとどれくらいこれが続くの?

私はずっとこの子のお世話をし続けて、この子とともに老いていくの?

健常な姿がみられるわけじゃないのに?

どんなに一生懸命お世話したって話すことも歩くことも自分でご飯を食べられるようにもならないのに?

ずっとオムツをつけた状態のままなのに?

いつ死んじゃうの?

それはいつ?

これ以上お世話し続けたら、私はこの子が死んじゃった時どうなってしまうと思う?

 

毎日『今』『やること』に集中しようと思って過ごそうとしていた私ですが、それでもすぐにそんな思考に持っていかれる日々。

私はそんな自分が嫌で嫌で仕方がありませんでした。

 

 

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亮一さんの髪を切る時間は至福の時間です。裏庭にて青空理髪店開店。

 

「私さ…天太のことめちゃくちゃ可愛いと思っているのにその反面『早く私を解放してくれ!』『どう死んじゃうんなら早く死んでくれ!!』とか思っちゃうんだよね…。もう母親としてこれは失格だと思うしほんと最低な母親だって思うんだよ…。」

 

ある日私は亮一さんに泣きながらこんなことを言いました。

我が子に対して「どうせ死んじゃうんなら早く死んでくれ。」と思ってしまうことの辛さ。

「早く私を解放してくれ!」とまるで被害者のように感じている悲しみ。

そう思ってしまう自分が嫌で仕方がない事実。

 

天太が生まれてから私はたくさん泣きましたが、この話をしている時が一番泣いたように思います。

私のこの話を聞いた亮一さんは少し黙って何かを考えたあと、優しく静かにこんな言葉を口にしました。

 

「あのさ…ゆっきぃは天太のことを可愛いと思っているんでしょ?愛してるんでしょ?それは見ていて伝わってくるよ。ゆっきぃは一生懸命やってるもん。

俺にはそんなことできないよ。」

 

私はこの言葉をますます涙を流しながら聞きました。

そして「うん…」と小さく呟きました。

亮一さんは続けます。

 

「それでさ、その反面『早くこの生活から私を解放してくれ!』と思っちゃうんでしょ?『どうせ死ぬなら早く死んでくれ!』とも思っちゃうんでしょ?」

 

私は胸がギュッと苦しくなるような感覚になりながら、その亮一さんの言葉に「うん…。そうなの…。」と答えました。

その後亮一さんはとても軽くこんなことを言いました。

 

「それでいいじゃん。」

 

私は亮一さんのその言葉を聞いた時、びっくりして目を見開きました。

 

「それでいいの?」

 

驚いている私に向かって亮一さんは話します。

 

「だってさ、天太を愛しくて可愛いと思ってるのも事実でしょ?でも『早く解放してくれ』と思ってるのも事実なんでしょ?

どっちも事実であって、そのどっちもがゆっきぃの中に同居したっていいじゃん。」

「母親だと辛い事を辛いと思っちゃダメなの?この状況でそう思わないなんて無理なんじゃないかと思うよ。俺だったら『もうやだー!』ってすぐに思うよ。当たり前じゃん。辛いんだから辛いって思って何が悪いの?」

 

『天太を可愛くて愛しいと心から思っている』気持ちと『早く私をこの生活から解放してほしいと思っている』気持ち。

このどちらも私の中に湧いている感情。

それが同居したっていいじゃん。

辛いんだから辛いって思ったっていいじゃん。

早くこの辛さがなくなって欲しいって思ったっていいじゃん。

それの何が悪くて何がダメなの?

 

亮一さんは私にさらりとそんなことを言いました。

そこには『母親のくせに』や『母親なんだから』や『母親として当たり前だろ』という想いが皆無でした。

あくまでも『ゆっきぃという存在』に対してのまっすぐな視点からの言葉でした。

 

私はこの亮一さんからの言葉を一生忘れません。

これで気付けたことがたくさんあるからです。

 

さて。

私はこの亮一さんとのやり取り後、ガラリと何かが変わりました。

日々の生活が変わったわけではないのに、私の中の何かが大きく変わったのです。

 

 

次回はやっと『あきらめる』について詳しく書いていけそうです。

ここまで読んでくださった方々、ほんとにありがとうございます!

よく途中で止めませんでしたね。笑

よかったら次回もお付き合いくださいね。

ではまた次回。

それまでどうかお元気で。

 

山田麻子 今月のひと筆。2020年 7月

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©Asako Yamada

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流されていってしまうのではなく

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オン・メディテーション by Sri M ④ ー恩寵は既にそこにあります。

『ヒマラヤの師と共に』のSriMの最新作『On Meditation-オン・メディテーション』。ご紹介、第4弾です。

 

 

 聞きなれない言葉かもしれません。

常に私たちが共にある「恩寵」とは何でしょうか....

 

今後、シュリー・エムの講話のアップもしていきたいと思います。どうぞお楽しみに!

 

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On Meditation 第9章「 瞑想における師匠と恩寵の役割 」より抜粋

 

Q:魂の成長における目標に達するために必要なのは時間ですか? 努力ですか? 恩寵ですか? 

 

M:三つの全てが必要です。努力と時間、恩寵のどれもが重要です。

 

 なぜかを説明しましょう。まず、いくばくかの恩寵がなければ、そもそも魂の成長のために努力をすること自体が不可能です。もし誰かが既に実践を積んでいるとしたら、これは疑う余地なく恩寵のおかげなのです。恩寵は既にそこにあります。恩寵がなければ、魂の成長を求める方向へ向かうことすらできません。

 

.....

 

恩寵は常にそこにあるものの、いつ風が吹くのかは私たちには決められません。しかし、私たちの扉と窓が閉まっていては、風が吹いても中に入ってくることができません。ですので、謙虚な態度で扉と窓を開けるための全力の努力をして、風が吹いたときにお迎えできるようにしましょう。

 

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子育てなんかできない! 第5稿 ゆっきぃ

《私は妊娠出産育児?で『あきらめる』のパワフルさを知りました。④》

 

こんにちは。ゆっきぃです。

コロナ自粛も緩和され始め、ちょっとずつ柔らかな感じになってきているように思うのは気のせいでしょうか?

私たち家族は「こんなんで大丈夫なのか?!」と思うほど、毎日のほほんとのんびり生きています。

 

いい天気だなぁ。鳥の声が可愛いなぁ。風が気持ちいいなぁ。ムカデの季節だな!!。コバエも出てきてるね?!。そろそろ赤しそジュースを作りたい時期だなぁ…

 

そんなことと変わらないテンションで私はふと思います。

 

「私には息子がいたんだなぁ。」

「死んじゃったんだよなぁ。」

「あの時は大変だったなぁ。」

と。

 

不謹慎に感じます?

もしそうならごめんなさいね。

でも仕方がない。

これが紛れもない事実であり、私にとってはとても心地のよい毎日なのですから。

 

さて、今回もその大変だったときのお話しの続きです。

割とセンセーショナルだしなかなか衝撃的な出来事だけれど、『あきらめる』を知ることで、こんな快適な毎日を過ごすことができているんです。

では今回もこの物語をご自分の“今”に在りながら楽しんでみてください。

そうなるように綴りますね。

*まだ読んでいらっしゃらない方はこのシリーズを最初から読んでくださると嬉しいです。ぜひ。↓↓↓

 

小さな小さな息子は『天太(てんた)』と名付けられました。

最愛の旦那さんが「これがいい!」と前々から思っていた名前です。

(私、この名前大好きなんです。可愛くないですか?)

天太は2250グラムで産まれてきました。

18トリソミーの男の子にしては大きく立派に生まれてきた方です。

彼は生まれてすぐに「2週間がヤマです。」と告げられ、あらゆる管や線をつけられ、小さな顔に大きな酸素吸入用のマスクをつけられました。

細い腕、細い足、ちょっと黒めの皮膚(血色が悪くてね)、微妙に気になる耳の位置。

両手の中指と薬指はいつも折り曲げられ、いつでも不思議な形のグーをしている。

背中の毛はかなり長く、そして毛深い。

一見して「普通じゃない」とわかる風貌な彼は、いつだってとても大きな綺麗な目で私を見つめました。

 

「…か…可愛い…」

 

私は彼に会いに行くたびに愛しさが増していくのを感じました。

折れ曲がったままの指の不思議なグーも、ちょっと黒い肌も、耳の位置も、背中の長い毛も、すべてがどんどん愛しくなっていくのです。

そんな自分の感情が怖くて、嫌で仕方がありませんでした。

我が子を可愛く思う気持ち、愛しく思う気持ちが怖くて怖くて一生懸命なんとか蓋をしようとしました。

そして彼の物は極力買わないように、増やさないように努めました。

だって、どうせ死んでしまうのですから。

 

私はNICUで彼を抱っこしながら、窓からふりそそぐ太陽の光を浴びている時間があまりにも穏やかで何度も静かに涙を流しました。

 

その後、彼は2週間のヤマを乗り越え、心臓に開いていた2ミリほどの穴を塞いでしまい(自力でね)、呼吸器から脱却するという快挙を成し遂げました。

私と亮一さんは何度もいろんな決断を迫られ、何度も話し合いをして、何度もドキドキしながら私たち夫婦の決断を先生に伝えました。

 

今なら手術ができそうですが手術はしますか?もしもの時に延命治療はしますか?もしもの時に人工呼吸器は付けますか?一度人工呼吸器をつけてしまうとなかなか外せませんが?…などなど盛りだくさん。

 

生まれてすぐの我が子の命に関わることの決断を、何度も何度もしなければなりませんでした。

これはなかなかにきついことです。

いつだって『死』が隣り合わせであることをこれでもかと突きつけられたのです。

 

「どんどん天太が愛しく可愛くなっていってるの。怖いの。もう嫌だよ。どうせ死んじゃうんだったら早く死んじゃえばいいのにって思っちゃうの。そんなことを思っちゃう自分もなんなの?!って思うの。もう嫌だよ。」

 

私は亮一さんに何度もそんなことを言いました。

その度に亮一さんはじっくりと話しを聞いてくれて、そしてこう言ったのです。

 

「うんとさ…俺はこう思うんだ。いつだってなんだって唯一無二の自分の人生の『彩(イロドリ)』なんだなぁって。」

 

私は亮一さんのその言葉を聞いて、なんだか目がパッと開いたような気がしました。

 

彩。

イロドリ。

これは私の人生の中の彩なんだ。

 

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木に登ってレモンを獲る亮一さん。イロドリだなぁ。

 

 

まぁパッと目が見開いたからといって、身体と心のしんどさは変わらなかったんですけどね。笑

でも視点ができた。

彩なんだという視点ができたのはとても大きかった。

 

その後、天太さんは驚異の回復?成長?を遂げ、生後4か月頃についにNICUから出ることになります。

 

・口からミルクを飲むことができない。(鼻からチューブを入れてそこから点滴のようにミルクを入れていく。←1日7回。)

・自力でウンチを出すこともできない(浣腸を一日2回ほどする。)

・飲ませるお薬の種類がいくつもある。(シリンジで鼻チューブから入れる。)

・身体がめちゃくちゃ弱い。(すーぐ感染症にかかる。)

・いつまでたってもふにゃふにゃのまま。(首ずっとぐにゃぐにゃ。)

・いつ死んじゃうかわかんないって言われている。

 

↑これ。この状態で家に帰ってきたのです。

 

そりゃ嬉しかったですよ。

生まれてから添い寝を一度も出来なかったんですから。

やっと一緒に寝られる。なんて思ってね。

でもそれ以上に不安で不安で仕方がなかった。

家には3歳になったばかりの娘がいます。

その娘のお世話と天太のお世話(やることいっぱい!!)、そして亮一さんのゴハン作りや家事。

なんだか大変そうだけれど、何が大変かもわからない状態でした。

 

さて。

ここから私はかなり疲弊していきます。

やることが多すぎて…な部分もかなり大きかったけれど、それ以上に自分の中の『べき』や『こうでなければ!』や『これだけはゆずれない』がどんどん如実に露呈してきたからだと思います。

この後私に、今思い出しても二度とあの時には戻りたくないっ!!と切実に感じてしまうほど辛い時がやってきます。

まぁそれも彩なんですけど。

 

長くなってしまったのでその話しはまた次回。

『あきらめる』に必ず辿り着きますから(笑)、どうか最後まで読んでくださいますように。

また来月お会いしましょう。

それまでお元気で!

 

ではまた。

 

 

 

山田麻子 今月のひと筆。2020年 6月

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Ⓒ Asako Yamada

 

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鳩時計/cuckoo clock

 

 

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オン・メディテーション by Sri M ③ ー都合が良く素晴らしい真理を求める「スピリュアル・エンターテイメント」という障害。

現在『ヒマラヤの師と共に』のSriMの最新作『On Meditation-オン・メディテーション』。ご紹介、第三弾です!

今回は、こんな痛烈な指摘をご紹介します。

『On Meditation』では、ヨーガの伝統を踏まえながら、現代的な生活の中で瞑想に親しんで行く方法について、陥りがちな方向について、ユーモアを織り込みつつ、的確なガイダンスが繰り広げられています。

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On Meditation 第6章「 瞑想における障害物」より抜粋

 

古めかしい宗教的な儀式や慣習から自由になったと、無宗教の現代人は喜んでいます。しかし、実際、彼らはただ表面的に異なる慣習儀式を作り出しているだけなのです。人間の心が新たな慣習儀式に傾倒すれば、人間の心の集合体である社会にも新たな決まりごとができます。娯楽も慣習儀式の一つです。慣習儀式は多くの人にとって必要なことですが、真に自由な人物にはもはや無縁なものです。どんのような慣習儀式も必要のない人物は真に自由だと言えるでしょう。もちろん、無理に表面的な真似だけをしても仕方がありませんが。

 

一般的に、人々は自分にとって都合の良い事実のみを求めます。純粋に真理を探究する人は稀です。「スピリチュアル・エンターテイメント」という言葉で表されるように、魂の成長においても人々は娯楽を求めます。もしくは、彼らにとって都合がよく、素晴らしい「真理」を。

 

または、安定を求めている人たちもいます。真理が表面上の安定や安心とはむしろ直接に関係ないものだとわかった途端に、これらの人たちは探究をやめてしまうのです。むしろ、真理を求める過程では、安定や安心のための土台は全て崩れ去り、「自分」というアイデンティティを構成するありとあらゆるものが失われるのです。これは本当に真剣な人でなければできません。

それでもあなたは真理を求めますか?

 

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子育てなんかできない! 第4稿 ゆっきぃ

《私は妊娠出産育児?で『あきらめる』のパワフルさを知りました。③》

 

みなさんお久しぶりです。ゆっきぃです。

自粛生活が続いている毎日、いかがお過ごしですか?

いろいろな面でストレスを感じていらっしゃる方も多いかもしれません。

もしよかったら“今だけ”でもこの文章を読んで頂けると嬉しいです。

『あきらめる』という言葉にはとてもパワーがあるからです。

まだ私の過去の物語のお話しが続きそうですが、“今だけ”でもこのお話しを楽しんでくれたらいいなぁと思いながら綴ります。

 

さて、前回の続きです。

もしまだ読んでいない方がいらっしゃったら前回と前々回のお話しをぜひ読んでみて下さいね。↓↓↓

子育てなんかできない! 第3稿 - 蓮華舎のブログ。

子育てなんかできない! 第2稿 - 蓮華舎のブログ。

 

妊娠31週目の検診での「んー…18…の可能性は…」という小さな声での会話。

先生たちのこの言葉に強く反応してしまった私。

それから私は『18トリソミー』というワードで検索をしまくる検索魔と化していきます。

先生たちの「…18…」という言葉でピンときてしまったんですね。

ところで『18トリソミー』ってご存知ですか?

簡単な説明を書いておきますね。

 

18番染色体が一本多いことによる疾患です。妊娠の中期~後期にかけて、胎児の発育が遅くなったり、羊水過多がきっかけとなって診断されることがあります。出生の頻度は新生児8000人に1人程度で、女児が多いとされています。

 出生時の体重が少なく、口と下顎が小さく、鼻筋がとおった細い鼻、弓状の眉毛をもつ繊細な顔立ちです。筋緊張が強く関節が拘縮し、指が他の指に重なる手の握り方で、足底がロッキングチェアの底のように丸くカーブします。

 重い心疾患があり、治療が困難なこともしばしばです。そのため分娩時や1歳までに死亡する子どもも多く、発達も遅れますが、積極的な治療によって救命される子どもも少しずつ多くなってきています。

 

 

先生は「今の段階ではグレーです。」と言いました。

私が指摘されたのは羊水が少し多いこと、胎児の頭がほんの少しだけ大きいこと、脳と頭蓋骨の間にほんの少しの空洞があること、でも心臓の疾患は目視では見当たらないということでした。

心臓の疾患が目視できていたらきっとグレーではなかったのでしょう。

 

『障害児』『染色体異常』『見た目に特徴がある』『発達が困難』

そして『短命』。

私の頭の中にそんな言葉ばかりがぐるぐると渦巻く。

 

私のお腹の中にいる子は男の子でした。

男児は女児に比べると生まれてくる確率はもっと少なく、そして生まれてきても育つ可能性はかなり低いと書いてある。

幸福だった妊婦生活がガラリと変わりました。

知れば知るほど怖くなる。

でも調べずにいられない。

お腹の中では可愛い我が子がポコポコ元気に動いているのに怖くて仕方がない。

「まぁ考えても仕方がないかぁー!もしかしたら大丈夫かもしれないし!」

と言える時間と

「…どうしよう…これからどうなっちゃうんだろう…自分の子が死んじゃうなんて私…どうなっちゃうんだろう…」

と不安に巻き込まれる時間が交互にやってくる。

そんな毎日を過ごしました。

亮一さんはそんな私の話しをいつも根気よく聞いてくれて、そしてこんなことを言いました。

「なるようになるよ。どんな子でもきっと可愛いよ。だって家に生まれてくるんだから。大変かもしれないけどきっと楽しくなるよ。」

私は亮一さんのその言葉を聞いて安心しながらも「…この人は呑気でいいなぁ…」と

ほんの少し淋しさを感じていたのでした。

 

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いつも呑気で優しい亮一さんと娘。つい先日の様子。

 

そして迎えた出産当日。

検診の結果はずっとグレーのまま。

生まれてくるまで健常児なのか障害児なのかわからない状態の出産です。

亮一さんは手術室に向かうベッドに横になっている私に向かってこんな風に声をかけました。

「ゆっきぃ!がんばって!楽しんできて!!」

健常児なのか障害児なのか生まれてくるまでわからない出産。

生まれてきて障害児だったらどんな大変な状況になるかなんて想像もつかないままでの出産。

そんな出産に向かう私に「楽しんで!」という旦那さん。

私はベッドの上から手を振り、「楽しんでくるー!!」と返しました。

 

結果。

 

私はそれはそれは見事な18トリソミーの男の子を出産したのでした。

 

それからの時間は怒涛に次ぐ怒涛。

出産後すぐに違う病院に搬送された我が子。

術後の傷の痛みと子宮収縮の痛みに身を捩りながら泣きわめく私。

痛みと不安と悲しみがごちゃ混ぜになり、混乱する。

「大丈夫なの?家の子大丈夫なの?!」

泣きながら看護士さんに聞いてもわかるはずもない。

「もう!!めちゃくちゃ痛いし自分の産んだ子にもちゃんと会えないし!踏んだり蹴ったりだよぉぉーーー!!!」

と看護士さんに変な悪態をつく私。

その後、痛みと戦いながら一晩だけ過ごした個室から大部屋に移った私の手元には赤ちゃんがいません。

他のベッドにはそれぞれのお母さんが生んだ、元気な赤ちゃんがいます。

当たり前だけど。

朝も昼も夜も私の手元には赤ちゃんがいないのに、ずっとどこかで泣いている赤ちゃんの声を聞く生活が始まりました。

 

手術後2日目には傷の痛みに耐えながら立ち上がり、前かがみになりながらなんとか歩いてアピールし、無理矢理外出許可をもらいました。

帝王切開後の傷の痛みって半端ないんですよ!!

そりゃそうですよね。

お腹と子宮を切ってるんですから。

術後3日目には車で40分かけて息子に会いに行ったのですが、今思うと自分ごとながら『母親って強いなぁ』と感じます。

 

NICUにいる息子を始めてみた時のことは今でも鮮明に思い出せます。

たくさんの管や線、訳がわからないあらゆる機械に繋がれた小さな小さな息子。

その姿があまりにも痛々しく感じて、気づいたらお決まりのこんな言葉が口から出ていました。

「…ごめんねぇ…。ちゃんと産んであげられなくてごめんねぇ…」

 

こんな風に私の『あきらめる』の新たなストーリーが始まりました。

なかなかハードじゃないですか?笑

でもこんなのはまだまだ序の口でした。

これから始まる生活の大変さ、辛さ、憤り、悲しみ…をこの時点での私は知る由もなかったのですから。

 

さて、こんなに何話にも及ぶと思っていなかった『あきらめる』についてのお話し。

きっとこれを書いていることが何かに繋がるのでしょう。

どうか途中で止めずに最後まで読んでくださいますように。

 

ではまた来月。

続きを楽しみにしていてください!

それまでみなさんお元気で!