みなさん、こんにちは!
久々のおーちゃんシリーズです。
大なり小なり、誰もがコロナショックを被っている今日この頃ですね。
黙示録の世界、のような言葉がSNSで飛び交っていますが、
日々の生活も、人生も終わるところまでは続いていきます。
きっと、みなさん家の滞在時間が長くなったのではないでしょうか?
いつもできないことができている方もいらっしゃるのではないでしょうか。
私とて例外ではなく、
突如思い立って、こんな映画を見ました!
みなさんご存知でしょうか?
wikiから抜粋するとこんな始まり。
「地球外知的生命体プロジェクトの研究者エリー(ジョディー・フォスター)はアレシボ天文台で探査と研究をしていた。
しかし、先の見えないプロジェクトに対し懐疑的な天文学の権威ドラムリンによって、エリーのチームは研究費とアレシボの利用権を打ち切られ、研究は中断を余儀なくさせられてしまう。
エリーは独自の資金源を求め、ついにS・R・ハデンという富豪スポンサーを得ることに成功する。探査を再開したある日、彼女は遂にヴェガから断続的に発信し続けられる有意な電波信号を受信。チームは色めき立つが次第にエリーの思惑とは関係ない方向へと事態が進行していく….」
1997年のアメリカ映画で、興行収益は芳しくなかったらしいですが、本当に面白かった….
おすすめされた時は、エイリアンものなのか? と思いきや、メッセージ力の強い映画でした。。。
映画の中にこんな会話が出てきます。
(以下、ネタバレまくりです)
大統領の宗教関係顧問パーマー:
「人々は人生の意味に最も飢えている。科学がそれを奪った」
エリー:「科学が神を殺したような言い方だわ。科学は神がもとから不在であったことを証明しただけかもしれない。オッカムのカミソリを知ってる?」
パーマー :「ホラー映画?」
エリー :「違うわよ、科学の格言。’単純な説明ほど正しいものである’」
パーマー :「なるほど」
エリー :「それでは、どちらが単純?『神は宇宙を創造したのち、自己の存在証明は放棄した』あるいは『存在しない神を人間が作った。よりどころを求めるために』」
パーマー :「わからないね。でも、僕は神のいない世界を考えることができない。考えたくもない」
エリー :「それが幻想でないとどうやって言えるの? 私には証明が必要なのよ」
……のち、多額の資金を提供するスポンサー、エリーの功績を横取りしようとする天文学の権威ドラムリン、カルト宗教家、政府関係者、様々な人々の思惑が交錯していきます。
そして終盤。
ヴェガへと向かう宇宙船に単身で乗り込んだ時に起こった出来事を、エリーが説明しても、今度は逆に、それが幻想でないと言えるのか? と問い詰められる立場になってしまうのです!ハラハラ!!
時空の一点から別の一点へと直結する「ワーム・ホール」を通って到達した場所でエリーが体験した‘相対性理論では18時間だが、地上では一瞬’の合間に垣間見た世界は
「とても言葉では言い表せないほどの宇宙の光景」
であり、
「証明が不可能」
であったにもかかわらず、誰に何を言われても疑いようもない体験だったからです。
そして、エリーはその体験をして
「私を永遠に変えてしまいました」
と語り
パーマーは
「宗教と科学は同じところを目指している」
とエリーを擁護。
いささか宗教色の濃い作品のように見えますが、原作者のカール・セーガンは著名な実証主義者で、宗教にも輪廻転生にも懐疑的だったとのこと。
私は最後のジョディ・フォスターの名演と内容にボロ泣きしながら、科学と宗教はずっとこんな題材になるほどに平行線だったんだなぁ...とぼんやり思っていました。
そして、先月から少しずつご紹介している研究についても思いました。
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科学と宗教、物質と精神の間にかけられる橋がどのように出来上がってきたか。
どのように実証がなされたか。
その道なき道の道程について、目下、小野田智之さんに執筆いただいています!
やりとりの一部をこちらに載せていただいていますが....
そう遠くない未来に、本にする気満々!
研究の黎明期から未来にかかる橋が生まれる瞬間を目撃させてもらえるようなものになると思います。
回想録2(カテゴリー:執筆日記)
無から有を生み出す創造の過程は、それ自体が小説よりも、SFよりも壮大な冒険の記録であり、
これから自分の道を作り出していく若い人々にとっても道標となるはずです。
どうぞ(まだ先だけど)楽しみにお待ちください。
そして、いつ何時も、私たちもまた、誰の真似事でもない自分自身の人生という冒険物語の真っ最中、、、その最先端、であることを忘れずに過ごしたいですね。
先が全然わかっていないからこそ、それは面白いです。
春だね!
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