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子育てなんかできない! 第7稿 ゆっきぃ

《私は妊娠出産育児?で『あきらめる』のパワフルさを知りました。⑥

 

みなさんこんにちは。ゆっきいです。

毎日暑いですねー。

やっと夏がきた!って感じで嬉しい限りです。(私は夏が大好きなんです!)

『あきらめる』について書き始めてもう半年が経つんですね。

早いなぁ。というか、かなり引っ張りましたね。笑

ここまで止めずに読んでくださっている方、すごいです。

ありがとうございます!!

まだ読んでない方、もしよかったら最初から読んでみてくださいね。↓↓↓

子育てなんかできない!1~6稿

 

さて。

私の息子、天太さんの命日は8月8日です。

今これを書いているのが8月8日なんですが、先ほど家族みんなでお墓参りにいってきました。

毎年この日が近づくと、天太さんと過ごした日々や亡くなった日のことをぶわーっと思い出します。

そして胸がほわっと温かくなるんです。

悲しくなるわけでもなく、苦しくなるわけでもなく、痛くなるわけでもなく。

ただただほわっと温かくなるんです。

それから「あー天太さん可愛かったなぁー」「一緒にいられてよかったなー」「愛しかったなー」「今も愛しいなー」という言葉が私の口から出てくるんです。

自然に。溢れ出るように。

 

 天太の1年4ヶ月間ほどの人生の最期はとてもとても見事でした。

亡くなる1週間ほど前から体調を崩して入院をしていたので、亡くなったのは病院です。

亡くなる直前、「まだ助かる可能性は…あります。人工呼吸器を付けますか?」と先生から最後の判断を求められ、私たち夫婦は迷いながらも「付けません。」「でも苦しそうな姿が見てられなかったら付けて下さい。」と言いました。

先生は「助かる可能性はまだある。」と言っていたけれど、どう見ても人工呼吸器を付けても助かる可能性は低そうでしたし、一度人工呼吸器を付けてしまうと外すことがとても困難になるからです。

(自宅にもなかなか帰ることができなくなります。)

天太さんが苦しそうな姿は見たくない。

だけれども人口呼吸器を付けるのは嫌だという苦しい迷いでした。

(なるべく延命措置的なことはしたくなかったんです。天太さんには似合わない気がしたからです。)

 

挿管をして、酸素をMAXで流しても体内酸素量が減っていく天太さん。

体内酸素量が減らないために、手動のポンプのような機械で空気を一晩中流し続けてくれていたのは看護士さんや先生たちです。

「その手動で空気を流すのはもう止めてもいいです。そう先生と話し合いました。」

と、ポンプで空気を送ってくれていた看護士さんに伝えたときは「私は息子が死んでもいいです。」と言っているんだな…とほんの少し自分を責める気持ちが湧きました。

看護士さんは微妙な表情で「あ…はい…。」と言いながら手を止め、そっとその場を離れました。

体内酸素のパーセンテージがわかる機械の数字がゆっくり、ほんとうにゆーーっくり1%ずつ減っていくのをジッと見つめ、天太さんの様子を伺う私たち。

まったく苦しそうな表情を見せない天太さんはゆっくりと目をつぶり、とてもリラックスしているように見えました。

 

私は天太さんに「愛しているよ」「ほんとに可愛かった」「お世話ちゃんとできなかったかもしれないけど私にお世話をさせてくれてありがとう」「私たちのところにきてくれたこと感謝している」「大好きだよ」と、わんわん泣きながら存分に気持ちを伝えました。

 

体内酸素量が30%ほどになった時、先生が「よかったら抱っこしてあげてください」と言いました。

私はリラックスした様子の天太さんをそっと抱っこしてなんどもキスをしました。

ゆっくりゆっくり1%ずつ数字が減っていき、とうとう10%になった時、天太さんは大きく息を「スウーーッ!」と吸ってから「ハァッ!」と息を吐き出しました。

私はその様子を見て「え?!」と驚いたのだけれど、すぐに「あぁこれで終わりなんだ。」と感じました。

先生がライトで天太さんの瞳孔を確認して脈をとり、「ご臨終です。」と言いながら「うぅ…」と声を詰まらせて泣きました。

たくさんの先生や看護士さんが天太さんを囲み、みんなで天太さんを見送りました。

当時3歳だった娘はきょとんとした顔をしながら「天ちゃん寝てるの?」と言い、亮一さんが「天太は死んじゃったんだよ。」とほんとうのことを伝えていました。

私は「あぁ、ほんとにこれで終わったんだ…」となんだか言葉にできない気持ちでいっぱいでした。

 

今思い出してもその時のことはとても鮮明です。

あの時の病室の空気、質感、色、光の射し方、全てをありありと思い出せる。

そこに悲しみはありません。

そこにあるのは「あぁ人ってほんとに死ぬんだな」「人が死ぬ時って息を大きく吸って一気に吐き出すんだな」という体験と切なさと愛しさだけです。

そして今、思い出すと湧いてくるのは「愛してたなー」「今も愛してるなー」という想いです。

 

 

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当時3歳だった娘もこんなに大きくなりました。近所の人懐こい猫がひと際娘に懐く図。

天太さんが亡くなってから、私は一回も悲しみにくれたことがありません。

自分の息子が亡くなったのに泣き崩れることもなく、切なさを感じながらもすぐに笑って毎日を過ごしていました。

私は天太さんが亡くなった時、清々しさすら感じていたのです。

きっとこんなことを言ったら「信じられない!」「ひどい母親だ!」「愛情ってもんがないのか!」と嫌悪感を持つ方もいるでしょう。

私もほんのちょっぴりだけそこに罪悪感を感じていました。

こんなんでいいのか?と。

でもすぐに「まぁほんとのことだししょうがないか」と開き直るのです。

そしてすぐに亮一さんや娘とケラケラとふざけあうのです。

 

私がこう在れたのは天太さんが亡くなるまでの間、『あきらめる』を日常的にやっていったからでした。

亮一さんは「ゆっきぃの中に天太を愛しいという感情もある。と同時に早く解放してくれという気持ちもある。それがほんとのことなんだからそれでいいじゃん。」と言いました。

私は亮一さんのこの言葉で、これが『あきらめる』の意味だと気づいたのです。

 

 亮一さんは娘を出産した時から「出産と育児はゆっきぃに『あきらめる』を教えてくれてるね。」と言っていました。

でも、これが私にはなかなかわかりませんでした。

「あきらめる?は?あきらめちゃったらそこで終わりじゃん。」

「あきらめるなんてできないよ。だって理想は持ち続けなきゃ進めないじゃん。」

「あきらめるなんてそんな投げやりでどうすんの?」

と、かなりな反発心が湧いていたのです。

『あきらめる』をすっかり勘違いしていたからです。

 

『あきらめる』とは投げやりなことでもなんでもなく、ただただ『明らかに』『観る』こと。

そこに湧く感情も、反発も、憤りも、悲しみも、怒りも、ただただ『明らかに』『観て』いく。

 

「もういーよ!どうせ私の人生こんなもんだもん。もう諦める!」って感じのイメージが湧きません?『あきらめる』って。

なんだかネガティブな拗ねてるイメージが湧きませんか?

そうではなく、ジッと静かに『明らかに』『観る』が『あきらめる』。

 

天太さんを愛しいと感じているけれど、「早く死んじゃってくれよぉ~」という想いも湧いてしまうのが事実。

そこを排除しようとするのではなく、それをなかったことにしようとするでもなく、「そんなこと思うなんてひどい母親だ!母親失格だ!最低な人間だ!」と罪悪感から自分を責めてごまかすのではなく、罪悪感すらジッと静かに今起こっていることを正直に明らかに観る。

これを時に亮一さんの力を借りてやり続けました。

もちろん感情やストーリーに巻き込まれることも未だに多々あります。

でもそこをまた明らかに観ていくのです。

 

 娘を叱りたくなる時、コントロールしたくなる時、亮一さんに対して怒りが湧くとき、イライラが募る時、自分を叱責したくなる時、誰かに対して意見を言いたくなる時、どんな時もそれをジッと『明らかに』『観る』。

あきらめる。

すると何が起こると思いますか?

そのときグッと湧いた感情や衝動がスッと溶けて流れていってしまうのです。

(あ、もちろんすぐに流れない時もあるんですよ。私もまだまだあきらめが悪いところがありますから。笑)

そして人生というのは、瞬間瞬間何かがただ起こっては消えていくだけなんだということが体験としてわかるのです。

そこにどんな感情をのせるのか、どんな意味付けをするのか、選ぶことができるとわかるんです。(実際は選べてないかいないのでしょうけれど。)

 

 私にはまだまだ観念がたくさんあります。

モノゴトを最初から色を付けて観てしまいます。

ほんとうはまっさらに観たいのに、それがなかなか難しいということをあきらめようとしています。

『明らか』に『観よう』としています。

私にとって子育てと結婚生活は『あきらめる』の練習にはもってこいの体験です。

まだまだあきらめきれていない出来事が毎日のようにやってくるから。

天太さんはとことんあきらめの悪い私にガツンと見せてくれました。

現在9歳の娘はゆるゆるとずっと私にあきらめるを気付かせてくれています。

夫の亮一さんは時に同志として、時には師のように『あきらめる』を私に示してくれます。

 

 『明らかに』『観る』はとてもパワフルです。

“私”という存在はどこまでも広がっていて、そしてどこにもいないことが体験できるからです。

いかに“私”という存在を普段狭めているかがわかるからです。

 

私は『あきらめる』を知って、子育てなんかできなくなりました。

“育てる人”も“育てられる人”もどこにも存在しない。

ただそこに愛しさがあるだけで、それがとてつもなく幸福であることがなんとなくわかったからです。

 

でもまだまだ迷います。

まだまだ巻き込まれます。

どうでもいいことを狭く小さな『個の私』という思い込みの枠内でぐるぐるとさまよう時間があります。

だからこれからもあきらめつづけようと思います。

そのたびにあきらめようと思います。

そして広がり、また収縮して、そしてまた広がっていきたいと思っています。

 

長々と続けてしまったこの『あきらめるシリーズ』。

読んでくださってありがとうございます。

「子育てなんかできない!」というタイトルを舎長のおーちゃんがつけてくれた時、どうしてもこれは書きたい!と思ってしまいました。

現在の私の長い長い自己紹介です。

私は最愛の夫と最愛の娘と大好きな義母とめちゃくちゃ可愛い二匹の猫とのんびりと、時に焦り、時に不安にかられながらも『あきらめ続けて』生活しています。

亡くなってしまった心から愛する息子天太のことを時に思い出しながら。

 

来月からは何を書こうかな。

今から楽しみです。

よかったらまたお付き合いくださいね。

ではまた!