蓮華舎のブログ。

出版社 蓮華舎のブログです。新刊のこと、著者のお話、寄稿、取材記、舎長の日誌など。

装丁家、芦澤泰偉さんの事務所に行ってきました!

『目覚めの力』刊行応援ファンディング実施中!

 ☆ファンディング詳細はこちらのページをご覧ください☆

 ☆『目覚めの力』の「はじめに」をこちらで公開しています。

 

本日は、『目覚めの力』の装丁をしてくださる日本でも屈指の装丁家

芦澤泰偉さんの事務所へ行ってきました。

 

芦澤さんに装丁していただいた本には魔法がかかったように輝きが付加されます。

特に、『母の力』では、なかなか表紙のイメージが固まらずにいたとき

レオナルド・ダ・ヴィンチの母子のスケッチを提案してくださいました。

まるで想定していなかった方向性であるのに、

「最初からそうなることが決まっていた」かのような神がかかった提案に

和平先生と共に感嘆の声を上げたことが、まだ記憶に新しいです。

 

三部作『恩寵の力』『母の力』、そして『ヒマラヤの師と共に』や『オン・メディテーション』に至るまで、

蓮華舎の本は幸運にも、芦澤さんに装丁をしていただいています。

芦澤さん

 

 

 

 

装丁家

#装丁

#芦澤泰偉

#デザイン

#蓮華舎

#新刊

#目覚めの力

「目覚めとは?マーヤとは?」『目覚めの力』刊行に寄せて 和平先生特別インタビュー① 公開!

【『目覚めの力』刊行に寄せて 和平先生特別インタビュー① 公開!

蓮華舎のYouTubeにて、公開されました!
「目覚めとは?」「マーヤと目覚めの関係」など
なかなか表に出ない和平先生の貴重なインタビュー動画になりました。
ぜひご覧ください。
 
今後3回にわたり公開していきますので、どうぞお楽しみに!

刊行応援ファンディング早くも達成しました。ありがとうございます!!

【『目覚めの力』刊行応援ファンディング実施中!】

 ☆ファンディング詳細はこちらのページをご覧ください☆

 ☆『目覚めの力』の「はじめに」をこちらで公開しています☆

 

刊行応援ファンディングにご支援くださった皆さま誠にありがとうございます。

皆さまのご支援のお陰で、

現在、2,058,030円となりました。

予想をはるかに上回って、開始二週間での達成となりました。

皆さまのご期待の大きさだと思います、本当にありがとうございます。

 

今後、書籍を入稿するまでの期間(目安として12月半ば過ぎまで・HPで連絡します)は

引き続きリターン特典ありでの実施を継続いたします。

紙・印刷費を含む原材料の値上がりが原価に反映しますので、

ご支援はたいへん有難いです。

 

取り急ぎのとお礼とご報告になります。

 

ファンディング達成です!

 

#蓮華舎 #新刊 #岩城和平 #目覚めの力 #三部作 #クラウドファンディング

刊行応援ファンディング、達成間近!コメントのご紹介

【『目覚めの力』刊行応援ファンディング実施中!】

 ☆ファンディング詳細はこちらのページをご覧ください☆

 ☆『目覚めの力』の「はじめに」をこちらで公開しています☆

 

刊行応援ファンディングにご支援くださった皆さま誠にありがとうございます。

皆さまのご支援のお陰で、開始10日にして(驚愕の)目標金額の9割に達することができました。

 

たくさんのコメントをいただき、とても励まされました。

その一部をこちらにご紹介させていただきます。

--------------------------------------------

★「恩寵の力」「母の力」ありがとうございました。何度も助けられました。

「目覚めの力」楽しみに待っています。

 

★『恩寵の力』、『母の力』繰り返し読ませていただいております。目覚めの力が出版されることをとても楽しみにしていました。

このような霊的に意義深い本の出版に協力させていただけて、大変うれしく、光栄に思っております。

 

★恩寵の力と母の力も何度も読ませていただいております。とても感動して、毎日のように読ませていただいております。

 

★いよいよ完結ですね。楽しみにしています。

 

★出版不況が叫ばれているこのご時世、3部作を出版していただき感謝しかありません。

 

★『目覚めの力』。。。タイトルからしても凄さが伝わってきますね。
死についても触れて下さっているところも、大変興味深いものがあります。
本当に楽しみにしております。

 

★素敵な説明で感動しました。頑張ってください。応援してます。

 

★本の出版・刊行を、本当にありがとうございます。このように、私が応援出来る機会を与えて頂き、嬉しく思っています。微力ながら、今の私にできることで応援させて頂きたいと思います。

 

★応援してます!本、めちゃくちゃ楽しみにしてます!

 

★「目覚めの力」のクラウドファンディングを知り、ぜひ協力させていただきたいと思いメールいたしました。

和平先生にはお会いしたことはないのですが、かねてから別の方のブログで存じ上げておりまして、ふと今年に入り先生の事を思い出して検索するとなんと、2冊の本(既刊)を出しておられると…すぐさま購入し、その世界観、言語化能力に魅了されました。

 

★ホームページ拝見いたしました。私も微力ながら応援させて頂きたいと思います。目標額に到達すると良いですね。本の出版、楽しみにしています。

--------------------------------------------

 

 

 

#蓮華舎 #新刊 #岩城和平 #目覚めの力 #三部作 #クラウドファンディング

『目覚めの力』刊行応援ファンディングを実施します!

【『目覚めの力』刊行応援ファンディング実施中!】

 ☆ファンディング詳細はこちらのページをご覧ください☆

 ☆『目覚めの力』の「はじめに」をこちらで公開しています☆

 

皆さま、こんにちは、蓮華舎の大津です。

これまで蓮華舎では、岩城和平先生の『恩寵の力』と『母の力』という二冊の本を送り出してきました。

いずれも、伝わるひとにとっては目の覚めるような(伝わらないひとにはさっぱり伝わらないだろう)鮮烈なエネルギーを伴った書籍になりました。

そしてこの度、三部作の最終作『目覚めの力ー悟りと死が教える人生の目的(仮)』刊行へと向けて、着々と(いや、少し、遅れておりますが....)準備をしています。

やっとここまでたどり着きました。

 

本作のテーマはタイトルからわかる通り、自己探求をする人にとっての目指すべきゴールである、目覚めの最終形態である悟り(そして死)にフォーカスがなされています。

 

本来、悟りや神といったものは、言葉であらわすことができないものです。

しかし、宇宙が始まる前からのことわりを、和平先生の卓越した言語化能力でもってあらわしめてしまった、というのが今回の『目覚めの力』です。

そしてそこには、言葉を使いながらも、言葉を超えて、私たちの魂に直接作用してくる、「目覚めさせる力」が、溢れんばかりに乗せられています。

 

本作の中には、こんな一説があります。

 

「悟りが在るのではない、神が在るのだ」

 

このテーマの幾多の本が世に出されているとはいえ、そんなことを言っている本には、私は今まで出会ったことがありません。

「絶対」が在る、ということを、観念ではなく、全身全霊でわかっている人から発せられる言葉には、必然的に、人を強くインスパイアする力があります。

それはとても透徹した言葉です。

 

同時に、前二作にも共通する、人生を全肯定させてくれる、言いようのないあたたかなエネルギーに満ちた教えが、根底にいつも流れています。

 

それこそが、和平先生という人であり、この本を大事に仕上げて、皆さんにお届けしようという原動力を与えてくれるものでもあります。

 

本というのはとても不思議なもので、言葉の持つ力が物質化したものでもあるのです。

『目覚めの力』が本になったとき、そして、三部作がすべてそろったとき、それがどんなエネルギーに満ちるのか、今からとても楽しみです。

 

どうぞ、みなさまのお力をお貸しください。よろしくお願い申し上げます。

 

蓮華舎

大津明子

 

 

【舎長おーちゃんが行く!⑨】たりた くみ さんのこと。

SNSで流れてくる投稿でたまに目にするたびに

気になって仕方のない人がいた。

 

その人の名前は たりた くみ さんと言った。

 

全く面識がないのに

笑顔があまりに素敵で目を奪われたのに加え、

「たりた くみ」という名前が頭から離れなかった。

 

どうやら彼女は、生前インターネット上で文章を書いていたようで

彼女の旦那さんが、そのページを紹介する投稿を度々されていた。

気になって仕方なかったので

私はある日、そこにリンクとして載せられていたページに飛び、

日付の古いものから開いて読んでみた。

 

多くは何気ない日常の一こまを切り取って綴られていたけれど

その飾り気のない、けれど温かいまなざしと洗練された文章に心が湧きたった。

 

子育てについても多くあって

小さい子を抱えての生活の苦楽が、回顧という形で鮮やかに描かれてあった。

 

私事になるけれど、

新米おかあさんになったことで、私の毎日はドタバタ最高潮!である。

 

毎日赤ちゃんの一挙手一投足に一喜一憂し

寝不足でくらくらしながらも、

一生懸命語りかけられる喃語に心を打たれ、

寒くないか、暑くないか、体勢は大丈夫か、お腹はすいていないか、、、

と、、、甚だ心もとないながらやっと月齢3か月を過ぎたころに

読んだそのたりたさんの文章が

実にすうっと私の心に響いて

とても励まされた気持ちになった。

 

 

もっと読みたいと思い、投稿を辿ると

「たりた くみ」はペンネームであることがわかった。

(これを書くにあたって、正確に書こうと思ったので探したものの

見つけられないため、記憶での記述になりますが、、、)

 

そして、そのペンネームの由来を紹介していたページに辿り着いた。

 

そこにはこう記してあった。

 

タリタ クミ 

とは キリストの言葉で

「少女よ、目覚めよ」という意味だ、と。

 

それを読んで、なんだか私は

ガーンとなってしまった。

 

たりたくみ たりたくみ

と頭から離れなかったのには、

この言葉の持つ不思議な力もあったのだな、と思わされた。

そして、それが

「たりた くみ さん」と出会わせてくれたのだな、と。

 

それから少し時間が過ぎたころ、

たりたさんの旦那さんが、

たりたさんがまとめたエッセイ集が出てきたので

欲しい方がいたら差し上げる、というような投稿をされていたので、

生前お会いしたこともないのに僭越だとは思いつつも

「読みたいです!」と言うと、

丁寧に、自宅まで本を送ってくださった。

 

『育つ日々』というタイトルとともに、

たりたさんの笑顔のような、

ポッと頬を赤く染めた女の人のイラストの入ったすてきな本だった。

 

そこには、同じく たりたさんが新米おかあさんになった頃の

気持ちの襞がたくさん記されてあった。

 

私たちは、子どもを授かると、

いきなり一人の人間の親になるのだなぁ!というのが

私が出産を体験してびっくり仰天してしまったことで、

当たり前と言えば当たり前なのだが、

子どもを授かる前と、大して変わっていないはずの自分なのに

何もかもが変わってしまうのだ。

 

そして

手足をバタバタさせながら

一日の内ですら姿かたちが全く変わってしまうような

赤ちゃんという、この莫大なエネルギーの塊を前に

私はただただ、毎日共に生きることしかできないけれど

その一瞬一瞬を、逃すにはあまりに尊すぎるように感じられて

その全部を掬い上げて

身に刻みつけて保存しておきたい、

という思いが日々沸き起こる。

 

『育つ日々』の中には、こんな文章がある。

 

<Hが一歳になった日>

 

今日でHは一歳になった。

Hが生まれて一年が経った。

Hが人間として生きた最初の一年だった。

私たちが人間の親として生きた最初の年だった。

これほど一年と言う時間が重かったことはなかった。

この一年という時間の中で

Hは目が見えるようになり

音が聞こえるようになり

あやされて笑うことができるようになった。

手でおもちゃを握ることができるようになった。

自分で寝返りができるようになった。

「おっ H、がんばれ、がんばれ!」

私たちはHの生命を突き動かしている力、

はっきりとした神の力を感じて胸がいっぱいになっていた。

 

 

目が見えるようになった!と感じられた瞬間、

はじめて笑ったときの顔、

はじめて「何か」に手を伸ばし、

そのぎこちない五指でものを掴んだ瞬間、

寝返りが成功するまでの数々の挑戦。

それらの瞬間瞬間を、たりたさんも刻んでおきたいと思ったに

違いなかった。

 

そして、たりたさんの子育てには、常に神が寄り添っていた。

 

車にはねられた「H」がたんこぶ以外無傷だったときは、

「『H』が車に接触する瞬間に彼を抱き留め、

ふわりと空中を飛んだ天使の姿が見えるような気がした。」

と記されているし

旦那さんのアメリカへの転勤に伴って、移住しなければならないときには

「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す土地に行きなさい。」

と、アブラハムが神から受けた命を思い出し、自身を鼓舞されていた。

 

私は、ある方に教えて頂いた

「『神を想える』ということは、それだけで恩寵である」

という言葉を、思い出した。

(念のために言っておくと、

私はキリスト教徒でも、特定の宗教を信仰している訳でもない)。

 

その言葉を聞いたときには

「頭ではわかるけど...」という思いが湧いてきたのだけれど

たりたさんの日記を見ていると

神と共に過ごす日々が、どれほど輝きに満ちているかに

思いを巡らさずにはいられなくなる。

 

そして、

たりたさんに出会えたことも含めて

そうか、これが恩寵なのか、と

はたと気づいたのだった。

 

『育つ日々』を送ってくださり、ありがとうございました。

たりたさんに会えて、よかった!

 

                  蓮華舎 大津明子

 

※『育つ日々』はこちらから読むことができます↓

http://grv.daa.jp/taritakumi/sodatuhibi.pdf

 

 

 

 

【舎長おーちゃんが行く!⑧】「母」がいてはじめて、 私たちは「境界」に接することができる、の巻。

たいへんご無沙汰ながら、ようやく書けそうな気が...!

ということで、

おーちゃんが行くシリーズを更新してみようと思います。

 

やっと! 先月『母の力』が刊行されました。

実に『恩寵の力』が発売されてから1年弱もかかってしまいました!!

 

そろそろ出さねば会社も回らない!

という現実的な切羽詰まり感以上に、

今回はもっと切羽詰まった事態にありました。

 

というのも、

前作『恩寵の力』が出版されてから私個人としても怒涛の日々で

『母の力』の出版プロジェクトがはじまってからは

その渦がさらに大きくなっていったのです。

 

なんと、、、!!

お腹に赤ちゃんがやってきたのです!

わぉ~!!すごい、何と言うかわかり易い!と思ったのも束の間、

気づけばその渦に飲み込まれ、溺れてしまうのではないか

とも思われるような「母の力」に翻弄される自分を発見し

それによってなかなか進行も思い通りにはいかず

しかし、生まれる前に本を出さなければ....!

というタイムリミットが眼前に浮上した瞬間でもあったのです。

 

そして

「自分の体の中にいる自分とは別の何か」によって

言い換えれば、

「身体」に翻弄されるいわば超‘’マーヤな”出来事と共にあって

しかも、自分の中にいるものがどうやら

「自分とは別の魂を持っているらしい」ことを肌で知るにつれて

私にとっての『母の力』プロジェクトはまた

まだうまく言語化ができてはいないのですが、

不思議な仕事となっていきました。

 

原稿のあれこれをする段階を経て、市場に出す段階になると

現実的な仕事が目白押しになるので、

無事発刊されてからゆっくり読み返すこともできていませんでしたが、

発売から1か月経ってやっと時間が取れ、ぱらぱらと読み返していると...

 

「母」は時間や空間をはじめとする、あらゆる物を創造しました。

「父」は空間であり、「母」は時間であると既に書きましたが、

そもそも神においては時間と空間の本質はそのうちに内在しています。

しかし、神という非顕現な状態では、この時間は在っても顕現しません。

「母」の創造を必要とするのです。

神=「父」の存在の状態は、空間的であると言えます。

しかし、その存在が空間的であると認識されるのは

「母」のマーヤによって時空が顕現したからこそはじめて認識されうるのです。

(「母の力」第一部166頁) 

 

....というところで、

もう何回も何回も読んでるはずなのに

あらためて手が止まりました。

そして、うぉ~すごいな!と唸りました。

 

「母」による創造がなされてはじめて

「母」がいてはじめて、

私たちは「境界」に接することができるのだ

ということをあらためて感じたからです。

 

思えば、赤ちゃんがお腹の中にやってきてすぐ

科学的に(?)言えば、ホルモンの変動によって、

感情の波や身体的な不快感の渦に不可抗力で支配されていたとき

「どうして私の体なのにこんなにどうしようもないんだ!?助けてくれ~!」

と心の中で何度叫んだことか。

その思いに十分苦しんだ後、

私の体の中に、別のものがいる。

.....ん? まてよ、「これ」は私ではないのだ!

だから「私のもの」として理解しようとしてできるものじゃないんだ。

ということにハッと気づいて、

そこから少しずつ気持ちが落ち着いていきました。

科学的(?)に言えば「胎盤が完成して、つわりが落ち着く」ということに

なるのだと思うのですが

私からすれば、その理解を得させるための「母」の恩寵(≒叱咤

であるとすら思えました。

 

同時に、「私」と「私のお腹のなかにいるそれ」との

明確な境界を感じた瞬間でもありました。

 

あちら側とこちら側にまたがって存在する「母」

絶対者とこの世界の間に存在する「母」

「1」の状態では感じることのできない、

「2」以上の豊潤な世界ではあるけれど

「2」以上に埋没して我を忘れると「1」に戻れなくなってしまう。

そんな、紙一重の境界線を生み出す「母」

この本には、そんな「母」の怒涛の(この字、母にぴったり!)

シャクティ(力)が

にじみ出てあふれ出てしまいそうなくらい詰まっていると感じます。

そして、それがとりもなおさず、

「母」の愛なのだとも思います。(怖いけど)。

 

そして。

つわりが落ち着き、妊娠前と同じような

「絶対」に繋がっている安心感を取り戻したのも束の間...

今度は、お腹の中の「それ」の存在感が増して行く日々となっていきました。

お腹はどんどん大きくなり

ついに子宮は元の大きさの1000倍に達し

お腹がはちきれそなくらいの元気な胎動とともに

「ここにいます!」と言ってくる、「それ」。

当然私の意識は、今度は「それ」に翻弄されていきました。

 

子の宮とはよく言ったもので、この臓器はどうやら

自分のためのものではなく

自分ではない何かを保護するためのtempleであるようなのでした。

そして、その中にいる「それ」には、いつの間にか、どこからか

それを個として成立させる「魂」なるものが

しかと収まっているようなのです。

その壮大な仕組みを思うと、頭がくらくらする気分に襲われてきます。

 

一体全体、それは、どこからやって来るのでしょうか?

 

それをこのマーヤの世界に送り込む意図は何なのでしょうか?

 

わざわざ1ではなく、多の世界に送り込まれておきながら

1に戻るための模索をするとは、、、

何たることでしょうか!?

 

こっちの二元の世界においては完全に一元を忘れて二元で生きているけれど

この一元と二元のラインが「母」であって

そのラインを経験すると、そもそも「母」があるわけではなく

在ったのは神だということになります。

ですから、やはり「結局は神なんだ!」ということになるのです。

(第二部 講話と問答p289)

 

こちら側とあちら側を超えていくために必要なのが

その境界にいる「母」の恩寵であるのなら...

 

私たちはもっともっと、「母」の意図を思いながら

「母」と共に生きてみるのもいいのかも、しれません。

 

もしかすると、その世界はより豊潤であるような気がしています。

 

ぜひ『母の力』読んでみてくださいね(^o^)丿

どこにもいまだかつて

書かれていなかったことばかりだと思います。