蓮華舎のブログ。

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『オン・メディテーション 現代を生きるヨーギーの瞑想問答』ー目次初公開!

『ヒマラヤの師と共に』のSriMの最新作!

『オン・メディテーション 現代を生きるヨーギーの瞑想問答』目次を公開致します! 

誰しも抱いたことのあるだろう瞑想についての素朴な疑問から、究極の在り方まで。
ぜひ一度目を通してみてください。
次回から、 瞑想についてのSriMの動画を公開していく予定です、お楽しみに!

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目次

1 なぜ瞑想をするのか

Q: 瞑想とは何ですか?            

Q: なぜ瞑想をすべきですか? 

Q: 人々が瞑想を始める理由は何ですか? 

Q: 人生の困難や病気、負の感情や鬱の対処に瞑想は有効ですか?    

Q: マインドフルネスとは何ですか? 

 

2 どのように瞑想をするか

Q: どのように瞑想をすべきですか? 

Q: チャクラ、特に第三の眼とされる「アージニャー・チャクラ」の瞑想法が重要だ

という話を聞きました。なぜこの瞑想法が重要なのですか?  

Q: アージニャー・チャクラの瞑想法は瞑想の本来の目的から外れると聞きましたが、本当ですか? 

Q: 瞑想におけるイメージの重要性や活用法を教えてください。 

Q: パドゥカ(サンダル)と花を想像して師に祈りを捧げる瞑想とは、どのようなものですか? 

Q: クリシュナ神ハヌマーン神、女神カーリーなどの姿かたちを持つ神々への厚い信仰を持っていますが、このような場合はどのように瞑想をすれば良いですか? 

Q: ヴェーダーンティック瞑想とは何ですか?  

Q: 呼吸に意識を集中させる瞑想とはどのようなものですか? 

Q: マントラや神の名前を唱えながらでも瞑想はできるのですか? 

Q: 沈黙の時間を設けるべきですか? 

Q: 私は感情的な人間なのですが、瞑想における感情の役割とは何ですか? 

 

3 瞑想の姿勢と実践 

Q: 瞑想をする時間帯は重要ですか? 

Q: 瞑想のときは何を着れば良いですか? 

Q: 瞑想をするときの姿勢はどうすれば良いですか? 

Q: 背中や腰に支えを用いないと床に座れない場合はどうすれば良いですか? 

Q: 怪我などで寝たきりの状態のとき、横になったままで瞑想はできますか? 

Q: 瞑想をするときの手の置き場所と組み方はどうすれば良いですか? 

Q: 蓮華座で組んだ足の踵が下腹部にふれなくても大丈夫ですか? 

Q: 瞑想中は眼は開けておくべきですか? それとも閉じるべきですか? 

Q: 瞑想をして三十分ほどで足がしびれてきます。対処法はありますか? 

Q: 瞑想にはまっすぐな背骨が必要ですか? 背骨の形が瞑筋に影響しますか? 

Q: 瞑想中にリラックスすると、あくびが出たり、トイレに行きたくなったり、ゲップをしたくなります。瞑想の途中にしても大丈夫ですか?  

Q: アルコールを飲んでリラックスしてから瞑想をしても大丈夫ですか?

Q: 瞑想の前にコーヒーやお茶を飲んでも大丈夫ですか? 

 

4 瞑想中の体験

Q: 瞑想からどんな体験が得られるのですか? 瞑想における進歩とは何ですか?

Q: 悟りとは瞑想中に経験する神秘体験のことですか? それとも神秘体験は単に異なる意識の状態なのですか?

Q: 心が全く静まっても瞑想中の至福は感じられるのですか? 

Q: 「内面に向かう」とはどんな体験ですか? 無意識状態のことですか?

Q: 瞑想やヨーガの実践の初歩段階での体験が進歩している証であるのか、全く関係のない体験であるのかはどう判別しますか?

Q: 瞑想中にプラーナが上昇するとはどういうことですか?  

Q: 瞑想中に普段より思考が多くなるのは自然ですか?  

Q: 瞑想中の居眠りとサマーディの状態をどのように区別しますか?  

 

5 心の性質と心を静めるための方法

Q: 心の性質とはどういうものですか? どうすればそれに振り回されずにいられますか? 

Q: バガヴァッド・ギーターにある「心はあなたの最も力強い味方にも敵にもなる」の意味は何ですか? 

Q: 魂の成長において「娯楽に捕らわれてはならない」とあなたは言われますが、これはどういうことですか?

Q: 瞑想中にいつも思考が浮かんできて心が落ち着きません。なぜ心はお喋りなのでしょうか? 落ち着いて、静かな状態を保つことはできないのですか? 筋肉のように、必要なときにだけ心を使うことはできないのでしょうか? 

Q:人間は他人との交流を通して自分自身を理解する一方で、一定の期間の孤独も心の働きを理解するには重要だと言われます。これはどういうことですか? 

Q: 孤独の期間を設ける場合に、夫妻はこの期間を別々に過ごすべきですか? または一緒過ごすべきですか? 

Q: 心の働きを理解するのに内観は重要なのですか? 

Q: 心を静かにするためには瞑想が唯一の手段なのですか? 他に何か手段がありますか? 

Q: ポジティブ思考に関するアドバイスをいただけませんか? 半分が水に満たされたコップを見ても「半分が空である」というように、私はいつでも消極的な見方をすると家族に言われます。 

Q:通常の人間の脳の八割が使われていない状態だとされています。どのようにこの部分を目覚めさせることができますか?

Q: 境地の高い人物の心とはどのようなものですか? 

Q: 世の中の全ての問題は人間の心にあるとあなたは言われます。この心、あの心、全ての心に問題の種が潜んでいると。しかし、個人の意識は微細な、永遠の意識に繋がっているのではないのですか?

Q:それでは、この問題をどうやれば取り除くことができますか? 

Q:しかし、問題をはっきりと見極めたとしても……

Q:しかし、問題に向き合ったとしても……

 

6 瞑想における障害物

Q:瞑想が楽しくなくて、すぐに退屈してしまいます。瞑想の代わりはありませんか?

Q:瞑想中に眠くなってしまう人はどうすれば良いですか? 

Q:瞑想の習慣が続きません。また、瞑想中に気が散ってしまいます。どうすれば良いですか? 

Q:ストレスを感じる人や状況に対処するとき、心を空にするのはとてもむずかしいです。思考が心に浮かんでくるままにすれば良いですか? 浮かばないように抑えるべきですか?

Q:瞑想中に未来への不安や過去の恐れで心が一杯になります。対処法を教えてください

Q:瞑想中に特に不安や恐怖がはっきりとしてきます。

Q:怒りなどの感情も同じように対処できますか?

Q:感情をそのままにしておくよりも、抑圧してしまう方が単純ではないですか? 

Q:感情の起伏から自由になるためにはどうすれば良いですか?  

Q:怒りの感情の源とは何なのでしょうか? 

Q:執着を手放すこと、心を自由にすることが大事だと言われます。しかし、心を自由にしようとすればするほど、思考が心にのぼってきます。良い解決法や手段はありますか? 

Q:マインドフルネスの実践においては思考が問題であり、障害物なのでしょうか? 思考が分断や葛藤といった問題の根幹にあると私は思います。どのように対処をすれば良いですか? 

Q:瞑想を始めるとすぐに考え始めてしまい、普段よりも思考が活発になります。これは自然なことですか? 

 

7 瞑想と日常生活

Q:家庭や仕事の都合で忙しくて瞑想をする時間がありません。どうすれば良いですか? 

Q:周りの雑音、家事や他の用事で気が散ってしまいます。対処法を教えてください。

Q:特定の食べ物や過食は瞑想によくないと聞きました。どのような食生活を送るべきですか? 

Q:瞑想中の居眠りは肥満にも原因があると聞きました。何かおすすめな運動はありますか? 

Q:なまけてしまって自制心がありません。どうしたら良いですか?

Q:瞑想に近い意識の状態を仕事中にも保つためには、どうすれば良いですか? 

Q:一点に意識を集中させる「エーカーグラター」の瞑想法があると聞きます。これは一人で座って一つのものを考えることですか? 意識を一点に集中させて何かをするのも「エーカーグラター」になりますか?  

Q:世の中で困難な状況に直面しているときでも、全ての存在との一体感を維持できるようになる瞑想法やクリヤ・ヨーガはありますか?  

Q: 自分自身を知るために瞑想は重要だとあなたは言われます。瞑想をしていなくても自分自身の弱みや強みを熟知している場合にも、瞑想は必要ですか? 

 

8 瞑想の助けとなるもの

Q:瞑想をするためにはクリヤ・ヨーガを学ぶ必要がありますか? 

Q:クリヤ・ヨーガとは刺抜きのための針のようなものですか? 

Q: 呼吸の観察は瞑想に効果的だとされます。呼吸はどう身体と心に繋がっているのですか? 

Q:ヤマとニヤマに沿って日常生活を送ることは瞑想の進歩に繋がりますか? 

Q:アーシュラムやリトリートなど、グループでの方が瞑想はしやすいのでしょうか? 

Q:講話を毎回楽しみにしています。聞くたびに幸せになり、瞑想をもっと頑張ろうと思います。講話を聞くことは瞑想の実践にとって良いものですか? 

Q:自然の中にいると心が落ち着きます。自然の中で時間を過ごすのは良いことですか? 

Q:過去に聖者や覚者がいた場所で瞑想をするのが好きです。このような場所でもっと時間を過ごすべきでしょうか?  

Q:美しい賛美歌を聞いていると至福、愛、平安で心が満たされます。音楽は瞑想に良いものですか? また、音楽を聞く行為そのものは瞑想になりますか? 

Q:沈黙を守ることは内面に向かう手助けになりますか? また、心の静寂とは何ですか? 

Q:瞑想の実践と心の浄化は共に行わなければならないと聞きました。どのようにすれ心の浄化ができるのでしょうか?  

Q:聖火の前に座る瞑想法があると聞きました。この瞑想法について教えてください。

Q:聖者ラマナ・マハーリシの教えた、本当の「私」を知るための瞑想法とは何ですか? 

 

9 瞑想における師と恩寵の役割 

Q:瞑想をするのに恩寵や師は必要ですか? 

Q:恩寵は常に共にあり、開かれた心は恩寵を受け入れられるとは、どういうことですか? 

Q:恩寵を受けるために何かを信じたり、探したりする必要はないのですか?

Q:魂の成長のために必要なのは時間ですか? 努力ですか? 恩寵ですか?

 

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子育てなんかできない! 第6稿 ゆっきぃ

《私は妊娠出産育児?で『あきらめる』のパワフルさを知りました。⑤

みなさんこんにちは!

お元気ですか?ゆっきぃです。

 

蓮華舎さんでのこの連載の原稿を書くたびに「もう1ヶ月?!早っ!!」と毎回同じ反応をしていることに笑ってしまいます。

みなさんのこの1ヶ月はいかがでしたか?

世間では毎日たくさんのニュースが流れています。

私の内側にもさまざまなニュースが流れ、そして消えていきます。

あなたの内側には今どんなニュースが流れていますか?

過去にはどんなニュースが流れたのでしょうか?

かつて私の中に流れたニュースを今一度取り出して、みなさんにお見せしますね。

『あきらめる』を知ることになったニュースを。

よかったら今回もお付き合い頂ければうれしいです。

この『あきらめる』シリーズをまだ読んでいらっしゃらない方はこちらからぜひどうぞ。↓↓↓

 

 

天太さんがNICUを出て、わが家に迎え入れてからのしばらく日々は私の記憶の中ではとても辛く苦しいもののままです。

今思い返してみれば、それはそれはすごいプレッシャーの中で生活していたのがわかります。

(当時はわからなかったんですが。)

一日中ずっと気にしていなければならないのはどんなに健常の赤ちゃんでも同じだろうと思うのですが、成長する可能性が極めて低く、そしていつ死んでしまうかわからない子の毎日のお世話は思っている以上に辛いものでした。

 

未来がみえない。

(いつだって未来はみえないのですが…。)

私はいつまでこの生活に縛られるのだろうか。

朝から晩まで、24時間ずっとこの子を気にしながら生活している毎日。

気軽に出かけることもできない。

外に出ればそれだけ感染症のリスクが高まるし、なによりミルクの注入はどこでどうやればいいのか。

 

目の前の天太はいつだって可愛くて、そして不器用ながら笑う事ができるようになったりしている。

3歳になった娘は3歳なりにこの小さな弟を可愛がっている。

抱きしめるとふにゃふにゃで温かい。

キスをするといつものびっくりしたような顔で私を見返す。

 

そんな天太は、いつの間にかこんなに「辛い辛い」と思っている私を目で追うようになっていました。

 

天太はとてつもなく可愛い。

でも毎日が辛い。

寝不足で、自由がなくて、いつだって何かを心配して、気にして…

 

いつ死んじゃうかわからないってことは、いつまでもこの生活が続いていく可能性があるってことじゃん!

で?

あと何年?

あとどれくらいこれが続くの?

私はずっとこの子のお世話をし続けて、この子とともに老いていくの?

健常な姿がみられるわけじゃないのに?

どんなに一生懸命お世話したって話すことも歩くことも自分でご飯を食べられるようにもならないのに?

ずっとオムツをつけた状態のままなのに?

いつ死んじゃうの?

それはいつ?

これ以上お世話し続けたら、私はこの子が死んじゃった時どうなってしまうと思う?

 

毎日『今』『やること』に集中しようと思って過ごそうとしていた私ですが、それでもすぐにそんな思考に持っていかれる日々。

私はそんな自分が嫌で嫌で仕方がありませんでした。

 

 

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亮一さんの髪を切る時間は至福の時間です。裏庭にて青空理髪店開店。

 

「私さ…天太のことめちゃくちゃ可愛いと思っているのにその反面『早く私を解放してくれ!』『どう死んじゃうんなら早く死んでくれ!!』とか思っちゃうんだよね…。もう母親としてこれは失格だと思うしほんと最低な母親だって思うんだよ…。」

 

ある日私は亮一さんに泣きながらこんなことを言いました。

我が子に対して「どうせ死んじゃうんなら早く死んでくれ。」と思ってしまうことの辛さ。

「早く私を解放してくれ!」とまるで被害者のように感じている悲しみ。

そう思ってしまう自分が嫌で仕方がない事実。

 

天太が生まれてから私はたくさん泣きましたが、この話をしている時が一番泣いたように思います。

私のこの話を聞いた亮一さんは少し黙って何かを考えたあと、優しく静かにこんな言葉を口にしました。

 

「あのさ…ゆっきぃは天太のことを可愛いと思っているんでしょ?愛してるんでしょ?それは見ていて伝わってくるよ。ゆっきぃは一生懸命やってるもん。

俺にはそんなことできないよ。」

 

私はこの言葉をますます涙を流しながら聞きました。

そして「うん…」と小さく呟きました。

亮一さんは続けます。

 

「それでさ、その反面『早くこの生活から私を解放してくれ!』と思っちゃうんでしょ?『どうせ死ぬなら早く死んでくれ!』とも思っちゃうんでしょ?」

 

私は胸がギュッと苦しくなるような感覚になりながら、その亮一さんの言葉に「うん…。そうなの…。」と答えました。

その後亮一さんはとても軽くこんなことを言いました。

 

「それでいいじゃん。」

 

私は亮一さんのその言葉を聞いた時、びっくりして目を見開きました。

 

「それでいいの?」

 

驚いている私に向かって亮一さんは話します。

 

「だってさ、天太を愛しくて可愛いと思ってるのも事実でしょ?でも『早く解放してくれ』と思ってるのも事実なんでしょ?

どっちも事実であって、そのどっちもがゆっきぃの中に同居したっていいじゃん。」

「母親だと辛い事を辛いと思っちゃダメなの?この状況でそう思わないなんて無理なんじゃないかと思うよ。俺だったら『もうやだー!』ってすぐに思うよ。当たり前じゃん。辛いんだから辛いって思って何が悪いの?」

 

『天太を可愛くて愛しいと心から思っている』気持ちと『早く私をこの生活から解放してほしいと思っている』気持ち。

このどちらも私の中に湧いている感情。

それが同居したっていいじゃん。

辛いんだから辛いって思ったっていいじゃん。

早くこの辛さがなくなって欲しいって思ったっていいじゃん。

それの何が悪くて何がダメなの?

 

亮一さんは私にさらりとそんなことを言いました。

そこには『母親のくせに』や『母親なんだから』や『母親として当たり前だろ』という想いが皆無でした。

あくまでも『ゆっきぃという存在』に対してのまっすぐな視点からの言葉でした。

 

私はこの亮一さんからの言葉を一生忘れません。

これで気付けたことがたくさんあるからです。

 

さて。

私はこの亮一さんとのやり取り後、ガラリと何かが変わりました。

日々の生活が変わったわけではないのに、私の中の何かが大きく変わったのです。

 

 

次回はやっと『あきらめる』について詳しく書いていけそうです。

ここまで読んでくださった方々、ほんとにありがとうございます!

よく途中で止めませんでしたね。笑

よかったら次回もお付き合いくださいね。

ではまた次回。

それまでどうかお元気で。

 

山田麻子 今月のひと筆。2020年 7月

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©Asako Yamada

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【珈琲フロート】

流されていってしまうのではなく

足場ないところに

今はただ浮かんでいるような。

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オン・メディテーション by Sri M ④ ー恩寵は既にそこにあります。

『ヒマラヤの師と共に』のSriMの最新作『On Meditation-オン・メディテーション』。ご紹介、第4弾です。

 

 

 聞きなれない言葉かもしれません。

常に私たちが共にある「恩寵」とは何でしょうか....

 

今後、シュリー・エムの講話のアップもしていきたいと思います。どうぞお楽しみに!

 

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On Meditation 第9章「 瞑想における師匠と恩寵の役割 」より抜粋

 

Q:魂の成長における目標に達するために必要なのは時間ですか? 努力ですか? 恩寵ですか? 

 

M:三つの全てが必要です。努力と時間、恩寵のどれもが重要です。

 

 なぜかを説明しましょう。まず、いくばくかの恩寵がなければ、そもそも魂の成長のために努力をすること自体が不可能です。もし誰かが既に実践を積んでいるとしたら、これは疑う余地なく恩寵のおかげなのです。恩寵は既にそこにあります。恩寵がなければ、魂の成長を求める方向へ向かうことすらできません。

 

.....

 

恩寵は常にそこにあるものの、いつ風が吹くのかは私たちには決められません。しかし、私たちの扉と窓が閉まっていては、風が吹いても中に入ってくることができません。ですので、謙虚な態度で扉と窓を開けるための全力の努力をして、風が吹いたときにお迎えできるようにしましょう。

 

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子育てなんかできない! 第5稿 ゆっきぃ

《私は妊娠出産育児?で『あきらめる』のパワフルさを知りました。④》

 

こんにちは。ゆっきぃです。

コロナ自粛も緩和され始め、ちょっとずつ柔らかな感じになってきているように思うのは気のせいでしょうか?

私たち家族は「こんなんで大丈夫なのか?!」と思うほど、毎日のほほんとのんびり生きています。

 

いい天気だなぁ。鳥の声が可愛いなぁ。風が気持ちいいなぁ。ムカデの季節だな!!。コバエも出てきてるね?!。そろそろ赤しそジュースを作りたい時期だなぁ…

 

そんなことと変わらないテンションで私はふと思います。

 

「私には息子がいたんだなぁ。」

「死んじゃったんだよなぁ。」

「あの時は大変だったなぁ。」

と。

 

不謹慎に感じます?

もしそうならごめんなさいね。

でも仕方がない。

これが紛れもない事実であり、私にとってはとても心地のよい毎日なのですから。

 

さて、今回もその大変だったときのお話しの続きです。

割とセンセーショナルだしなかなか衝撃的な出来事だけれど、『あきらめる』を知ることで、こんな快適な毎日を過ごすことができているんです。

では今回もこの物語をご自分の“今”に在りながら楽しんでみてください。

そうなるように綴りますね。

*まだ読んでいらっしゃらない方はこのシリーズを最初から読んでくださると嬉しいです。ぜひ。↓↓↓

 

小さな小さな息子は『天太(てんた)』と名付けられました。

最愛の旦那さんが「これがいい!」と前々から思っていた名前です。

(私、この名前大好きなんです。可愛くないですか?)

天太は2250グラムで産まれてきました。

18トリソミーの男の子にしては大きく立派に生まれてきた方です。

彼は生まれてすぐに「2週間がヤマです。」と告げられ、あらゆる管や線をつけられ、小さな顔に大きな酸素吸入用のマスクをつけられました。

細い腕、細い足、ちょっと黒めの皮膚(血色が悪くてね)、微妙に気になる耳の位置。

両手の中指と薬指はいつも折り曲げられ、いつでも不思議な形のグーをしている。

背中の毛はかなり長く、そして毛深い。

一見して「普通じゃない」とわかる風貌な彼は、いつだってとても大きな綺麗な目で私を見つめました。

 

「…か…可愛い…」

 

私は彼に会いに行くたびに愛しさが増していくのを感じました。

折れ曲がったままの指の不思議なグーも、ちょっと黒い肌も、耳の位置も、背中の長い毛も、すべてがどんどん愛しくなっていくのです。

そんな自分の感情が怖くて、嫌で仕方がありませんでした。

我が子を可愛く思う気持ち、愛しく思う気持ちが怖くて怖くて一生懸命なんとか蓋をしようとしました。

そして彼の物は極力買わないように、増やさないように努めました。

だって、どうせ死んでしまうのですから。

 

私はNICUで彼を抱っこしながら、窓からふりそそぐ太陽の光を浴びている時間があまりにも穏やかで何度も静かに涙を流しました。

 

その後、彼は2週間のヤマを乗り越え、心臓に開いていた2ミリほどの穴を塞いでしまい(自力でね)、呼吸器から脱却するという快挙を成し遂げました。

私と亮一さんは何度もいろんな決断を迫られ、何度も話し合いをして、何度もドキドキしながら私たち夫婦の決断を先生に伝えました。

 

今なら手術ができそうですが手術はしますか?もしもの時に延命治療はしますか?もしもの時に人工呼吸器は付けますか?一度人工呼吸器をつけてしまうとなかなか外せませんが?…などなど盛りだくさん。

 

生まれてすぐの我が子の命に関わることの決断を、何度も何度もしなければなりませんでした。

これはなかなかにきついことです。

いつだって『死』が隣り合わせであることをこれでもかと突きつけられたのです。

 

「どんどん天太が愛しく可愛くなっていってるの。怖いの。もう嫌だよ。どうせ死んじゃうんだったら早く死んじゃえばいいのにって思っちゃうの。そんなことを思っちゃう自分もなんなの?!って思うの。もう嫌だよ。」

 

私は亮一さんに何度もそんなことを言いました。

その度に亮一さんはじっくりと話しを聞いてくれて、そしてこう言ったのです。

 

「うんとさ…俺はこう思うんだ。いつだってなんだって唯一無二の自分の人生の『彩(イロドリ)』なんだなぁって。」

 

私は亮一さんのその言葉を聞いて、なんだか目がパッと開いたような気がしました。

 

彩。

イロドリ。

これは私の人生の中の彩なんだ。

 

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木に登ってレモンを獲る亮一さん。イロドリだなぁ。

 

 

まぁパッと目が見開いたからといって、身体と心のしんどさは変わらなかったんですけどね。笑

でも視点ができた。

彩なんだという視点ができたのはとても大きかった。

 

その後、天太さんは驚異の回復?成長?を遂げ、生後4か月頃についにNICUから出ることになります。

 

・口からミルクを飲むことができない。(鼻からチューブを入れてそこから点滴のようにミルクを入れていく。←1日7回。)

・自力でウンチを出すこともできない(浣腸を一日2回ほどする。)

・飲ませるお薬の種類がいくつもある。(シリンジで鼻チューブから入れる。)

・身体がめちゃくちゃ弱い。(すーぐ感染症にかかる。)

・いつまでたってもふにゃふにゃのまま。(首ずっとぐにゃぐにゃ。)

・いつ死んじゃうかわかんないって言われている。

 

↑これ。この状態で家に帰ってきたのです。

 

そりゃ嬉しかったですよ。

生まれてから添い寝を一度も出来なかったんですから。

やっと一緒に寝られる。なんて思ってね。

でもそれ以上に不安で不安で仕方がなかった。

家には3歳になったばかりの娘がいます。

その娘のお世話と天太のお世話(やることいっぱい!!)、そして亮一さんのゴハン作りや家事。

なんだか大変そうだけれど、何が大変かもわからない状態でした。

 

さて。

ここから私はかなり疲弊していきます。

やることが多すぎて…な部分もかなり大きかったけれど、それ以上に自分の中の『べき』や『こうでなければ!』や『これだけはゆずれない』がどんどん如実に露呈してきたからだと思います。

この後私に、今思い出しても二度とあの時には戻りたくないっ!!と切実に感じてしまうほど辛い時がやってきます。

まぁそれも彩なんですけど。

 

長くなってしまったのでその話しはまた次回。

『あきらめる』に必ず辿り着きますから(笑)、どうか最後まで読んでくださいますように。

また来月お会いしましょう。

それまでお元気で!

 

ではまた。

 

 

 

山田麻子 今月のひと筆。2020年 6月

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Ⓒ Asako Yamada

 

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鳩時計/cuckoo clock

 

 

山田麻子公式 HP

山田麻子 手書き暦 ✳︎2020年版の受付は終了しました。来年をお楽しみに!

 

オン・メディテーション by Sri M ③ ー都合が良く素晴らしい真理を求める「スピリュアル・エンターテイメント」という障害。

現在『ヒマラヤの師と共に』のSriMの最新作『On Meditation-オン・メディテーション』。ご紹介、第三弾です!

今回は、こんな痛烈な指摘をご紹介します。

『On Meditation』では、ヨーガの伝統を踏まえながら、現代的な生活の中で瞑想に親しんで行く方法について、陥りがちな方向について、ユーモアを織り込みつつ、的確なガイダンスが繰り広げられています。

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On Meditation 第6章「 瞑想における障害物」より抜粋

 

古めかしい宗教的な儀式や慣習から自由になったと、無宗教の現代人は喜んでいます。しかし、実際、彼らはただ表面的に異なる慣習儀式を作り出しているだけなのです。人間の心が新たな慣習儀式に傾倒すれば、人間の心の集合体である社会にも新たな決まりごとができます。娯楽も慣習儀式の一つです。慣習儀式は多くの人にとって必要なことですが、真に自由な人物にはもはや無縁なものです。どんのような慣習儀式も必要のない人物は真に自由だと言えるでしょう。もちろん、無理に表面的な真似だけをしても仕方がありませんが。

 

一般的に、人々は自分にとって都合の良い事実のみを求めます。純粋に真理を探究する人は稀です。「スピリチュアル・エンターテイメント」という言葉で表されるように、魂の成長においても人々は娯楽を求めます。もしくは、彼らにとって都合がよく、素晴らしい「真理」を。

 

または、安定を求めている人たちもいます。真理が表面上の安定や安心とはむしろ直接に関係ないものだとわかった途端に、これらの人たちは探究をやめてしまうのです。むしろ、真理を求める過程では、安定や安心のための土台は全て崩れ去り、「自分」というアイデンティティを構成するありとあらゆるものが失われるのです。これは本当に真剣な人でなければできません。

それでもあなたは真理を求めますか?

 

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