蓮華舎のブログ。

出版社 蓮華舎のブログです。新刊のこと、著者のお話、寄稿、取材記、舎長の日誌など。

子育てなんかできない! 第7稿 ゆっきぃ

《私は妊娠出産育児?で『あきらめる』のパワフルさを知りました。⑥

 

みなさんこんにちは。ゆっきいです。

毎日暑いですねー。

やっと夏がきた!って感じで嬉しい限りです。(私は夏が大好きなんです!)

『あきらめる』について書き始めてもう半年が経つんですね。

早いなぁ。というか、かなり引っ張りましたね。笑

ここまで止めずに読んでくださっている方、すごいです。

ありがとうございます!!

まだ読んでない方、もしよかったら最初から読んでみてくださいね。↓↓↓

子育てなんかできない!1~6稿

 

さて。

私の息子、天太さんの命日は8月8日です。

今これを書いているのが8月8日なんですが、先ほど家族みんなでお墓参りにいってきました。

毎年この日が近づくと、天太さんと過ごした日々や亡くなった日のことをぶわーっと思い出します。

そして胸がほわっと温かくなるんです。

悲しくなるわけでもなく、苦しくなるわけでもなく、痛くなるわけでもなく。

ただただほわっと温かくなるんです。

それから「あー天太さん可愛かったなぁー」「一緒にいられてよかったなー」「愛しかったなー」「今も愛しいなー」という言葉が私の口から出てくるんです。

自然に。溢れ出るように。

 

 天太の1年4ヶ月間ほどの人生の最期はとてもとても見事でした。

亡くなる1週間ほど前から体調を崩して入院をしていたので、亡くなったのは病院です。

亡くなる直前、「まだ助かる可能性は…あります。人工呼吸器を付けますか?」と先生から最後の判断を求められ、私たち夫婦は迷いながらも「付けません。」「でも苦しそうな姿が見てられなかったら付けて下さい。」と言いました。

先生は「助かる可能性はまだある。」と言っていたけれど、どう見ても人工呼吸器を付けても助かる可能性は低そうでしたし、一度人工呼吸器を付けてしまうと外すことがとても困難になるからです。

(自宅にもなかなか帰ることができなくなります。)

天太さんが苦しそうな姿は見たくない。

だけれども人口呼吸器を付けるのは嫌だという苦しい迷いでした。

(なるべく延命措置的なことはしたくなかったんです。天太さんには似合わない気がしたからです。)

 

挿管をして、酸素をMAXで流しても体内酸素量が減っていく天太さん。

体内酸素量が減らないために、手動のポンプのような機械で空気を一晩中流し続けてくれていたのは看護士さんや先生たちです。

「その手動で空気を流すのはもう止めてもいいです。そう先生と話し合いました。」

と、ポンプで空気を送ってくれていた看護士さんに伝えたときは「私は息子が死んでもいいです。」と言っているんだな…とほんの少し自分を責める気持ちが湧きました。

看護士さんは微妙な表情で「あ…はい…。」と言いながら手を止め、そっとその場を離れました。

体内酸素のパーセンテージがわかる機械の数字がゆっくり、ほんとうにゆーーっくり1%ずつ減っていくのをジッと見つめ、天太さんの様子を伺う私たち。

まったく苦しそうな表情を見せない天太さんはゆっくりと目をつぶり、とてもリラックスしているように見えました。

 

私は天太さんに「愛しているよ」「ほんとに可愛かった」「お世話ちゃんとできなかったかもしれないけど私にお世話をさせてくれてありがとう」「私たちのところにきてくれたこと感謝している」「大好きだよ」と、わんわん泣きながら存分に気持ちを伝えました。

 

体内酸素量が30%ほどになった時、先生が「よかったら抱っこしてあげてください」と言いました。

私はリラックスした様子の天太さんをそっと抱っこしてなんどもキスをしました。

ゆっくりゆっくり1%ずつ数字が減っていき、とうとう10%になった時、天太さんは大きく息を「スウーーッ!」と吸ってから「ハァッ!」と息を吐き出しました。

私はその様子を見て「え?!」と驚いたのだけれど、すぐに「あぁこれで終わりなんだ。」と感じました。

先生がライトで天太さんの瞳孔を確認して脈をとり、「ご臨終です。」と言いながら「うぅ…」と声を詰まらせて泣きました。

たくさんの先生や看護士さんが天太さんを囲み、みんなで天太さんを見送りました。

当時3歳だった娘はきょとんとした顔をしながら「天ちゃん寝てるの?」と言い、亮一さんが「天太は死んじゃったんだよ。」とほんとうのことを伝えていました。

私は「あぁ、ほんとにこれで終わったんだ…」となんだか言葉にできない気持ちでいっぱいでした。

 

今思い出してもその時のことはとても鮮明です。

あの時の病室の空気、質感、色、光の射し方、全てをありありと思い出せる。

そこに悲しみはありません。

そこにあるのは「あぁ人ってほんとに死ぬんだな」「人が死ぬ時って息を大きく吸って一気に吐き出すんだな」という体験と切なさと愛しさだけです。

そして今、思い出すと湧いてくるのは「愛してたなー」「今も愛してるなー」という想いです。

 

 

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当時3歳だった娘もこんなに大きくなりました。近所の人懐こい猫がひと際娘に懐く図。

天太さんが亡くなってから、私は一回も悲しみにくれたことがありません。

自分の息子が亡くなったのに泣き崩れることもなく、切なさを感じながらもすぐに笑って毎日を過ごしていました。

私は天太さんが亡くなった時、清々しさすら感じていたのです。

きっとこんなことを言ったら「信じられない!」「ひどい母親だ!」「愛情ってもんがないのか!」と嫌悪感を持つ方もいるでしょう。

私もほんのちょっぴりだけそこに罪悪感を感じていました。

こんなんでいいのか?と。

でもすぐに「まぁほんとのことだししょうがないか」と開き直るのです。

そしてすぐに亮一さんや娘とケラケラとふざけあうのです。

 

私がこう在れたのは天太さんが亡くなるまでの間、『あきらめる』を日常的にやっていったからでした。

亮一さんは「ゆっきぃの中に天太を愛しいという感情もある。と同時に早く解放してくれという気持ちもある。それがほんとのことなんだからそれでいいじゃん。」と言いました。

私は亮一さんのこの言葉で、これが『あきらめる』の意味だと気づいたのです。

 

 亮一さんは娘を出産した時から「出産と育児はゆっきぃに『あきらめる』を教えてくれてるね。」と言っていました。

でも、これが私にはなかなかわかりませんでした。

「あきらめる?は?あきらめちゃったらそこで終わりじゃん。」

「あきらめるなんてできないよ。だって理想は持ち続けなきゃ進めないじゃん。」

「あきらめるなんてそんな投げやりでどうすんの?」

と、かなりな反発心が湧いていたのです。

『あきらめる』をすっかり勘違いしていたからです。

 

『あきらめる』とは投げやりなことでもなんでもなく、ただただ『明らかに』『観る』こと。

そこに湧く感情も、反発も、憤りも、悲しみも、怒りも、ただただ『明らかに』『観て』いく。

 

「もういーよ!どうせ私の人生こんなもんだもん。もう諦める!」って感じのイメージが湧きません?『あきらめる』って。

なんだかネガティブな拗ねてるイメージが湧きませんか?

そうではなく、ジッと静かに『明らかに』『観る』が『あきらめる』。

 

天太さんを愛しいと感じているけれど、「早く死んじゃってくれよぉ~」という想いも湧いてしまうのが事実。

そこを排除しようとするのではなく、それをなかったことにしようとするでもなく、「そんなこと思うなんてひどい母親だ!母親失格だ!最低な人間だ!」と罪悪感から自分を責めてごまかすのではなく、罪悪感すらジッと静かに今起こっていることを正直に明らかに観る。

これを時に亮一さんの力を借りてやり続けました。

もちろん感情やストーリーに巻き込まれることも未だに多々あります。

でもそこをまた明らかに観ていくのです。

 

 娘を叱りたくなる時、コントロールしたくなる時、亮一さんに対して怒りが湧くとき、イライラが募る時、自分を叱責したくなる時、誰かに対して意見を言いたくなる時、どんな時もそれをジッと『明らかに』『観る』。

あきらめる。

すると何が起こると思いますか?

そのときグッと湧いた感情や衝動がスッと溶けて流れていってしまうのです。

(あ、もちろんすぐに流れない時もあるんですよ。私もまだまだあきらめが悪いところがありますから。笑)

そして人生というのは、瞬間瞬間何かがただ起こっては消えていくだけなんだということが体験としてわかるのです。

そこにどんな感情をのせるのか、どんな意味付けをするのか、選ぶことができるとわかるんです。(実際は選べてないかいないのでしょうけれど。)

 

 私にはまだまだ観念がたくさんあります。

モノゴトを最初から色を付けて観てしまいます。

ほんとうはまっさらに観たいのに、それがなかなか難しいということをあきらめようとしています。

『明らか』に『観よう』としています。

私にとって子育てと結婚生活は『あきらめる』の練習にはもってこいの体験です。

まだまだあきらめきれていない出来事が毎日のようにやってくるから。

天太さんはとことんあきらめの悪い私にガツンと見せてくれました。

現在9歳の娘はゆるゆるとずっと私にあきらめるを気付かせてくれています。

夫の亮一さんは時に同志として、時には師のように『あきらめる』を私に示してくれます。

 

 『明らかに』『観る』はとてもパワフルです。

“私”という存在はどこまでも広がっていて、そしてどこにもいないことが体験できるからです。

いかに“私”という存在を普段狭めているかがわかるからです。

 

私は『あきらめる』を知って、子育てなんかできなくなりました。

“育てる人”も“育てられる人”もどこにも存在しない。

ただそこに愛しさがあるだけで、それがとてつもなく幸福であることがなんとなくわかったからです。

 

でもまだまだ迷います。

まだまだ巻き込まれます。

どうでもいいことを狭く小さな『個の私』という思い込みの枠内でぐるぐるとさまよう時間があります。

だからこれからもあきらめつづけようと思います。

そのたびにあきらめようと思います。

そして広がり、また収縮して、そしてまた広がっていきたいと思っています。

 

長々と続けてしまったこの『あきらめるシリーズ』。

読んでくださってありがとうございます。

「子育てなんかできない!」というタイトルを舎長のおーちゃんがつけてくれた時、どうしてもこれは書きたい!と思ってしまいました。

現在の私の長い長い自己紹介です。

私は最愛の夫と最愛の娘と大好きな義母とめちゃくちゃ可愛い二匹の猫とのんびりと、時に焦り、時に不安にかられながらも『あきらめ続けて』生活しています。

亡くなってしまった心から愛する息子天太のことを時に思い出しながら。

 

来月からは何を書こうかな。

今から楽しみです。

よかったらまたお付き合いくださいね。

ではまた!

 

【舎長おーちゃんが行く!⑦】宝物のようなサバイバルツール。

長らく放置している、オーちゃんが行くシリーズ。。。

全然書けずにおりました。

 

毎日書くといいとか

その際はキーワードを入れるといいとか

SNSを駆使すべしだったり

ネットのあれこれを使うといいとか....

いろいろあるみたいですが^^; はっきり言って全然手が回っておりません。

 

会社を会社として成り立たせてちゃんと運営させていくことについて

ど素人の私にとっては、

いろいろと難しいことや元々苦手なことがたくさんあります。

意見のすり合わせやお金の計算などにもいちいち頭を抱えます。

はっきり言ってめんどくさいことだらけではありますし

なんでこんなこと始めちゃったのかなと悶々とすることも多々有ります。

でも、もうすぐ会社を始めて1年になります。

 

1年前の今頃は、契約を破棄された本の原稿をひっさげて、

インドまで行って著者に契約を取り付け、日本に戻ってきたところでした。

な〜んにも持ってない身軽だったあの頃に戻りたいよぉ〜!!と

ちょっとだけ(いやかなり)思ってブルーになっていましたが...

時の流れは早し!

あの頃とは全然違う環境に身を置いていて、

こんなでも今の自分の方が断然好きです。

 

先日実情を知らない方にお会いした時に、

蓮華舎には10人くらい社員がいるのかと思った!!

と言われてこちらがびっくりしましたが、そりゃそうですよね。

「会社」というのは、そういうものでしょう。

しかし!実情は、ほぼ舎長オーちゃん(つまり私)1人で運営しています。

でも、手助けをしてくださる方がたくさんいて

ジタバタしながらもなんとかやってこれています。

ありがたいことです。

 

現在は、SriMの次作、オン・メディテーションの発売のための

最後の原稿チェックと外装を整えるのと同時に

本を作るための資金の確保をなんとかしようと思っているところです。

コロナの状況を見ながらですが、

秋前にはみなさんにお届けできたらなと思っています。

動画も配信始めたので、ぜひご覧くださいね。

 

そして、次に、まだまだ知られざる研究である

「音と形ーフォノグラム」の世界を世に出すプロジェクトも進行中。

今せっせと原稿を整えています。

https://www.youtube.com/watch?v=BDe9bopUIa8

(おにょtv特別配信最終回!面白かったと大変評判のこちら⇧もぜひ!)

 

先日は、京都で、ルン・ルの会を主催する植原紘治先生と、

フォノグラムの小野田さんと一緒にお話しをする時間を持つことができました。

楽しくて、深かったな〜

 

ルン・ル一筋数十年の植原先生については

巨きすぎてここに書くことはできませんが、

先生がひとたび息を吐くと、風が巻き起こり、渦を巻き、

その中心から太古の響きが現れます。

体験すれば、わかっていただけると思う。

ルン・ルの響きは、日本の、世界に(宇宙に)誇る宝物です。

よかったら、こんな本と、こんな動画もオススメです。

 

 

そして、音と形、そして人間の意識について探求し続けている

小野田さんとの面会は、深いところで

とても重要な意味のあるものだったと確信しています。

 

結局のところ、未知のものに出会うためには

自分の存在でもって飛び込んでいくしかないのだと思います。

難しく思えても、よくわからなくても、とにかく体験するしかない。

そして...

これからは、目に見えることと同じように

見えないことも大事にしながら進んでいくことが

誰にとっても大切になってくるのではないかなと思っています。

 

目に見えることは、本当にわずかです。

私たちは、見えるものと同様に、見えないものを感知しながら、

自分の感覚と、衝動と、良心とに従って、

この現実世界を泳いでいかなければなりません。

 

特に大都市にあっては、コンクリートジャングルですが、

その合間にあっても野生の感覚をせっせと磨きながら

生き抜いていけたら、結構なサバイバルではないでしょうか?

サバイバルには道具が要ります。

 

蓮華舎は、そんな今生のサバイバルに必要な

宝物のような最終兵器(!)をこれでもかと届けて行こうと思っています。

この兵器は生きる喜びを蘇らせてくれる、とっておきなのです。

ぜひ!一緒に目撃しながら楽しんでくださいね。

 

それでは!!

 

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左、小野田さん。右、植原先生。舎長やつれていると評判の写真ですが元気です。

 

 

『オン・メディテーション 』刊行に向けてーSriM動画(邦訳あり)公開!なぜ瞑想するのか③

『ヒマラヤの師と共に』のSriMの最新作!

『オン・メディテーション 現代を生きるヨーギーの瞑想問答』発行に向けて!

「私たちはなぜ瞑想するのか③」

昨年のパブリックに向けた講演会の内容で、とてもわかりやすい動画になっています。

本への導入として是非見ていただきたいです。

本書はマインドフルネスや呼吸と身体、ヨガ、そして意識について余すところなく88のQ and A方式で書かれています。お楽しみに!

「『プールナ』のことを「あの至高の実在」といい、それがここに遍満している、ということを意味しています。

これは、あらゆる物事や状況や場所であっても至高の実在が存在していないものはない、ということです。私たちはそれを「イーシャー」至高の実在と呼びます。

この遍満している実在がこの宇宙を動かしている。この世界で動かないものがありますか?動いていないものがあるかと思われるかもしれませんが、必ず動きますね。

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 Part1-1はこちら:

https://www.youtube.com/watch?v=49rRCNrGN48&feature=emb_logo

Part1-2はこちら。

<一部抜粋>

1000年前の古典である『イーシャヴァーシャ・ウパニシャッド』では、至高の実在についてこう語っています。

isavasyam idam sarvam yat kinca jagatyam jagat

tena tyaktena bhunjitha ma grdhah kasya svid dhanam 

 イーシャヴァーシャミダム サルヴァン--先ほど言っていた「プールナ」のことを「あの至高の実在」といい、それがここに遍満している、という意味です

 これは、あらゆる物事や状況や場所であってもそれが存在していないものはない、ということです。私たちはそれを「イーシャー」至高の実在と呼びます。

ヤットキンチャジャガッティヤム ジャガット--この遍満している実在がこの宇宙を動かしている。

です。サンスクリットで宇宙は「ジャガット」です。「ジャがティヤーン」は「動かすもの」です。この世界で動かないものがありますか?動いていないものがあるかと思われるかもしれませんが、必ず動きます。

.....(続きは動画をご覧下さい)

  

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『オン・メディテーション 』刊行に向けてーSriM動画(邦訳あり)公開!なぜ瞑想するのか②

『ヒマラヤの師と共に』のSriMの最新作!

『オン・メディテーション 現代を生きるヨーギーの瞑想問答』発行に向けて!

「私たちはなぜ瞑想するのか②」

昨年のパブリックに向けた講演会の内容で、とてもわかりやすい動画になっています。

本への導入として是非見ていただきたいです。拡散歓迎!

私たちは「不完全」に感じられるものを「完全」にしたいと願います。

 私たちが絶えず活動するまさにその理由とは、私たちがある種の「完全」を求めているからであり、完全を求めているということは、現時点で自分自身が完全でないことがわかっているからといえるでしょう。

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 Part1-1はこちら:

https://www.youtube.com/watch?v=49rRCNrGN48&feature=emb_logo

<一部抜粋>

私たちは皆人間です。共通して「探求」しますね。

私は映画俳優になる、とかです。

もっとも私はあまり興味がありません。

なぜなら、皆この世で役を演じているにすぎないからで、それで十分だと思われるからですが、

とにかく、ビジネスマンになりたいとか、何にもしたくないとか、思う人もいますね。

それでは、こういった事に関して、皆が探し求めている大事な事というのはなんでしょうか。

 「幸せ」ですね。

.....(続きは動画をご覧下さい)

 

  

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山田麻子 今月のひと筆。2020年 8月

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©Asako Yamada


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【太陽禮拝】

遠くのあなたにも太陽が当たりますように。

私の太陽もあなたの太陽も輝きますように。

太陽に感謝。

 

山田麻子公式 HP

山田麻子 手書き暦 ✳︎2021年版の受付がもう少しでスタートします。来年もお楽しみに!

 

『オン・メディテーション 』刊行に向けてーSriM動画(邦訳あり)公開!なぜ瞑想するのか①

『ヒマラヤの師と共に』のSriMの最新作!

『オン・メディテーション 現代を生きるヨーギーの瞑想問答』

 

発売日はまだ調整中ですが、刊行に向けてSriMの瞑想についての動画を少しずつ公開していきます!

「私たちはなぜ瞑想するのか①」

昨年のパブリックに向けた講演会の内容で、とてもわかりやすい動画になっています。

本への導入として是非見ていただきたいです。

「私たちの命の源は何であるのか? 社会的な名前や形で表されるだけの存在なのか?、」、、、

どうぞ、ご覧下さい!拡散歓迎です!

 

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www.youtube.com

<一部抜粋>

今日は、なぜ瞑想するのか、明日はどのように瞑想するのかについて話していきたいと思います。

なぜ瞑想するのか。

たくさんの人々が瞑想をしますね。ですので、なぜ瞑想するのかについては多くの理由があるでしょう。同時に、瞑想に興味を示さない人々もいます。

 

ですので、今日私は「どうして瞑想をする人は瞑想をするのか?」ということについて話をしたいと思います。同時に「どうして瞑想をしていない人にとっても瞑想を始めることをおすすめできるのか」についても。

 

そして、明日は、瞑想に対しての異なるアプローチ方法についても見ていきたいと思います。

それでは、瞑想とはなんだろうか、について見ていきましょう.....

(続きは動画をご覧下さい)

 

 

 

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『オン・メディテーション 現代を生きるヨーギーの瞑想問答』ー目次初公開!

『ヒマラヤの師と共に』のSriMの最新作!

『オン・メディテーション 現代を生きるヨーギーの瞑想問答』目次を公開致します! 

誰しも抱いたことのあるだろう瞑想についての素朴な疑問から、究極の在り方まで。
ぜひ一度目を通してみてください。
次回から、 瞑想についてのSriMの動画を公開していく予定です、お楽しみに!

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目次

1 なぜ瞑想をするのか

Q: 瞑想とは何ですか?            

Q: なぜ瞑想をすべきですか? 

Q: 人々が瞑想を始める理由は何ですか? 

Q: 人生の困難や病気、負の感情や鬱の対処に瞑想は有効ですか?    

Q: マインドフルネスとは何ですか? 

 

2 どのように瞑想をするか

Q: どのように瞑想をすべきですか? 

Q: チャクラ、特に第三の眼とされる「アージニャー・チャクラ」の瞑想法が重要だ

という話を聞きました。なぜこの瞑想法が重要なのですか?  

Q: アージニャー・チャクラの瞑想法は瞑想の本来の目的から外れると聞きましたが、本当ですか? 

Q: 瞑想におけるイメージの重要性や活用法を教えてください。 

Q: パドゥカ(サンダル)と花を想像して師に祈りを捧げる瞑想とは、どのようなものですか? 

Q: クリシュナ神ハヌマーン神、女神カーリーなどの姿かたちを持つ神々への厚い信仰を持っていますが、このような場合はどのように瞑想をすれば良いですか? 

Q: ヴェーダーンティック瞑想とは何ですか?  

Q: 呼吸に意識を集中させる瞑想とはどのようなものですか? 

Q: マントラや神の名前を唱えながらでも瞑想はできるのですか? 

Q: 沈黙の時間を設けるべきですか? 

Q: 私は感情的な人間なのですが、瞑想における感情の役割とは何ですか? 

 

3 瞑想の姿勢と実践 

Q: 瞑想をする時間帯は重要ですか? 

Q: 瞑想のときは何を着れば良いですか? 

Q: 瞑想をするときの姿勢はどうすれば良いですか? 

Q: 背中や腰に支えを用いないと床に座れない場合はどうすれば良いですか? 

Q: 怪我などで寝たきりの状態のとき、横になったままで瞑想はできますか? 

Q: 瞑想をするときの手の置き場所と組み方はどうすれば良いですか? 

Q: 蓮華座で組んだ足の踵が下腹部にふれなくても大丈夫ですか? 

Q: 瞑想中は眼は開けておくべきですか? それとも閉じるべきですか? 

Q: 瞑想をして三十分ほどで足がしびれてきます。対処法はありますか? 

Q: 瞑想にはまっすぐな背骨が必要ですか? 背骨の形が瞑筋に影響しますか? 

Q: 瞑想中にリラックスすると、あくびが出たり、トイレに行きたくなったり、ゲップをしたくなります。瞑想の途中にしても大丈夫ですか?  

Q: アルコールを飲んでリラックスしてから瞑想をしても大丈夫ですか?

Q: 瞑想の前にコーヒーやお茶を飲んでも大丈夫ですか? 

 

4 瞑想中の体験

Q: 瞑想からどんな体験が得られるのですか? 瞑想における進歩とは何ですか?

Q: 悟りとは瞑想中に経験する神秘体験のことですか? それとも神秘体験は単に異なる意識の状態なのですか?

Q: 心が全く静まっても瞑想中の至福は感じられるのですか? 

Q: 「内面に向かう」とはどんな体験ですか? 無意識状態のことですか?

Q: 瞑想やヨーガの実践の初歩段階での体験が進歩している証であるのか、全く関係のない体験であるのかはどう判別しますか?

Q: 瞑想中にプラーナが上昇するとはどういうことですか?  

Q: 瞑想中に普段より思考が多くなるのは自然ですか?  

Q: 瞑想中の居眠りとサマーディの状態をどのように区別しますか?  

 

5 心の性質と心を静めるための方法

Q: 心の性質とはどういうものですか? どうすればそれに振り回されずにいられますか? 

Q: バガヴァッド・ギーターにある「心はあなたの最も力強い味方にも敵にもなる」の意味は何ですか? 

Q: 魂の成長において「娯楽に捕らわれてはならない」とあなたは言われますが、これはどういうことですか?

Q: 瞑想中にいつも思考が浮かんできて心が落ち着きません。なぜ心はお喋りなのでしょうか? 落ち着いて、静かな状態を保つことはできないのですか? 筋肉のように、必要なときにだけ心を使うことはできないのでしょうか? 

Q:人間は他人との交流を通して自分自身を理解する一方で、一定の期間の孤独も心の働きを理解するには重要だと言われます。これはどういうことですか? 

Q: 孤独の期間を設ける場合に、夫妻はこの期間を別々に過ごすべきですか? または一緒過ごすべきですか? 

Q: 心の働きを理解するのに内観は重要なのですか? 

Q: 心を静かにするためには瞑想が唯一の手段なのですか? 他に何か手段がありますか? 

Q: ポジティブ思考に関するアドバイスをいただけませんか? 半分が水に満たされたコップを見ても「半分が空である」というように、私はいつでも消極的な見方をすると家族に言われます。 

Q:通常の人間の脳の八割が使われていない状態だとされています。どのようにこの部分を目覚めさせることができますか?

Q: 境地の高い人物の心とはどのようなものですか? 

Q: 世の中の全ての問題は人間の心にあるとあなたは言われます。この心、あの心、全ての心に問題の種が潜んでいると。しかし、個人の意識は微細な、永遠の意識に繋がっているのではないのですか?

Q:それでは、この問題をどうやれば取り除くことができますか? 

Q:しかし、問題をはっきりと見極めたとしても……

Q:しかし、問題に向き合ったとしても……

 

6 瞑想における障害物

Q:瞑想が楽しくなくて、すぐに退屈してしまいます。瞑想の代わりはありませんか?

Q:瞑想中に眠くなってしまう人はどうすれば良いですか? 

Q:瞑想の習慣が続きません。また、瞑想中に気が散ってしまいます。どうすれば良いですか? 

Q:ストレスを感じる人や状況に対処するとき、心を空にするのはとてもむずかしいです。思考が心に浮かんでくるままにすれば良いですか? 浮かばないように抑えるべきですか?

Q:瞑想中に未来への不安や過去の恐れで心が一杯になります。対処法を教えてください

Q:瞑想中に特に不安や恐怖がはっきりとしてきます。

Q:怒りなどの感情も同じように対処できますか?

Q:感情をそのままにしておくよりも、抑圧してしまう方が単純ではないですか? 

Q:感情の起伏から自由になるためにはどうすれば良いですか?  

Q:怒りの感情の源とは何なのでしょうか? 

Q:執着を手放すこと、心を自由にすることが大事だと言われます。しかし、心を自由にしようとすればするほど、思考が心にのぼってきます。良い解決法や手段はありますか? 

Q:マインドフルネスの実践においては思考が問題であり、障害物なのでしょうか? 思考が分断や葛藤といった問題の根幹にあると私は思います。どのように対処をすれば良いですか? 

Q:瞑想を始めるとすぐに考え始めてしまい、普段よりも思考が活発になります。これは自然なことですか? 

 

7 瞑想と日常生活

Q:家庭や仕事の都合で忙しくて瞑想をする時間がありません。どうすれば良いですか? 

Q:周りの雑音、家事や他の用事で気が散ってしまいます。対処法を教えてください。

Q:特定の食べ物や過食は瞑想によくないと聞きました。どのような食生活を送るべきですか? 

Q:瞑想中の居眠りは肥満にも原因があると聞きました。何かおすすめな運動はありますか? 

Q:なまけてしまって自制心がありません。どうしたら良いですか?

Q:瞑想に近い意識の状態を仕事中にも保つためには、どうすれば良いですか? 

Q:一点に意識を集中させる「エーカーグラター」の瞑想法があると聞きます。これは一人で座って一つのものを考えることですか? 意識を一点に集中させて何かをするのも「エーカーグラター」になりますか?  

Q:世の中で困難な状況に直面しているときでも、全ての存在との一体感を維持できるようになる瞑想法やクリヤ・ヨーガはありますか?  

Q: 自分自身を知るために瞑想は重要だとあなたは言われます。瞑想をしていなくても自分自身の弱みや強みを熟知している場合にも、瞑想は必要ですか? 

 

8 瞑想の助けとなるもの

Q:瞑想をするためにはクリヤ・ヨーガを学ぶ必要がありますか? 

Q:クリヤ・ヨーガとは刺抜きのための針のようなものですか? 

Q: 呼吸の観察は瞑想に効果的だとされます。呼吸はどう身体と心に繋がっているのですか? 

Q:ヤマとニヤマに沿って日常生活を送ることは瞑想の進歩に繋がりますか? 

Q:アーシュラムやリトリートなど、グループでの方が瞑想はしやすいのでしょうか? 

Q:講話を毎回楽しみにしています。聞くたびに幸せになり、瞑想をもっと頑張ろうと思います。講話を聞くことは瞑想の実践にとって良いものですか? 

Q:自然の中にいると心が落ち着きます。自然の中で時間を過ごすのは良いことですか? 

Q:過去に聖者や覚者がいた場所で瞑想をするのが好きです。このような場所でもっと時間を過ごすべきでしょうか?  

Q:美しい賛美歌を聞いていると至福、愛、平安で心が満たされます。音楽は瞑想に良いものですか? また、音楽を聞く行為そのものは瞑想になりますか? 

Q:沈黙を守ることは内面に向かう手助けになりますか? また、心の静寂とは何ですか? 

Q:瞑想の実践と心の浄化は共に行わなければならないと聞きました。どのようにすれ心の浄化ができるのでしょうか?  

Q:聖火の前に座る瞑想法があると聞きました。この瞑想法について教えてください。

Q:聖者ラマナ・マハーリシの教えた、本当の「私」を知るための瞑想法とは何ですか? 

 

9 瞑想における師と恩寵の役割 

Q:瞑想をするのに恩寵や師は必要ですか? 

Q:恩寵は常に共にあり、開かれた心は恩寵を受け入れられるとは、どういうことですか? 

Q:恩寵を受けるために何かを信じたり、探したりする必要はないのですか?

Q:魂の成長のために必要なのは時間ですか? 努力ですか? 恩寵ですか?

 

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