一気に地球全体が緊張している事態の今
この言葉があるとすれば どういう事なのかを考えています。
あるのは 一本の縄 。
麻子
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【禍福は糾える縄の如し】
災禍と幸福とは縒り合わせた縄のように表裏一体のものである。
山田麻子 手書き暦 ✳︎2020年版の受付は終了しました。来年をお楽しみに!
みなさん、こんにちは!
久々のおーちゃんシリーズです。
大なり小なり、誰もがコロナショックを被っている今日この頃ですね。
黙示録の世界、のような言葉がSNSで飛び交っていますが、
日々の生活も、人生も終わるところまでは続いていきます。
きっと、みなさん家の滞在時間が長くなったのではないでしょうか?
いつもできないことができている方もいらっしゃるのではないでしょうか。
私とて例外ではなく、
突如思い立って、こんな映画を見ました!
みなさんご存知でしょうか?
wikiから抜粋するとこんな始まり。
「地球外知的生命体プロジェクトの研究者エリー(ジョディー・フォスター)はアレシボ天文台で探査と研究をしていた。
しかし、先の見えないプロジェクトに対し懐疑的な天文学の権威ドラムリンによって、エリーのチームは研究費とアレシボの利用権を打ち切られ、研究は中断を余儀なくさせられてしまう。
エリーは独自の資金源を求め、ついにS・R・ハデンという富豪スポンサーを得ることに成功する。探査を再開したある日、彼女は遂にヴェガから断続的に発信し続けられる有意な電波信号を受信。チームは色めき立つが次第にエリーの思惑とは関係ない方向へと事態が進行していく….」
1997年のアメリカ映画で、興行収益は芳しくなかったらしいですが、本当に面白かった….
おすすめされた時は、エイリアンものなのか? と思いきや、メッセージ力の強い映画でした。。。
映画の中にこんな会話が出てきます。
(以下、ネタバレまくりです)
大統領の宗教関係顧問パーマー:
「人々は人生の意味に最も飢えている。科学がそれを奪った」
エリー:「科学が神を殺したような言い方だわ。科学は神がもとから不在であったことを証明しただけかもしれない。オッカムのカミソリを知ってる?」
パーマー :「ホラー映画?」
エリー :「違うわよ、科学の格言。’単純な説明ほど正しいものである’」
パーマー :「なるほど」
エリー :「それでは、どちらが単純?『神は宇宙を創造したのち、自己の存在証明は放棄した』あるいは『存在しない神を人間が作った。よりどころを求めるために』」
パーマー :「わからないね。でも、僕は神のいない世界を考えることができない。考えたくもない」
エリー :「それが幻想でないとどうやって言えるの? 私には証明が必要なのよ」
……のち、多額の資金を提供するスポンサー、エリーの功績を横取りしようとする天文学の権威ドラムリン、カルト宗教家、政府関係者、様々な人々の思惑が交錯していきます。
そして終盤。
ヴェガへと向かう宇宙船に単身で乗り込んだ時に起こった出来事を、エリーが説明しても、今度は逆に、それが幻想でないと言えるのか? と問い詰められる立場になってしまうのです!ハラハラ!!
時空の一点から別の一点へと直結する「ワーム・ホール」を通って到達した場所でエリーが体験した‘相対性理論では18時間だが、地上では一瞬’の合間に垣間見た世界は
「とても言葉では言い表せないほどの宇宙の光景」
であり、
「証明が不可能」
であったにもかかわらず、誰に何を言われても疑いようもない体験だったからです。
そして、エリーはその体験をして
「私を永遠に変えてしまいました」
と語り
パーマーは
「宗教と科学は同じところを目指している」
とエリーを擁護。
いささか宗教色の濃い作品のように見えますが、原作者のカール・セーガンは著名な実証主義者で、宗教にも輪廻転生にも懐疑的だったとのこと。
私は最後のジョディ・フォスターの名演と内容にボロ泣きしながら、科学と宗教はずっとこんな題材になるほどに平行線だったんだなぁ...とぼんやり思っていました。
そして、先月から少しずつご紹介している研究についても思いました。
✳︎ ✳︎ ✳︎
科学と宗教、物質と精神の間にかけられる橋がどのように出来上がってきたか。
どのように実証がなされたか。
その道なき道の道程について、目下、小野田智之さんに執筆いただいています!
やりとりの一部をこちらに載せていただいていますが....
そう遠くない未来に、本にする気満々!
研究の黎明期から未来にかかる橋が生まれる瞬間を目撃させてもらえるようなものになると思います。
回想録2(カテゴリー:執筆日記)
無から有を生み出す創造の過程は、それ自体が小説よりも、SFよりも壮大な冒険の記録であり、
これから自分の道を作り出していく若い人々にとっても道標となるはずです。
どうぞ(まだ先だけど)楽しみにお待ちください。
そして、いつ何時も、私たちもまた、誰の真似事でもない自分自身の人生という冒険物語の真っ最中、、、その最先端、であることを忘れずに過ごしたいですね。
先が全然わかっていないからこそ、それは面白いです。
春だね!
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《私は妊娠出産育児?で『あきらめる』のパワフルさを知りました。①》
お久しぶりです。ゆっきぃです!
毎日くだらないことでケラケラと笑って過ごしている44歳既婚娘一人の私ですが、こうなるまでにはいろんな道程がありました。
蓮華舎さんでの連載のスタートとして何を書こうかいろいろ悩んだのですが、今の私に成るまでに必要不可欠だった出来事と気付きについて書いていきたいと思います。
これが役に立つかどうかはわかりませんが、これはどうしても書きたい!と思ったことなのでよかったらお付き合いくださいね。
私には現在8歳になる1人娘がいます。めちゃくそ可愛いです。
こんな存在が地球上にいるなんて!!!と毎日驚愕するほど可愛くてたまらない。
でも、そう“心から”“条件なしに”思えるようになれたのは妊娠出産育児(?)で体験した『あきらめる』があったからだと感じています。
これから何回かに渡って『あきらめる』をテーマに綴っていきます。
『あきらめる』がわかるととってもパワフルで幸福なんですよ!
信じられます?!
今日は私の出産のお話しから。
私は娘を産むとき『水中出産』を希望していました。
あんなに気持ちよさそうなことないじゃん!なんて思っていましてね。
なので両親や姉兄の反対&心配をよそに、水中出産ができる助産院で出産することを決めていました。
「夫婦2人でプールみたいなお風呂に入ってさ、そんでさ、後ろからハグしてもらってさ、そんでさ、スルン!って産むんだよぉぉーー!!めっちゃ楽しそうじゃない?!」
こんな風にあっけらかんと。
ですが結果は素晴らしく見事に私を裏切ります。
私の出産の始まりは破水からでした。
(*『破水』とは胎児を包んでいる膜が破れ、中の羊水がでてきてしまうことです。普通は陣痛が始まってから破水をして胎児が出てきます。)
破水から始まってしまうと感染症の心配から水中出産はできません。
あんなに楽しみにしていた出産をいきなり絶望が襲います。(大げさに聞こえます?)
それでも助産院で自然分娩ができるならいい!
水中出産ができなくても通院していた助産院で出産ができるならいい!と気持ちを立て直す私。
が、私の出産はことごとく私の希望を裏切ります。
破水をした後すぐに陣痛がやってくるはずなのに、待てど暮らせど陣痛がやってきません。
シーンとしている私のお腹。
「え?もっと痛くなるはずだよね?」
「あれ?破水したらすぐにどんどん痛くなるはずなんじゃないの?」
時間の経過と共に、私の焦りはどんどん増していく。
なぜなら破水をしてから48時間以内に陣痛がやってこなければ緊急帝王切開になってしまうから。
「やだよぉ~。あんなに頑張ってたのに帝王切開になっちゃうの嫌だよぉ~。」と泣きながら股に分厚いパッドを挟んで神社の階段の上り下りを何往復もする私。
(階段の上り下りをすると陣痛が促進されると言われたんですよ。)
それを見守る最愛の旦那さま。
時間はどんどん過ぎていく。
今日の日まで自然分娩ができるように毎日3時間くらい歩いたり、食べ物にもそれなりに気を使ったり、きっついツワリにも耐えたり…
私、頑張ってきたのに!!!
私の希望が叶わないなんてそんなはずないっ!!!
そんな思いに押しつぶされそうでした。
結局私の出産は
水中出産もしくは自然分娩で「うふふ♡幸せ出産♡」を希望、理想としていたのに、
“助産院から嘱託医に行くことになる→陣痛促進剤を投与されバルーンを挿入される→促進剤での「いっそ殺してくれ!!!」というほどの陣痛を8時間ほど堪える→挙句の果てにタイムリミットが来て「はい!帝王切開手術ねーー」と言われる”
というものになりました。
自然分娩とは真逆の出産。
薬で陣痛を促進した上、結局手術。
私、かなりのショックで号泣。
泣きながら帝王切開手術の準備をされる私に看護士さんがこんなことを言ったのを覚えています。
「辛いよねぇ。頑張ったのにねぇ。でもね、お母さんも赤ちゃんも元気で無事なのが一番大切だからね。」
「帝王切開が始まったら10分くらいで赤ちゃんに会えるから。ね。」
「このまま心拍が下がっちゃう方が心配でしょ?元気に産んであげよう。」
そして陣痛促進剤でのきっつい陣痛に堪えていた姿を見ていた母親が、私の手を握ってこう言いました。
「辛いよねぇ。あんなに頑張ったのにねぇ。でもあんたと赤ちゃんが無事ならいいのよ。頑張んなさい。ね?頑張れ!」
そんな思いやりのある優しい言葉をかけてもらったのにも関わらず、帝王切開で産むことに決まった時、私は悔しくて悔しくて悲しくて悲しくて仕方がなかった。
あの時はお腹の赤ちゃんが無事かどうかよりも、私の希望が叶わないなんて!!という絶望と、私の思い描いていた『理想の姿』を体現できないなんて!!という憤りでいっぱいだった気がします。
なんてひどい母親でしょう。
私が娘を出産した病院はとても素敵な病院で、帝王切開手術での出産に旦那さんが立ち会うことができました。
少し離れた場所で椅子に座って私の手術での出産を落ち着いてみている旦那さん。
娘は私と旦那さんが見守る中、無事にお腹からガバッと出てきました。
「おぎゃー!」という元気な声と共に。
その血まみれの紫色をした人間型の物体を見て、私たち二人はこんなことを同時に思ったんだよね。
「わ!ほんとに人間が入ってたんだ!!」
「わ!めっちゃ可愛い!!」
てね。
私は希望していた水中出産ができませんでした。
私は渇望していた自然分娩ができませんでした。
希望と理想にむかって頑張ったのに。
勉強もたくさんしたのに。
生まれた娘はとにかく可愛くて仕方がないのに、出産してしばらくは悲しくて悔しかった。
その後、私はすぐに母乳問題でまたもや理想とはかけ離れた事実を突きつけられて泣いたり悩んだりします。(なかなか母乳がでなかったのです)
出産が望み通りにいかなかったことに加えて母乳問題まで。
母乳がなかなか出ないことが辛くて泣きながらおっぱいを咥えさせ、「足りない!」と泣く娘に泣きながら哺乳瓶でミルクをあげる。
ミルクをごくごく飲む娘を見て泣けて泣けて仕方がなかった。
私のおっぱいではなく、粉ミルクをごくごく飲む姿が嫌で仕方がなかったのです。
そしてお腹がいっぱいになるとすぐに寝てしまう娘。
まったく手がかからないめちゃくちゃいい子でめちゃくちゃ可愛いのに、ただただ私の理想と違うことが許せなかった。
そんな私の話しをいつも聞いてくれる旦那さんがある日こんなことを言いました。
「この子はゆっきぃに『あきらめる』を教えてくれてるんだねぇ。」
私は旦那さんのこの言葉を聞いた時「なぬっ?!!」とほんの少しの反発を覚えました。
『あきらめる』ってなに?
どういうこと?
あきらめきれないよ。
何をどうやってあきらめるっていうの?
あきらめちゃったら終わりでしょ?
そんなことを感じている反面、どこかでそうなんだろうなぁと思っている私。
私はそれから『あきらめる』とはどういうことだろう?と考えるようになりました。
私はどうして『あきらめられない!』なんて思っているのだろう?と。
私はどうしようもなく『あきらめの悪い女』なのでしょう。
この後、ますます私に『あきらめる』を教えてくれる体験が待っていました。
その話しはまた次回。
最後まで読んでくれてありがとうございます!
よかったら次回も読んでくださいね。
ではまた。
みなさんこんにちは。
先週私は、とうとう感染ではないか!!という程体調を崩して悶絶していました。
わたしは昔から心の状態が即身体症状としてあまりに解り易くあらわれるタイプで、思い起こせば、学校をまともに卒業できたことが見事に一度もございません。
身体症状にあらわれて登校を拒否することはしょっちゅうで、文字通り問題行動をよく起こしました。
そんなことを繰り返したため、一応長い付き合いである自分の心と体の相関関係は、わりとよくわかってきました。
ですので、この具合の悪さは一体何だろう...と悶絶の内に考えていました。
そして、ある程度わかったのですが、
私は自覚のまったくもって欠如した状態で社長になったために、例えば、会う人に「私の本を出してください!」とか「これまでの軌跡をまとめたい」とか「仕事をください」とか「自伝を」とか「作品集を」などなど言われる状態に心の準備も耐性もできていなかったようです。
(私も言いたい、「舎長業以外でも仕事なんでもやりますよ!」)
このように言われることが多くて正直、少々驚いています。
みなさん様々に成し遂げたことがあるのだと思います。
しかし....会って1分も経っていないのに、そういわれても...
電話ではじめて話しただけで、そういわれても....
うーん。
加えて、経理。面談。確定申告。翻訳原稿のチェック。映像の編集。新しい本のこと。お金は足りるのかな、とか、いつまでに何を仕上げたらいいのかな、とか諸々の算段。それから、今日はあの書店さんに本の補充をしてくださいと言わなくちゃとか.....
今までまっったく使う気すらなかった部分の頭を使う日々。
ただ、毎回感動するのですが、蓮華舎はほぼ週1の会議に、常時4人くらいの人が集まります。
そして、私に足りない諸々のことをカヴァーしてくださいます。
更に、空いている時間を使って、税金の処理を手伝ってくれたり、お金の振り込みをしてくれたり、資料をつくってくれたり、カメラを貸してくれたり、倉庫を提供してくださったり、本の運搬を手伝って下さったり、蓮華舎の社会的役割というのをアドヴァイス下さったり、そのほかにも実にさまざまなるフォローの手によって存続しています。
ですので、口が裂けても「ひとり出版社です」とはいえません!
....と、そうはいっても、自分でやらなければならないこと、やるべきことはいろいろある。
あれ?
何のためにこれやろうと思ったんだっけ....
おかしい。
どうやらこの違和感が体調不良の原因にあるようでした。
どうしようもなくエネルギーが低下していました。
正直に申してはいけないのかもしれないのですが、
わたしは出版社を経営したいとも、編集作業をしたいとも、そんなことはまったく思ったことがございません。
そして、多分これからも、ないのではないかと思うのです。
今やっていることは、自分の生きることに直結しているためにやっているだけなので、直結しなくなったらまた1からやり直そう。
そう思います。
私は自分が知りたいのと、あなたが知りたいのと、世界が知りたい。世界とは、絶対的な何かで、できることならどこかで聞いてきた知識ではなく、自分で知りたいと思います。
そして、そのために必要な様々に複雑で面倒でどうしようもなくこの世的、手続き的、人間関係的なこともそれはもう引き受ける!
しかし、万一キャパオーバーで引き受けきれなかったら誰に言ったらいいかわかりませんが、本当にごめんなさい!これくらいしかできないのです!
というわけで、
自分の社会から見られる立場と、自分の思っている自分の立ち位置に齟齬があって、そして無自覚に義務的な事に自分を合わせてしまったりしたことが、どうやら身体症状となってあらわれたようでした。
「本当の自分」はよくわからないけど、今の時点の「自分の本音」なら、まっすぐ問えばわかる。むちゃくちゃ利己的に聞こえることでも、その小さな声の本音を無視しないようにしようと思いました。
たぶん何度もここに戻らないといけないと思うのですが、
自覚0のまま、それでもそのようにしながらやっていこうと思います。
いつだって好きでやってるんだということを忘れないようにしたいです。
蓮華舎のブログをお読みの皆さんはじめまして!
昨日の舎長のおーちゃんのブログでご紹介頂きました藤山幸江と申します。
みんなは私のことを『ゆっきぃ』と呼んでおります。
てことで、こちらでも「ゆっきぃです!」とこれからはご挨拶させていただきますね。
この度、舎長であるおーちゃんこと大津明子さんに声をかけてもらい、蓮華舎のブログに文章を綴らせて頂くことになりました。
まったくもってありがたいお話しです!!
ありがとうございます!!
ところで、昨日の舎長のブログを読んで頂けましたでしょうか?
もしまだでしたらぜひ目を通してみてください。↓↓↓
https://padmapublishing.hatenablog.com/entry/2020/02/11/120000
読みました?
どうお感じですか?
そうなんです。私の過去はめちゃくちゃなんです!
中学3年ころから摂食障害の症状が出始め、それから15年以上ひどい摂食障害に苦しみます。
21歳の時には滋賀県の雄琴という町でソープ嬢として働きます。
一年で700万円というお金を貯め、返さなくてもいいであろうお金をとある人に返します。殺される覚悟で。
その後はバーテンダー、クラブホステス、雑誌記者、そしてリフレクソロジストになり、整体師になりました。
もう過去の職業をあげるだけでも生きている動線がめちゃくちゃです。
自分でも笑っちゃうくらい。
そしてそれは職業だけに留まらず、プライベートでもかなりめちゃくちゃな日々でした。
男性を心から好きになれない。「人を好きになる」がわからない。「付き合う」がわからない。「彼氏」とか「彼女」がどういうことなのかわからない。
当然結婚や出産なんてまったくわからない。
わからないからたくさんの異性と関係をもったりしてみたり。もうめちゃくちゃ。
とにかく「私」は物心ついた時から「私」が大嫌いで許せなくて、いつでも「消えてなくなりたい!」と思っているような過去でした。
だからこそ、私は私を観察し続けました。
私が大嫌いだと思っているコイツはなんだろう?
どうしたら「私」が「私」を好きになれるのだろう?
この大嫌いな「私」は一体全体いつも何を思っているのだろう?
そして目の前に繰り広げられる様々な出来事を観て、この大嫌いな「私」は何を感じているのだろう?
こうして「私が大嫌いでたまらない私」は、いつの間にか「大嫌いな個としての私」を「じっと観察するもう一人の私」の視点を強化していきました。本当にいつの間にか。
それはいつしか「“私”とはなんだろう?」という思いに変わり、「“私”が今行っているこの“人生”とはなんなのだろう?」という「問い」に移り変わっていきました。
“苦しみ”の本質がなんとなくわかってきた頃、今の最愛の旦那さまと知り合い、長く患った摂食障害の症状も見事に治まりました。
今、私は大好きな男性と結婚をして、妊娠出産を経験し、現在8歳になった超絶可愛い娘と最愛の旦那さまと可愛いらしいお姑さんと生活をしています。
あんなに大嫌いだった「私」と消し去りたいほど嫌悪していた「私の過去」がいつしかぐるりと反転して、今ではたまらなく愛しくなりました。
あれほど「わからない!!」と叫んでいた結婚、妊娠出産、そして子育て(?)を私はいつの間にか楽しくしているのです!!驚愕!!
愛娘と愛猫。
結婚、妊娠出産を経てなお、私の「私をジッと見つめる視点」は強くなり、そして広く大きくなっていきました。
最愛の旦那さんである亮一さんと共に、その視点の話しをいつもしているから尚更です。
今目の前で繰り広げられているこの現象はなんだろう?
今私が感じているこの感覚はなんだろう?
私が今感じてるこの感情はみんなが名付けている『イライラ』というものなのだろうか?
私が今感じているこの感情の名前はきっと『ワクワク』と呼ぶのかもしれない。
そんな風に。
『結婚』も『妊娠』も『出産』も『子育て』も、ただそう名付けている現象に過ぎない。
その現象に名前を付けた途端、人は自分のフィルターでその物事を観てしまう。
名前を付ける前、その前の状態をまっさらな目で見つめたい。
まっさらな自分の感覚で感じたい。
いつでも自分の感覚に正直に開いていたい。
そんなことを常に考えている、感じようとしている44歳のゆっきぃです。
だからね、よく聞いてくださいね、私は
『子育て』なんて出来ないし、やったこともないのよぉぉぉーーー!!!
こんなめちゃくちゃな過去を持つ、ポンコツで物忘れがひどい私が(最近は特にいろんなことを覚えていられません!!)私の日常をどんな目線で観て、何を感じているのか、『目の前の現象に名前を付ける前』の感覚で綴っていけたらいいなぁと思っています。
稚拙な文章だと思いますが、よかったらお付き合いくださいね。
どうぞよろしくお願いいたします!
ではまた。
みなさんこんにちは!
いかがお過ごしでしょうか?
今日は今月から蓮華舎のブログに登場してくれる藤山幸江さんのことを少しご紹介したいと思います。
彼女は、横浜に住む整体師です。
彼女の元にはよく人が相談に訪れます。それは、彼女が腕の良い整体師であり、人の状態を読み取る能力に長けているからということもあるのですが、、、
幸江さんの前に来ると、裸になりたくなってしまうのです。しかも、ほとんどの場合、自分でも気づかないうちに脱いでしまう。
そして、どうしても自分で脱げない厚い鎧のようなものを被っているときなどは、幸江さんが時に優しく、時に胸ぐらを掴むようにして、一枚一枚脱がしてくれるのです。
あ、これはもちろん比喩ですよ。
京都に降り立った21歳の小娘ゆきえ。
所持金2万3千円。
京都に深夜バスが到着したのは早朝5時30分頃。
どこに行くあてもなく、京都にまったく詳しくない。
というか土地勘がまるでない。
どこが繁華街なのか?そしてそこまでどうやって行くのか?
今夜泊まる場所は?
少しの荷物を持って、キョロキョロと移動をはじめた。
http://yukiukixkix.hatenadiary.jp/entry/2017/12/06/152507
こんな感じで始まる幸江さんのブログによる自叙伝は、その一応の完結をみたときに「小娘有里ちゃんロス」が起きるほどの反響を呼びました。
ちなみに「有里ちゃん」は、幸江さんのかつての源氏名です。
源氏名?
そうです、このブログに描かれているのは、幸江さんの「雄琴ソープ嬢」時代の赤裸々自叙伝であるのです。
ここで顔をしかめる方々いらっしゃるかもしれません。
ソープ嬢?
しかも、蓮華舎のブログでソープ嬢。
しかし、少しの間考えたのち、前に戻ってそのブログのURLをこっそりクリックされるかもしれない(別にこっそりする必要はないにもかかわらず)。
そのままぜひ、1話からさかのぼって、数日かけて最後まで読み進めてください。
そこに展開されているのは、顔をしかめたときに思い描いたような感じだったでしょうか?
少なくとも、このブログの熱心な読者であった私は違いました。
何か違うのでしょうか?
雄琴のソープ嬢、有里ちゃんは1年で700万円を貯めるとその仕事をすっぱり辞め、その後はバーテンダー、そして大阪のホステスとして働きます。
それぞれの場所で、見事にいい所まで上り詰めていきます。そして、あるときにスパッと辞める。その中に埋没していくことはついぞありませんでした。
彼女はそれぞれの場所で、一歩引いた場所からその大きな目で起きていること「ジっ」と見つめます。完全に飲み込まれることなく、しかし、好奇心をむき出しにして。
薬物にはまってしまう同僚、男性に貢いでしまう嬢たち、とにかく承認されたい男たちの悲哀、恋愛にはまることのできない自分、過食嘔吐の症状、、、、
人の本性が文字通り隠すことなく現れてしまう場所で、有里ちゃんは自分と周りを観察し続けます。
そしてそれは、仙人のような旦那さんと、悶絶するほどかわいい娘さんと家族を営むようになった今でも、変わらず、より大きく優しい視点とともに強くなっているようです。
幸江さんと私は、数年来のたいへん仲の良い友達です。
私はたまにふざけて「幸江先生!」というのですが、完全にふざけているわけでもないのです。
彼女はいつも誰に対してもこう聞きます。
「それで、ほんとうはどう感じているの?」
それは、いつも彼女が自分自身に聞いていることなのだと思います。
ほんとうに、ほんとうは、どう感じているのか。
それをちゃんと知ることは、案外難しいことだと思いませんか?
いつだって私たちは色眼鏡でものを見てしまう。
だって、ずっと色眼鏡をかけろかけろと言われ続けてきたのですから。
でもそれに気づいたのなら、眼鏡をいったん外すことができる。
...少なくとも、外そうとすることはできる。
外側から与えられてきた基準を一旦外して、肩書きも社会的な役割も全部かなぐり捨てて、とことんまで自分に正直になった時に、一体どう感じているか。
それを、私もまた幸江さんと、皆さんと一緒に、知っていきたいと思います。
今年も私は「なんでだろ?」や「おかしいなぁ」と思うことに正直に向き合っていきたいし、
それで?私はどう感じてる?を知っていきたいなぁと思います。
「常識」とよばれている事柄を真っ向から否定するのではなく、
「ん?なんだ?これ?」という視点で観て、そして私は何を感じるかを知っていきたい。
そんなことを感じた年末と新年でした。
今年も自分に正直に。ごまかさずに生きていきたい。
いつだって丸裸になれるようでいたいです。
子育ても、夫婦関係も、女性性も、家族も、日々の生活も
「ん?なんだ?これ?」という視点で観てみたらどうなるか。
それを毎月少しずつ綴っていっていただく予定です!
毎月第2水曜日に更新。
みなさま、どうぞ、お楽しみに!!
幸江さんと旦那さんの亮一さん(と猫の夏ちゃん)
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