みなさんこんにちは。
先週私は、とうとう感染ではないか!!という程体調を崩して悶絶していました。
わたしは昔から心の状態が即身体症状としてあまりに解り易くあらわれるタイプで、思い起こせば、学校をまともに卒業できたことが見事に一度もございません。
身体症状にあらわれて登校を拒否することはしょっちゅうで、文字通り問題行動をよく起こしました。
そんなことを繰り返したため、一応長い付き合いである自分の心と体の相関関係は、わりとよくわかってきました。
ですので、この具合の悪さは一体何だろう...と悶絶の内に考えていました。
そして、ある程度わかったのですが、
私は自覚のまったくもって欠如した状態で社長になったために、例えば、会う人に「私の本を出してください!」とか「これまでの軌跡をまとめたい」とか「仕事をください」とか「自伝を」とか「作品集を」などなど言われる状態に心の準備も耐性もできていなかったようです。
(私も言いたい、「舎長業以外でも仕事なんでもやりますよ!」)
このように言われることが多くて正直、少々驚いています。
みなさん様々に成し遂げたことがあるのだと思います。
しかし....会って1分も経っていないのに、そういわれても...
電話ではじめて話しただけで、そういわれても....
うーん。
加えて、経理。面談。確定申告。翻訳原稿のチェック。映像の編集。新しい本のこと。お金は足りるのかな、とか、いつまでに何を仕上げたらいいのかな、とか諸々の算段。それから、今日はあの書店さんに本の補充をしてくださいと言わなくちゃとか.....
今までまっったく使う気すらなかった部分の頭を使う日々。
ただ、毎回感動するのですが、蓮華舎はほぼ週1の会議に、常時4人くらいの人が集まります。
そして、私に足りない諸々のことをカヴァーしてくださいます。
更に、空いている時間を使って、税金の処理を手伝ってくれたり、お金の振り込みをしてくれたり、資料をつくってくれたり、カメラを貸してくれたり、倉庫を提供してくださったり、本の運搬を手伝って下さったり、蓮華舎の社会的役割というのをアドヴァイス下さったり、そのほかにも実にさまざまなるフォローの手によって存続しています。
ですので、口が裂けても「ひとり出版社です」とはいえません!
....と、そうはいっても、自分でやらなければならないこと、やるべきことはいろいろある。
あれ?
何のためにこれやろうと思ったんだっけ....
おかしい。
どうやらこの違和感が体調不良の原因にあるようでした。
どうしようもなくエネルギーが低下していました。
正直に申してはいけないのかもしれないのですが、
わたしは出版社を経営したいとも、編集作業をしたいとも、そんなことはまったく思ったことがございません。
そして、多分これからも、ないのではないかと思うのです。
今やっていることは、自分の生きることに直結しているためにやっているだけなので、直結しなくなったらまた1からやり直そう。
そう思います。
私は自分が知りたいのと、あなたが知りたいのと、世界が知りたい。世界とは、絶対的な何かで、できることならどこかで聞いてきた知識ではなく、自分で知りたいと思います。
そして、そのために必要な様々に複雑で面倒でどうしようもなくこの世的、手続き的、人間関係的なこともそれはもう引き受ける!
しかし、万一キャパオーバーで引き受けきれなかったら誰に言ったらいいかわかりませんが、本当にごめんなさい!これくらいしかできないのです!
というわけで、
自分の社会から見られる立場と、自分の思っている自分の立ち位置に齟齬があって、そして無自覚に義務的な事に自分を合わせてしまったりしたことが、どうやら身体症状となってあらわれたようでした。
「本当の自分」はよくわからないけど、今の時点の「自分の本音」なら、まっすぐ問えばわかる。むちゃくちゃ利己的に聞こえることでも、その小さな声の本音を無視しないようにしようと思いました。
たぶん何度もここに戻らないといけないと思うのですが、
自覚0のまま、それでもそのようにしながらやっていこうと思います。
いつだって好きでやってるんだということを忘れないようにしたいです。