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子育てなんかできない! 第12稿 《今さらですが子育てってなんですか?⑤》ゆっきぃ

子育てなんかできない!第12稿

《今さらですが子育てって何ですか?⑤》

 

『心配しないっていう方向性もあるんだよ。2』

 

みなさまこんにちは!

お久しぶりです。ゆっきぃです。

もう12月?!!!

私は「このお役目はいつまでやらせていただけるのだろう?」とお役目終了の日が来ないことを祈りながら、娘にこっそりとなるべく自然に質問を重ねています。

 

「ねぇねぇ。今年はサンタさんに何をお願いするの?」

 

どんな物をお願いするのか、年々ドキドキしながら質問をするのもいいものです。

 

娘がお願いするものは手に入るものだろうか…?

(限定品とかレアものだったらどうしよう…ってやつですね。)

ものすっごい高いものお願いするって言われたらどうしよう…。

「サンタさんってほんとは親なんでしょ?」とか冷めた目で言われたら…。

 

そんな“心配”を頭の片隅で考えながら、なるべく自然な流れで質問をするのです。

幸福をじんわりと感じながら。

 

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家の可愛い2人。ハルくん(♂4歳)と夏さん(♀4歳)。仲良し。

 ここまで書いて、ちょっと思い出したエピソードがあったので書かせてくださいね。

私は小学校、中学校、高校とずっと演劇部に所属していたのですが(芝居好きだったのですよ。今も好きです。)、中学生の時にハマっていたのが『キャラメルボックス』という劇団です。

中学2年生の時、キャラメルボックスの代表作ともいうべき『不思議なクリスマスのつくりかた』というお芝居に演劇部の顧問の先生が連れて行ってくれました。

その舞台に大感動した私は、貯めていたお金で戯曲(脚本)を購入したのですが、その脚本の裏表紙だったかどこだかにこんな言葉が書いてありました。

 

『誰だって誰かのサンタクロースになれるんだ』

『僕をサンタクロースにならせてくれて、ありがとう』

 

(言葉自体はうろ覚えなのでもしかしたらこんな言葉ではなかったかもしれません。でもこんな感じだった記憶です。)

中学生の頃の私はそれを見てなんだかものすごく驚いて、その言葉に目が釘付けになったのでした。

 

私はそれから誰かにクリスマスプレゼントを贈るたびに心の中で「私は今この人のサンタクロースなのだ。むふふ。ありがとう。」と密かに思っていたりします。

(恥ずかしいので口に出して言いませんが。今書いてしまっているけれど。笑)

 

もしこれから時がたち、娘に「サンタさんってほんとはいないんでしょ?」なんて言われたら、どんなにバカらしく聞こえようとこう答えようと思っています。

 

「いるよ。だってパパとママがサンタさんになったんだから。サンタクロースにならせてくれてありがとう。ママはこれからもサンタにも(なんにでも)なるつもりだよ。」

 

むふふふ。

どうです?

アホらしいですか?

 

私は中学生の頃からずっと心の中でひっそりとそう思っています。

それだけで嬉しくなりますし、幸福な気持ちになりますから。

 

これは私が地獄の底を泥まみれで這いずり回るような生活をおくっていた時にも、根底にそこはかとなくずーっとあった想いでした。

(15歳くらいから29歳くらいまで私の人生はぐっちゃぐちゃのドロドロでした。自死を何度も何度も考えましたよ。ほんとにねぇ。)

 

地獄の底を泥まみれで這いずり回り、自分をとことん嫌い、幸福なんて私には一生やってくるはずがないと強く思っていた私の根底にこんな想いがずっと流れていた。

 

不思議じゃないですか?

 

不幸のどん底にいると心の底から思っているのに、その一方で誰かのサンタさんになれる幸福を感じていた自分もずっとひっそりといたなんて。

 

私は信じ込んでいただけなんですね。

 

どん底で泥まみれで這いつくばって自分をとことん嫌いで、自分に幸福なんて訪れるわけがないと。

「信じ込んでいる」という自覚がないままに。

 

ひっそりと根底に流れるその想いは、あまりにもひっそりしすぎていてなかなか気付かないのです。

 

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家のベランダから観た素敵な夕焼け。綺麗だね。

 『幸せ』とか『幸福』とか『安心』とかって、誰もが望むものだと思います。

人間として生まれた人誰もが願ってやまないものではないでしょうか。

(違う人もいるのかなぁ。)

 

でもそれはとても微細で、いつもそこにありすぎて、気づきにくいものなのだと感じます。

 

不安や心配や恐怖心の方が派手でわかりやすかったりするものですから、ついそちらへ意識が強くいってしまうものなのだと思うのです。

 

私も未だにその方向性へ行ってしまう時があります。

不安で仕方がなくなったり、恐怖心で足がすくんだり、すぐに安定を望んだり。

そんなことはしょっちゅうあります。

ですがどんどんそこにいる時間が短くなっています。

「心配しない方向性」をすぐに選びなおせるようになっています。

 

私は恐怖心を感じたときは「あーーー!!怖い!!怖い怖い怖いーーー!!」と本気で地団駄を踏みます。

ほんっきの本気でバタバタと怖さを体験します。笑

 

悪態をつく時もしょっちゅうあります。

「ふざけんなよぉーー!!ちっくしょーーー!!!」と肚の底から悪態をつきます。

誰に悪態をつくかって?

それは「神様に」ですよ。笑

バチあたりだと思います?

いいんです。

私は神様と対等な立場だと思っていますから。

 

さて、この時に少しだけ“気付く”コツがあります。

何に気付くかって?

その微細で気付きにくい“それ”にです。

私は地団駄を踏むときも、悪態をつくときも、そんな自分を必ず観察しています。

 

本気で地団駄を踏んでいても、心の底から悪態をついていても、そんな自分を観ている視点をつくるのです。いや、その視点に気づくのです。

もし“視点”がわかりにくかったら、自分の身体の反応がどうなっているか“感じて”みる。

 

その視点、その感じようとしている“それ”。

それはなんでしょう?

どうして自分を観ることができるのでしょう。

感じようとすることができるのでしょう。

 

そのうち気付く時がきます。

 

“それ”はずっと私とともにあったんだ、と。

 

目の前で何が起こっていようとも、どんなに私が不安になっていようとも、怖がっていようとも、嘆いていようとも、“それ”“その視点”はずーーーっとそこに共にあったんだ、と。

 

その視点から観ると、

『楽しい』『嬉しい』『面白い』と感じている時も、『悲しい』『悔しい』『苦しい』『怖い』と感じている時も、どれも質感が違うけれどただの“刺激”や“反応”だということがわかってきます。

 

この身体を持っているからこそ感じられる、この“私”という感覚があるからこそ感じられる“反応”であり“刺激”だと。

 

心配や不安はなくなることはありません。

この“私”という“個人感”がありつづける以上、なくなることはありません。

だけれども、視点と感覚をとりもどすと『心配』や『不安』はただの反応に変わります。

 

嫌だけれど嫌じゃない。

(いや、嫌なんですよ。笑)

排除したいと思ってしまうけれど、排除しなくても一緒にいられるようになります。

排除したくなることもただの(素敵な)反応ですから。

 

 

さて、ここで落ち着いてじっくり考えてみてほしいことがあります。

これはじっくりゆっくりぜひ考えてみてもらいたことなのですが、

 

この世の中のことで「わかっていること」って何かありますか?

あなたが「わかっている」と思っていることって何かありますか?

 

どうして胃に胃液が出てくるのでしょう?

(「消化の為です。」とかそういう答えが聞きたいわけではありませんよ。笑)

心臓は誰が動かしているのでしょうか?

腸の蠕動運動って(自分で)したことありますか?

肝臓で血液が造られるそうですが、見たことあります?

その造られているところを。

それは一体どうして起こっているのでしょうか。

 

月ってほんとはどれくらいの距離なんですかね?

ほんとに存在しているのでしょうか?

だって実際に知らないですよね?

その距離を知っているとしたらそれは“ただの誰かが言った知識”ですよね。

行ったことないですもん。私は。

 

屁理屈を言いたいんじゃないんです。

今一度よーーく考えましょうよ、という“お誘い”です。

 

自分で心臓を意図的に動かすことすらできないのに、どうして思い煩うのでしょう。

 

知識を詰め込むことは簡単です。

それで“わかった気になる”のも簡単です。

 

この世の中にある研究結果や先人たちが必死で解明しようとしてわかったことは尊いものです。

エビデンスだって一つの重要な指針です。

それを創り上げた先人の方たちに心からの敬意をはらいます。

 

でもね、「自分は何もわかっちゃいないんだ」と認めることもとっても重要な『幸福に生きる』コツなのではないか?と思うのです。

エビデンスだって私が実際とったわけではありませんから。

それを採用するかしないかは自分で選ぶ、ということですね。)

 

何もわかっちゃいない私が心配するなんてどういうこと?

それに心配できるほど私はなんにも知らないしわかっちゃいない。

 

心配して思い煩っていた私が↑ここに立ち返るとただただおかしくて滑稽で笑えてくるのです。

 

「なに?!私コントやってるの?!ぶはははは!」

 

と。

 

それでも『心配』は起こります。

『不安』は立ち上がります。

なくなることはありません。

 

その時に何度も何度も気づく。

その『心配』を排除することなく、共にある。

ただの(とっても尊い)刺激で反応ですから。

 

よく人は「この心配事がなくなったら幸せになれるんだ!」と思いがちです。

私もそう思ってしまう時があります。(未熟者だ…)

 

排除をしようとした時、そこに不幸は訪れる。

ただそれを見つめた時、そこに幸福が立ち上がる。

 

これはかの有名な「ゆっきぃ禅師」が言った格言です。ぶはは。

 

 

ところで、子育てって誰がやっているんですかね?

私、そんなことやった覚えないですし、できません。

だって(意図的に)胃液を分泌したことすらないんですもの。

 

『心配』は起こるもの。

そして私はただそれを見つめて感じてみるだけ。

 

なくならないなら観てみない?

またすぐにやってくるなら感じてみない?

どうせ何にもわかんないまま生きてるんだもの。

 

さてさて。

今世の中が大騒ぎ(のよう)ですね。

いろんなことが起こっているみたいです。どうやら。

変換の時、転換の時には不安や恐怖や心配は付き物です。

変化って怖いですもんね。

 

恐怖も不安も心配も付き合い方を知っちゃえばなんとかなる。

目の前に起こることがグルグルと目まぐるしく感じても、“それ”はいつもそこにある。

気付けるか気付けないか、ただそれだけ。

 

まぁ実際の私は毎日毎日ギャーギャーうるさく過ごしていますがね。笑

そんなものです。

 

さー!

次回でこの連載も最終回です。

あと残り1回。

よかったら次回もお付き合いくださいね。

今回も最後まで読んでくださってありがとうございます!

この記事がどなたかの役にたてばいいなと思っています。

ではまた。

来月までどうかお元気でいて下さいね。

 

 

山田麻子 今月のひと筆。2020年 12月

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©Asako Yamada

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【潜水深度】

年の瀬。

今年はどこまで潜れたのかな? 

次はどこまで潜れるのでしょうか?

 

山田麻子 手書き暦  

2021年「手書き暦」申し込みは締め切りました!また、来年をお楽しみに!

 

子育てなんかできない! 第11稿 《今さらですが子育てってなんですか?④》ゆっきぃ

子育てなんかできない!第11稿

《今さらですが子育てって何ですか?④》

 

『心配しないっていう方向性もあるんだよ。』

 

みなさんこんにちは!

もう年末?!!

11月じゃないですか?!!

この連載もあと3回で終わりですって。

え?あと3回?!

うーん…もう終わってしまうのかと思うと寂しいですね。

あともう少しですが、よかったら私の『子育てなんかできない!』にお付き合いくださいね。

 

 

先日、私のブログ『藤山家においでよ。』を通じてお友達になった方からメッセージを頂きました。

あまりにも嬉しかったのでここでぜひ紹介させてください。

 

ゆっきぃの『子育てなんかできない!』の記事を読ませてもらってるよ。

すごく感動したよ。

ゆっきぃの記事を読んで最近思ってることがあるんだ。

子育てというか『子育ち』(と言った方が私的にはしっくりくる)で親ができるのは子どもと一緒に沢山笑うこと。

子どもに少しでも多く笑顔でいてもらうこと。

それだけできればあとは何にもいらないんじゃないかってぐらい、それってほんとに素敵なことだってこと。

子どもって大人が邪魔しなければ100%純粋に楽しむのを目的に生きててほんとにすごい。

こんなこと、全部ゆっきぃから学んだことです。

私もゆっきぃみたいな素敵な変なママになりたいな。笑

 

なんということでしょう。

こうやって文章を書かせてもらう機会をありがたく頂き、楽しく書いているのですが、毎回「こんな事書いて誰が読むんだ?」「こんなこと書いて誰か参考になるのか?」と思うのですよ。

そんな時にこうやって感想を頂くと「うっひゃぁーー!書いてよかったぁーー!」とめちゃくちゃ嬉しくなりますね。

まぁ最後の「変なママ」って言葉はアレですが…。笑

(誉め言葉として受け取ってます。)

このありがたい感想を頂き、私が思ったことが2つあります。

 

まず1つ目。

『子どもってすごい!って書いてあるけど、元子どもの貴女もめちゃくちゃすごいんだよ!』ってこと。

これは自分にも言えることです。

前回も書きましたが、どこにも『大人』なんて人はいないと私は思っています。

みんなが『大人のフリ』をしているんだということを素直に認めたら、どんなに楽しい世の中になるだろう!といつも思っています。

「子どもはすごい!」なんて言う気は私はさらさらありません。

(素直になれば)みんなすごいんですから。

 

そしてもう1つ。

『私から学んだ。』と書いてくれているけれど、それは貴女が導き出したんだよ。ってこと。(ありがたいことですが。)

 

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亮一さんがSちゃんにフェイシャルマッサージをしている図。この後私も(むりやり)やってもらいました。

 

 先日私は今回のこの原稿のことについて亮一さんに相談していました。

あと3回、何を書いたらいいか迷っていたからです。

私の中にどんな迷いが生じたかというと、こんな感じです。

 

「あのさー私さー今さらこんなこと言うのもなんだけどさー子育てのことなんか書くような奴じゃないんだよねー。だってさーめちゃくちゃ恵まれてるからさー。

だってさーSちゃんはめちゃくちゃいい子だし、亮一さんは話しをちゃんと聞いてくれる優しい最高の旦那さんだしーぶっちゃけ悩んでないからさー。

こんな恵まれたやつが書いたって説得力ないじゃんねー。単なる運がいいヤツなんだよねー。だから私がどうこうしたってわけじゃないからさー。ぬははー。」

 

…すいません。

…ほんとにヤバいほどアホ丸出しです。

 

でも本当に今さら言うのもなんですが、こんなたまたま運よく恵まれたやつが書くことじゃないような気がして、なんだか申し訳ない気持ちになったわけです。

すると、黙って聞いていた亮一さんがこんなことを言いました。

 

「あのさ、それはゆっきぃが『心配しないっていう方向性』を選んだからそうなってるんでしょ?」

と。

 

私はその言葉を聞いた時、よくわからなくて「ん?」と首を傾げました。

 

「ちょっとよくわからないから説明プリーズ。」

 

私は亮一さんに説明を求めました。

 

亮一さんはわかりやすく、こんな風に説明をしてくれました。

 

「いや、これはゆっきぃを持ち上げてるとかそんなんじゃなく事実ね。

だってさ、俺は5年前に仕事をやめちゃってるわけじゃん。

今庭師の仕事してるけど、それだってすっごい働いているわけじゃないし、そのことを心配して怒る奥さんも世の中にはたくさんいると思うんだよ。将来のことを心配して。

それに俺のことだけじゃなくて、Sちゃんだって寮のある学校にいれたわけじゃん。

そんなこと心配でできない親だってたくさんいるし、宿題がないとか九九を覚えてないとか(Sちゃんは九九が言えません。笑)ずっとYoutube観てるの心配で怒るとか、そういう人もたくさんいると思うんだ。」

 

実際亮一さんは5年前に16年ほど勤めていた整体のお店を辞めています。

ずっと店長をやっていたのでそれなりのお給料を頂いていましたが、夫婦同意の元辞めたのです。

次の働き口なんか何も決めずに。

そして数年間亮一さんは仕事をせずにブラブラするのですが、そこにはきちんとした理由がありました。(はた目にはブラブラしているようにみえると思いますが…)

そしてSちゃんは小学校1年生のころから寮のある山梨の学校に通っています。

平日は寮で生活し、週末だけ家に帰ってきます。

Sちゃんの通っている学校には宿題もテストも成績表もありません。

それに『暗記させる』ということをしないので、九九をいえません。

(掛け算は理解してます。)

それから最近のSちゃんは週末家に帰ってくるとずーーーっと一日中Youtubeを観続けています。

今のSちゃんはそれが一番楽しいらしいです。

 

「これさ、心配しようと思ったらめちゃくちゃ心配できるよね。

それが悩みになる人だってたくさんいると思うよ。

だから恵まれているってゆっきぃは言うけれど、そっちの方向をゆっきぃは選んでるんだと思うんだ。」

 

私は亮一さんのその言葉を聞いて「なるほど!」と思い、同時に(なんと私はめでたいんだ…)と感じました。

 

そして亮一さんはこう言いました。

 

「だからさ、『心配しない方向性もあるよ。選べるよ。』ってことを伝えられるといいんじゃないかな。」

 

『心配しない方向性』

 

なんだかいい言葉です。

 

亮一さんに丁寧に解説してもらい、よくわかったもののなんだか自分があまりにも能天気すぎるような気がして不安になった私。(急に心配する方向性。笑)

だって選んでる自覚がないのですから。

そんな私は亮一さんにこう尋ねました。

 

「あのさ、嫁が心配しない方向性を選んでてさ(選んでる自覚はない)…夫は幸せ?」

 

亮一さんはなんと答えたと思います?

 

 

「え?まぁね。楽だよね。ありがたいし。」

 

ここで「そりゃあ幸せだよ!」とか答えないところがグッときます。笑

 

どうやら奥さんが『心配しない方向性』を選ぶと旦那さんは楽なようです。

では子どもは?

 

「ママはいつもふざけてるからもっと笑わせたくなるよ!」

 

…だそうです。

 

亮一さんから助言を受けた私はその後じっくり考えてみました。

言われてみれば元々恵まれていたわけではないのかもしれない…と。

 

私、元重度の摂食障害です。

ドロドロの底辺の毎日をおくっていました。(15年以上!!)

ハチャメチャな過去があります。(人様に堂々と言えないような。まぁ…言うんだけど。)

そして息子が染色体異常で産まれて、1歳4か月の時に私の腕の中で亡くなりました。

旦那さんが5年前に仕事を辞めちゃいました。

娘は寮生活でどんな毎日をおくっているのかほとんど知りません。

娘はお休みの日はずーーーーっと永遠にYoutubeを観続けています。

家で勉強を一切しません。

テストも宿題も成績表もない学校なので、娘の学力がどれほどなのかがまったくわかりません。

 

むむむ…

これは…

こうやって羅列して書くと手離しで『恵まれている』と言えるのか…?と笑っちゃいました。

 

でもじっくり考えてみても私は思います。

「いやぁー私は世界一の幸せ者だなぁー!」と。

「恵まれすぎてるなぁーー!」と。

 

これが亮一さんが言っていた『心配しない方向性を選んでいる』っていうことなのかもしれません。

 

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なんと神々しい…。

 さて、この『心配しない方向性』。

私はどうしてこっちを選べるようになったのでしょうか。

そして果たしてこっちを選ぶことが結果的によいことなのでしょうか。

こっちの方向性を選んでいれば『心配する気持ち』はなくなるのでしょうか。

 

子育てに『心配』は付き物のように感じます。

人生に『心配』はついて回るもののように感じます。

そうですよね?

どうしても『心配』ってしてしまいません?

じゃあその『心配』が子育てからなくなったらどうでしょう。

人生から『心配』がなくなったらどれほど楽ちんでしょうか。

 

この連載も残すところこの原稿を除けばあと2回です。

あと残りの2回はこの『心配』についてできうる限り書いていきたいと思います。

 

『心配しない方向性』を選ぶ。

これ、快適なんですよ。

私的にはおすすめです。

(亮一さんに言われるまで気付かなかったくせに偉そうに言う私。)

 

ではまた次回。

今回も最後まで読んでくれてありがとうございます!

寒くなってきましたね。

お互い身体に気を付けて楽しく気楽にまいりましょうね。

また読んでくださったら嬉しいです。

 

 

山田麻子さん「手書き暦」ご予約のお知らせ(締め切り 11/31)

 

 

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◉220部限定  ◉本体:9300円+税(送料別途)
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(また、各ネット書店さまに加えて オンラインではSita Ramaさまでもお取り扱いされます)

 
三省堂書店札幌店
紀伊國屋書店札幌本店
ジュンク堂書店 弘前中三店
文苑堂富山豊田店
ブックスなかだ本店
ジュンク堂書店 新潟店
知遊堂亀貝店
丸善 仙台アエル
丸善 丸の内本店
書泉グランデ
三省堂書店神保町本店
誠品生活日本橋
丸善御茶ノ水
ブックファーストアトレ吉祥寺店
ジュンク堂書店 吉祥寺店
くまざわ書店武蔵小金井北口店
オリオン書房ノルテ店
ジュンク堂書店 立川高島屋
丸善 ラゾーナ川崎
ブックファースト青葉台
有隣堂厚木店
ジュンク堂書店 藤沢店
蔦屋書店幕張新都心
丸善 津田沼
喜久屋書店宇都宮店
図書館流通センター 新座ブックナリー
丸善 桶川店
丸善 松本店
ジュンク堂書店 岡島甲府
MARUZEN&ジュンク堂書店 新静岡
戸田書店藤枝東店.
三省堂書店名古屋本店
丸善 名古屋本店
丸善 岐阜店
ジュンク堂書店 大阪本店
紀伊國屋書店グランフロント大阪
紀伊國屋書店梅田本
MARUZEN&ジュンク堂書店 梅田店
ジュンク堂書店 天満橋
ジュンク堂書店 近鉄あべのハルカス
ジュンク堂書店 難波店
ジュンク堂書店 高槻店
大垣書店イオンモールKYOTO店
丸善 京都本店
京都岡崎蔦屋書店
ホホホ座(浄土寺店)
ジュンク堂書店 三宮店
ジュンク堂書店 三宮駅前店
宝塚サンクスソリオ店
ジュンク堂書店 姫路店
ジュンク堂書店 明石店
丸善 岡山シンフォニービル店
喜久屋書店倉敷店
丸善 広島店
ジュンク堂書店 広島駅前店
ジュンク堂書店 松山店
ジュンク堂書店 福岡店
丸善 博多店
ジュンク堂書店 鹿児島店
ジュンク堂書店 那覇
 

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子育てなんかできない! 第10稿 《今さらですが子育てってなんですか?③》ゆっきぃ

『可愛いだけでも子どもは育つ?②』

 

こんにちはー!

2日続けてアップしてもらえるなんてめちゃくちゃ嬉しいです!

今日も読んでくださってありがとうございます!

さて、昨日お伝えしていた通り、今回は私の娘に『可愛いだけで子どもは育つのか』についての意見を求めた時の言葉と娘から載せてくれと懇願されたみなさんへのメッセージを綴ります。

『育てられる側』の娘がどんなことを語るのか、なかなかグサッとくる言葉かもしれません。

でも面白いですよー。

 

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パジャマのままクッキーを作るSちゃん。かわゆす。

数日前、私は寮から帰って来た9歳の娘と一緒にお風呂に入っていた時に娘にふと質問をしたくなりました。

この原稿のことを日々考えていたからです。

 

私「あのさ、今ねママ『可愛いだけで子どもは育つ』と思うよーっていうことを書いているんだけどさ…」

こんな言葉で始まったお風呂での会話。

「ん?うんうん。」と娘は私の話にジッと耳を傾けます。

昔からママはばぁば(私の母)や目上の方たちによく「子どもは可愛いだけでは育たない」といわれ続けていた話し、そう言われて子どもを産むことに怖気づいていた話し、そんなこと言われたら産むのが怖くなっちゃうじゃんねーの話し、でもママは子どもを産みたかったから怖かったけど産んだんだの話し、そして今、ママは『子どもは可愛いだけでも育つ』と思っているんだという話しを私はなるべく簡潔にして娘に聞いてもらいました。

 

たくさんの人たちが「子どもは可愛いだけでは育てられないのよ。」と言うのだということも説明して、私は娘にこう尋ねました。

 

私「あのさ、Sちゃんは今『育てられる側』でしょ?ママは育ててるなんて思ってないんだけど一応その立場って意味ね。

Sちゃんは今のママの話しを聞いてどう思った?意見を聞かせて欲しいの。」

 

娘は少し「うーん…」と言いながら考え、こんな言葉からお話しが始まりました。。

 

娘「まぁさ、いろんな意見があるからどれが正しいなんてないんだけどさ…」

 

娘はいつだってこんな前置きから話をスタートさせます。

素敵です。

 

娘「でもさ、その『可愛いだけじゃ子どもは育てられない』って言ってる人たちはさ、子どもを甘やかすと将来人に迷惑をかけるような子になっちゃうって思ってるんだよ。きっと。」

 

娘は『可愛いだけじゃ子どもは育てられない』の中に『甘やかす』という要素が入っていると指摘しました。

そして「甘やかして育てると人に迷惑をかけるような子になってしまうと思ってるんだ」と導き出しました。

私はここまで聞いて「すげー!」と思いました。

 

ここでちょっと深堀り。

 

私「え?でもさ、ママはSちゃんのこと可愛いだけで育ってるって思ってるんだけど、Sちゃんは人に迷惑をかけるような子に育ってないし、ワガママばっかり言うような子になってないよね。それはどう思う?」

(↑親バカ要素が入ってるのはご勘弁を。笑)

 

だからさ、みんな怖がってやってみてないから実際どうなるかわからないままなんだよ。

『可愛いだけで育つ』のを試すのが怖いからみんなやらないでしょ?だから結果を知らないんだよ。ママはやってみてるでしょ?だからSちゃんがこうなってることがわかったんじゃん。

 

堂々とこんなことを言う我が娘に私は脱帽いたしました。

そして「ほんとにその通りだねーー!」と何度も頷きました。

 

私「Sちゃんはすごいなぁ!めちゃくちゃ参考になったよ!ありがとう。」

 

私は娘に笑顔でお礼を言いました。

すると、少し考えこんだ顔で娘がこう言いました。

 

娘「あのさぁ…もしできたらでいいんだけど、Sちゃんからのメッセージをその原稿に入れられるなら入れて欲しいんだけど…いいかなぁ。あ、もしできたらでいいんだよ。無理だったらいいよ。」

 

私はSちゃんのこの遠慮というか気遣いに弱いです。

なので「え?なになに?できるだけ入れるようにするよ!聞かせて!」と頼みました。

娘は真剣な顔で、そして大きな声で私をまっすぐに見てこんなメッセージを聞かせてくれました。

 

娘「あのさ…『みんな子どもの頃の気持ちを思い出して!』って伝えて欲しいの。これはあくまでもSちゃんの意見なんだけどね。でも子どもの頃の気持ちをみんな思い出したらわかると思うんだ。いや、でもね、これはSちゃんの意見だからわからないけどね!」

 

この娘からのメッセージには何が込められていると思いますか?

とっても良いメッセージだなぁと私は思います。

 

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Sちゃん自作のアイマスク。可愛すぎる…。

『大人』ってなんでしょうね?

私は世の中に本物の『大人』なんて存在しないと思っています。

『大人みたいな人』はたくさんいますが。

みんなが「大人ってこんな感じかなぁ…」と周りをキョロキョロ見回しながら生きているような気がしてなりません。

みんなが「これでいいのかな…」と思いながら必死で大人みたいになろうと生きているがゆえに、いつの間にか「子どもの頃の気持ち」を忘れてしまっているのではないかな、と。

 

Sちゃんは普段あまり見たことがないくらいの真剣な顔でこのメッセージを口にしました。

 

私「わかった。すごくいいメッセージだね。ところでさ、Sちゃんはママとパパに甘やかされてるって感じているの?」

 

私は笑いながらSちゃんに聞いてみました。

 

娘「え?すっごく思ってるよー!ママとパパはSちゃんのこと甘やかしすぎなんだよー!!

…まぁ…嬉しいんだけどね。でもこんなに甘やかしてていいのかなぁ?って思う時もあるよぉー!」

 

ぶふふふ!!

なんてしっかりした子なんでしょう。笑

 

私は娘を甘やかしている自覚は…

…ほんの少ししかありません。笑

 

いつだって娘と対等な関係でいようと努めています。

(未熟者なので気を抜くと所有物化してしまいそうなので『努めて』います。)

そして私と亮一さんは割と子どもの頃に感じた気持ちをシェアしています。

私たち夫婦は『大人』ってどんな人かわからないし、ましてや『大人みたいな人』にもなれない夫婦です。

いつだって「自分の人生に責任をとろう」としています。

そんな私たち夫婦は娘を心から愛しいと感じながら、だからこそこの子の人生はこの子のものなんだということに気付いていきたいと思っています。

 

さて、『子どもは可愛いだけでも育つよ』の意味が伝わったでしょうか。

娘のSちゃんが何度も言っていたようにこれはあくまで私の意見であり、Sちゃんの意見からのメッセージです。

これが少しでも子育て中の方の心に響くものであったなら嬉しいです。

子育て中ではない方にも何かしら響いたなら嬉しいです。

 

2日間に渡って最後まで読んでくれてありがとうございます!!

読んでくださったことがめちゃくちゃありがたいです!!

 

ではまた来月お会いしましょう。

次は何を書こうかな。

 

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