【ヒマラヤの師と共に】ー訳者 青木光太郎さんより 一般発売にあたって。
『ヒマラヤの師と共に』一般発売にあたり、訳者の青木さんより読者の皆さまへ、メッセージを頂きました。どうぞ、ご一読ください。
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インドはヒマラヤからお届けてしております。 こちら坊主頭には厳しい冬を迎えています。
『ヒマラヤの師と共に』 が書店で販売を開始されたという嬉しいお知らせと共に、 蓮華舎の大津さんがインドまで本書を送ってくれました。 インドのリシケシで本書の英語版を手にとってから早1年半。 日本語の訳書がこうして形になったことに関係者の皆さまには感謝 するばかりです。 何人かの読者の方からもご好評をいただきまして、 大変嬉しいのと同時に、実は少なからず驚いている自分がいます。
なぜかというと、 本書は文化的にも地理的にも遠い世界の物語であるので、 一体どのくらいの日本の人が共感するものだろうかという懸念が私 にはあったからです。実際、 現代の日本と本書に描かれるインドの間には、いわゆる「先進国」 と「発展途上国」 というラベルにはおさまりきらないギャップがあります。まして、 著者が放浪をしたヒマラヤの山々、 彼が師事した修行者たちとの交流から垣間見える世界というのは、 おとぎ話だと思われても仕方がないような異世界です。
それでも、埋めようのないギャップにもかかわらず、 読者に語りかける不思議な力を本書は持っているようです。一体、 本書は私たちのどこに語りかけてくるのか? これは本書の表紙の帯にもある「全ての私たちに共通する「私」 、つまり、 全ての人の中にありながらも移り変わりを通しても不変、 共通の何かが、 語りかけに耳をすましているのだろうと私は考えてしまいます。
ここでいう「私」を、ヒンドゥーの「真我」または仏教の「空」 というのか、それともキリスト教の「神」や哲学の「真理」 と呼ぶのかは、単に宗教や文化、 歴史背景の違いに過ぎないことでしょう。重要なのは、著者が「 私」を探求していく物語を読む中で、この「私」 に向けて読者の意識が広がっていくということです。このために、 本書はヒマラヤ山脈やインドの放浪記という外面の旅物語でありな がら、読者を「私」 へと誘う深い内面の旅物語でもあると言えます。そして、 この本を読んで自分も内面の旅をしようという人は、 現実に著者という導き手に会って旅路の相談をすることもできるの です。
もちろん、冒険物語やインドの歴史資料として読んでも、 本書は大変おもしろい読み物になっています。実際、 翻訳者としても信じがたいような場面が本書には頻出するため、 フィクションとして読んでも楽しめるでしょう。 読者の求めるものによって得られるものが大いに違ってくる懐の深 い書物ですので、是非一度手にとっていただければと思います。
現在、同著者の「On Meditation」を翻訳中です。 こちらは打って変わって具体的かつ実践的な、 手取り足取り調の瞑想の指南書になっています。 乞うご期待ください。