山田麻子 手書き暦 ✳︎2020年版の受付は終了しました。来年をお楽しみに!
本プロジェクトにご支援・応援を頂きました全てのみなさまへ
この度、本プロジェクトの趣旨をご理解下さり、ご支援・応援を頂きまして、誠にありがとうございました。
どきどきはらはらしながら事の成り行きを見守る日々でしたが、思ってもみなかったほどたくさんの、全国各地、また海外に住む方々にまで関心を持って頂き、驚くほどのスピードでプロジェクトの成立を成し遂げ、さらなるご支援も賜ることができました。
金額でのご支援はもちろんではありますが、みなさまのご支援に込められた熱量もまた、ダイレクトに伝わってくるものである、ということをはっきりと知る事ができ、得難い体験をさせて頂きました。
この本の出版が一旦立ち消えそうになったときに、取りやめの理由のひとつとして、実は、次のようなことを言われておりました。
「この本を拝読して、ただ、師の命令の通りに生きた人の人生が、誰かの何かを喚起するとは思えない」と。
確かに、この本は、突き動かされるように旅に出た19歳の若者が、人生の師との邂逅を果たしたヒマラヤにおいて、師と様々なやりとりを重ね、その教えを軸としてお話が展開されていきます。
そして、すべてのことをお見通しであるかのような優れた師からの助言や命によって、最終的に人々に教えを説くに至るまで、著者は学びを得、また動かされていきます。
それを聞いた私の中には、次のような疑問が沸き起こりました。
シュリー・エム氏は、生涯ただ師の命に付き従っていただけで、そこに創造性はなかったのだろうか?
この本から人生にとって大事なことが人に響くことはないのだろうか?
人生に師は必要ないのだろうか?
どうしてもこの本を出版したいという気持ちに変わりはありませんでしたが、抜けることのない棘のように、その一言が私の胸の中にずっと刺さっておりました。
インドに渡航し、シュリー・エム氏にお会いした際に、私は、このモヤモヤとした気持ちを、正直にぶつけてみようと思いました。
もっともそれは、氏が、日本から来た何者かもわからないような私に対しても、親切に目線を合わせ、友のように接してくれたからできたことに、他なりません。
私が率直に先の言葉を伝えると、氏は次のように言われました。
「何か初めての事、今まで知らなかったことを知るためには、必ず師が必要です。そうではありませんか? 私は師に、ありとあらゆるたくさんの質問をし、議論を重ねました。そして、この本の中には書いてはありませんが、ときには喧嘩をして、師から『Get Out ! (出て行きなさい!)』と怒られることもあったのです。それも1回や2回の事ではありませんでした。しかし、師にとって大事な事は、弟子を自分に依存させる事ではありません。
私は、日本語のこの本の最初に、次のような一文を追加してもらいたいと思っています。
『師の役割は、弟子が自らの足で立ち、歩めるようにすることだ』と」。
ご自身の師のことを私たちに語るとき、氏に実に優しい表情が宿りました。そのとき私は、そこにあった二人の関係性を一瞬、垣間見ることができた気がしました。そして、それで十分であるように思われました。
私の先の疑問は、瞬く間に氷解して行きました。
日本では誤解を以って認識され、浸透してしまった、「師」を表すサンスクリット語である「グル」という言葉の本来の意味は、「闇を取り除き光に導く者」です。
まさに、師の存在とその役割とは、無知という闇の中でもがいている私たちにとって、灯台であり、同時に、母のようなものでもあるのでしょう。
それは、昔であっても、現代であっても、変わりがないのだと、私もまた、私自身の師たちの存在や言葉を目印にして歩く者として、そう実感する日々です。
シュリー・エム氏が、もし師と出逢わなかったら。一つの闇が光に変わり、そしてここまで多くの人の道を照らすことはなかったでしょう。
そう思うと、人が人に出逢うということの不思議と、その計り知れない大きな意味が立ち現れてくるように思われます。
そしてきっと、求めさえすれば、全ての人にとってそのような出逢いがあるのだと私は思います。それは、同時代を生きている人かもしれませんし、そうではないかもしれません。
出逢いの形はそれぞれであり、そこから始まる物語は、自分の思うようになるものでもなく、同時に、他の誰かの思い通りにもなることのない、一人ひとりの試行錯誤と共にある道行きであるはずです。
そのような経緯を踏まえて、本書を是非一度読んで頂けたら、幸いに存じます。
私は、この本の原稿を初めて手にし、ぱらぱらとページをめくり、体験から紡がれた言葉を読んでいくうちに、どんどんお話にのめり込んでいきました。そして、編集作業が終わりに近づいてもなお、作業をしながら気がつくと、原稿を読みながら著者と師とのやりとりにボロボロと泣いている自分を発見しました。
本書を読んだみなさまそれぞれが、それぞれに響く箇所に行き当たるように思います。きっと、自分に向けて語られているのではないかと思われるような、そんな箇所に出逢えると思います。そして、それを大切にして、みなさまそれぞれの道しるべとして頂くことができたのなら、こんなに嬉しいことはありません。
また、私が初見の段階でそこまでこのお話に入り込めたのは、訳者の青木光太郎さんの翻訳表現の的確さ、そして誠実さに負うところが大きくあります。
同時に、この本がより良いものとなるようにと、様々な方のご協力をいただきました。この本の多岐に渡る内容が、正確さを以ってみなさんにお届けできるようになったのは、監修者として内容の精査にあたってくださった武井利恭(ガネーシャ・ギリ)先生、サンスクリット語や地名人名の、細やかかつ的確なる指摘をくださった寺崎シータ由美子先生のおかげでもあります。私自身、大変勉強になりました。
また、この本や著者のご紹介、ソーシャルメディアでの拡散、友人知人へのご紹介を自分のことのように一生懸命にしてくださった推薦者の先生方には本当に助けていただきました。
更に、陰ながらこのプロジェクトの成功に向けて様々な助力、アドヴァイスをくださったOさん、Sさん、Tさん、Iさん、そしてGREEN FUNDINGの田村さん。ありがとうございました。
そして、それに反応を示してくださったみなさまのおかげで、出版に向けての着実なる一歩を踏み出すことができました。
現在、本書の年内発行を目指して鋭意制作にあたっていると同時に、今後の予定としまして、シュリー・エム氏の最新の著作であり、古から継承された瞑想の方法を非常に分かり易く「Q&A方式」で書き著し、インド国内ではどの書店でも早くもランキング入りを果たした『ON MEDITATION』の日本語版の出版を目指して動き始めております。訳者は同じく青木光太郎さんです。氏の来日も視野に入って参りました。
さらに、広くみなさまにとって本当の福利となるような本の出版を、このプロジェクトから始まった「蓮華舎」という出版社において、順次検討していけるようになりました。
どうぞこれからも、本プロジェクトでいただいたご縁とともに、事の成り行きを楽しんで見守っていただけたら、そして、応援をいただけたら大変嬉しく思います。
みなさまから返ってくる莫大なエネルギーの中で活動することができた、幸せな2ヶ月間でした。
これからの荒波に向かう勇気をいただけた事に、心から、感謝申し上げます。
みなさまと一緒に光の方向に歩んでいけますように。
本当に、ありがとうございました。
2019年11月1日
本プロジェクト発起者・蓮華舎代表
大津明子
シュリー・エム氏は、現在 国内外において、様々な活動を展開しています。ご自身の活動基盤となるサットサンガ・ファンデーションや、アメリカのブロッサム・ファンデーションでの講演や講義に加え、個人やグループに対しても時間を作り、ヨーガや瞑想、生き方に関わる様々な教えを伝えています。
今回は、その活動の一端の動画を、ダイジェストでお届けします。
<14:00~>
魂の成長のためには仕事をやめなくてはいけませんか?
あなたが魂の成長を目指しているとしても、全ての仕事を辞める必要はありません。仕事をすべてやめれば、単に怠惰になるだけです。それは魂の成長をもたらしません。ある人が私を訪れました。「あなたは何歳ですか?」と聞くと、「40歳です」と答え、「全ての仕事をやめて、あなたのいるマダナパリに来て修行をしたいのです」などと言いました。彼はそれで何をするつもりなのでしょう? 大きな間違いです。
働くことが動的で、瞑想が静的だという二項対立は正しいものではありません。瞑想もまた、仕事とはまた別の、より良い形で動的なものです。そして世間で生きることも動的である。ただ、異なる形だというだけです。
二つの異なった形の動きがあり、あなたはその二つの橋渡しをどのようにするかを見つけ出さなければなりません。仕事をやめてインドのアシュラムに来て、平和に暮らそうというのは間違った考えです。アシュラムは小さな社会です。政治もあります。外の世界で目につかない問題も目につくようになります。ある意味で、それもまた非常によい魂のトレーニングにはなります。しかし、ほとんどの場合は小さな世界での大きな問題で頭がいっぱいになり、魂の成長のことを忘れてしまうのです。これが問題なのです。
ですので、仕事を放棄してはいけません。「何かをする」のです。あなたは働く必要があります。そして、仕事とは、自分のためにするのではなく、他の誰かのためにするものなのです。そして究極的には、仕事は自己の救済のために行われるものなのです。
これらのことを理解していただければ、このふたつを同時に行うことができるでしょう。
<04:05~>
求道者のための組織や団体の内部にも、外の世界と同じように、人々のエゴの衝突や権力争いがあります。組織や団体に所属して真剣に真理を探求する人々にアドバイスはありますか?
何人かの人間が集まれば必ず意見の違いが生まれます。団体や組織となれば、個人間の違いは積み重なり、ときには膨れ上がって内部で爆発したりもします。
ラーマクリシュナ・ミッションという組織に私がブラフマチャーリー(若い修行僧)として滞在していたとき、ミッションの高僧がムンバイ支部を訪れました。彼は私に言いました。「この場所といえども天国ではありません。ここも小さな『世界』なのです。そして、外ではあまり目立たないようなことも、この小さな世界では、大きな違いとなって見えるものです。例え人々が着るものを僧の衣に変えたとしても、それだけで人が完全に変わるわけではないのです。」
他の人々に何かを伝えたい、シェアしたいとなったとき、一人ではできないことがあります。団体はこのような活動には必要なものです。しかし、当然ながら、団体には多種多様な人々が集まります。何も問題がないユートピアは地上には存在しません。問題をどのように対処できるかは、あなたの魂の次元における学びがどれだけ実践においても活かされているかに依ります。そういった学びと実践によって磨かれた、落ち着いた明瞭な心を常に保てれば、団体や組織の内部で問題が生じたときでも、人々が安心して互いに向き合える空間を与えることができるでしょう。
<0:28〜>
自然との付き合い方についてマヘーシュワルナート・ババジは何か教えてくれましたか?
ババジは非常にはっきりと言っていました。自然を敬いなさい、それも最大限の敬意を以って、と。水も、川も、山も、樹も全てが最初の「神」であると。それ以外の神はナンセンスだと。何度もそう言っていました。
例えば「水を無駄にしてはいけない」と。歯を磨いた残りの水ですら何かにあげなさい、と言いました。食べ物においても同様です。食べられるだけにしなさいと。ババジはいつも少ししか食べようとせず、さらに先に少しの食べ物を取り分けておき、動物にあげるなどしていました。菜食についても「リンゴを一つもいで食べたとしても、たくさんのリンゴがまた生るだろう。だが、動物を食べたら、一つの個体、命がなくなる」と言いました。保護する、大切にする、という言葉はマヘーシュワルナート・ババジが最初からとても大事に伝えていたことです。これは、自分の体の中のエネルギーを保全することにもつながります。心と体のバランスをとり、エネルギーの無駄遣いをしないことは大事なことです。
<6:35~>
修行の実践と正しい修行法の重要さについて教えてください。
必要なものは、正しい修行法、そして毎日の継続です。
修行に関してありがちなのは次のようなことです。素晴らしい修行法を師から与えられたとする。あなたは修行をしばらく継続する。しばらくすると、心が落ち着き、意識が透き通るような状態が経験されるようになる。あなたは自分が最も高い境地に至ったと勘違いしてしまう。それで日々の修行はもういいや、ということになってやめてしまう。
このことは常に覚えておいてください。継続こそが修行において最も大事なことだとパタンジャリは言いました。はじめのうちには修行法も正しくできないかもしれません。それでもいいのでたゆまずに続けてください。6ヶ月の修行の後に、自分が最も高い境地、悟りに達したなどという幻想に陥らないように気をつけてください。とにかく日々の継続が大事です。もし本当に悟りが得られたときは、もはや修行をする必要はないでしょう。しかし、修行をすることなしに変化を期待してはいけません。
『ヒマラヤの師と共に〜現代を生きるヨーギーの自叙伝〜』
サットサンガ・ファンデーションのお話
シュリーエムの活動母体である、サットサンガ・ファンデーションの活動趣旨とマダナパリのキャンパスの様子等をご紹介します。
シュリーエムは、サットサンガ・ファンデーションが始まり、広がりを見せた際のお話を本書の中に次のように記述しています。
じきに、マダナパリの私の自宅の周りに、サットサンガ・ファンデーションはオフィスや瞑想スペースを構えるようになり、その活動を世界的に広げていくことになるのでした。また、地域の貧しい家庭出身の子どもたちのための無料の学校、サットサンガ・ヴィッデャーラーヤもこの場所に建設されることになりました。教室が一つ、生徒は十五人、教師は誰もいないという状況から学校がはじまり、今では、百二十人の子どもたちに良質の教育を与えるまでに成長しました。
これから数年後、全寮制の中高一貫校、ピーパル・グローブ・スクールが創始されることになりました。ティルパティから少し離れた、丘と森に囲まれた理想的な学習環境で、子どもたちは好奇心と創造性を存分に育むことができます。インドの元大統領であるアブダル・カラムが訪れた際には、彼はキャンパスの美しさと恵まれた学習環境に感嘆していました。ここでは生徒が勉学に励むだけでなく、様々な側面を持った現実、この「人生」をよりよく知ることを理想にしています。学校を訪れるたびに、ババジがピーパルの木の下に座って、子どもたちに鳥や木の種類を説明する姿を想像してしまうものです。
サットサンガ・ファンデーションの活動は徐々に、しかし確実に規模を広げていきました。学校の運営、人類はひとつであるという理想を目指すマーナヴ・エークター・ミッションの人道的な支援活動、そして私個人はインド国内外を旅して、表層的な現実を超えた世界の真相を探求する人々の導きに携わりました。これらの活動の全ては、支援する人たちがファンデーションのもとに集まったことで可能になりました。
現在、シュリーエム氏は月に一度、このピーパルの木の下で、世界に向けてサットサンガを行っている。
サットサンガ・ファンデーションの活動は、宗派や民族を超えた様々な出会いを通して今のシュリーエム氏という人物に至った、その人生の道のりがあってこそできる活動であるといえます。
その活動は、インド全土の7500キロを人々とともに歩いて巡り、異なる宗教・民族間の対話を引き起こしたピース・ウォークに留まらず、より以前より子どもたちに質の良い教育の機会を提供する学校の運営や、無償の医療の提供、植樹、世界的な講演活動等、多岐にわたっています。
サットサンガ・ファンデーションのHPには、活動や目的について次のように記されています。
あらゆる宗教、信仰を持つ探求者たちが集うための場所として、シュリーエムはサットサンガファンデーションをはじめました。
ファンデーションでは、人間の心をより良い方向へと変え、より包括的で、本当の意味で世界がひとつとなるための真の改革をもたらすための活動が行われています。
活動とその目的は、人類への貢献、真理の探究という二つの理想に根ざしています。
人々の探究を助け、魂の次元における視野を拡大し、多次元的な人生を送る手助けをするためにサットサンガファンデーションはあります。機会に恵まれない人々のための慈善事業も活動の一環として行われています。
鍵となる活動
♥ すべての宗教の共通の軸となる教義、教えを探究し、すべての宗派の人々との調和を生きる習慣を養う。
♥ 真剣な真理の求道者を集め、宗教や、神秘的とも捉えられる教えの真のエッセンスを共に探究する。
♥ 貧しい人々に食事を提供し、教育の機会を与え、医療を提供し、高齢者などを助けることによって機会に恵まれない人々のための慈善事業を展開する。
瞑想ホール
マ・コンダの田舎にあるサットサンガ・ルーラル・ヴィッデャーラーヤ(小学校)
敷地を闊歩する犬、グーグル
マダナパリのキャンパス敷地内
『ヒマラヤの師と共に〜現代を生きるヨーギーの自叙伝〜』
シュリーエムと師マヘーシュワルナート・ババジ
本書は、著者であるSri M 氏と、ヒマラヤで邂逅を果たした氏の師であるマヘーシュワルナート・ババジ、そして、その師の師であるシュリー・グル・ババジとの切り離せない深い繋がりと愛が根底に絶えず流れています。
師との問答、やりとり、そして一緒に時間を過ごすことでシュリーエム氏が感得した師の教えがちりばめられています。
そして、その幾つかは非常に心揺さぶる記述でもあります。本書のハイライトと言っても良いでしょう。
今回は、そのほんの幾つかの場面をご紹介します!
本翻訳書の師にまつわるたくさんの記述を楽しみにお待ちいただきたいと思います。
① 師、マヘーシュワルナート・ババジの言葉
なにが当時九歳だった私(シュリーエム)のもとへと彼を向かわせたのでしょう。
彼の尽きることない慈愛からでしょうか? それとも個人の生の長さを超えた、
大きな生の流れに由来する縁だったのでしょうか?
物語の終わりに読者のみなさん自身にこの答えを決めていただきたいと思います。
私の師、ババジは言いました。「物事をシンプルで率直に伝えなさい。
複雑な理論や深淵な神秘を装うことなく、他の人々と同じように世の中で生きなさい。
偉大なものは決して宣伝されることはない。その存在に近い人達は、自らお前を見つけ出すだろう。
友人や知人たちの見本であれ。世の中で幸せに生きながらも、尽きることない力、
そして無限の意識の恩寵とのつながりを保ち続けるのだ」。
② ババジとの暮らし
ババジと暮らしはじめてから、私は人生ではじめて食べ物の有り難みを知りました。
そして料理の仕方もこのときに学びました。食事はとても質素なものでしたが、
調理は完璧にしなければなりませんでした。野菜の切り方からお湯の沸かし方まで、
一部を適当に済ますことは許されませんでした。あるときババジは言いました。
「野菜をちゃんと切れず、ご飯もちゃんと炊けない者が、一体どうやって
究極の真理に到達できるというのだ。
それでは朝から晩まで嘘まみれの人間が、自分はサッテャ(真実)を語っていると言っているようなもの。政治家でさえも「サッテャム・エーヴァ・ジャヤテー(真実が勝つ)」と口先だけで言うものだ。
日常生活を完璧にするところからはじめなさい。それが究極の真理へ至る道だ」。
③ マサラ・ドーサ事件とババジ
アルンダティ洞窟で二つの出来事が起きました。一つ目は私がドーサ事件と名付けた出来事です。洞窟での滞在の最終日の朝に、私はある行法に取り組んでいました。眉毛の間の中心部分にある、白い二枚の花びらをもつ蓮の花に意識を集中させるものです。アージニャー・チャクラというエネルギーの集中箇所を覚醒させるためのクリヤ・ヨーガの修行です。しかし、どれだけ試しても、なぜか大好物の朝食である南インドのマサラ・ドーサが頭に浮かんできてしまうのでした。このときはじめて、自分がどれだけドーサを好きだったかを私は知りました。もはや依存症のようで、力を尽くして抵抗しましたが、なかなかドーサのイメージは私の頭を離れないのでした。
ババジが私の方に歩いてきて、私の肩に触れてから言いました。「何を対象にして瞑想しているのだね?」私は答えました。「アージニャー・チャクラです」。彼は笑い出しました。「そうかね?それはマサラ・ドーサの形をしているのかな?」
私は言いました。「ババジ、お願いです。あなたが私の意識の内容を知っているのはわかっています。笑っていないで助けてください」。
④ マヘーシュワルナート・ババジと老僧との会話
「これまで蓄積した知識であなたの意識はいっぱいになっていて、
既にそこにある真理を受け入れるための空間が今のあなたにはない。抱えている重荷を下ろしなさい。全ての荷物を投げ捨て、空っぽの状態となりなさい。そうすれば溢れるほどのものを受け入れることができる。
絶対の真理は決して過去にあるものではない。この真理は永遠の現在にのみあるのだ。真理は現在、この瞬間に、生の躍動と共に永遠と流れているものだからだ。
甘美な、聖なる風が通り抜けるためには、プライドと借り物の知識で曇っている窓の付いた扉が解放されなければならない。
私の言っていることは理解できるかね? あなたに会うことはもうないだろう。私たちは数日後にはゴームクに発つのでね」。
こう言い残して、ババジは立ち上がり、私たちは老僧にお別れを告げました。
涙を両目に溜めた老僧はババジの足元に伏して敬礼をしようとしましたが、ババジは彼の肩をおさえて止めました。
「あなたはサンニャーシンで、黄土色の衣を身に着けている。加えて、あなたは真摯な男であり、世間的な基準から言えば私よりも年上だ。なのでひれ伏しての挨拶などは止めなさい。私への敬愛の念はあなたの目を見ればはっきりとしている。それで十分だ」。
去っていく私たちを見送りながら、彼はガンジス川の川岸に立っていました。
「ババジ。私も真理へと導いてください。今日は深い学びを得ました。あなたはとても親切な人です」と私(シュリーエム)は言いました。
ババジは笑い声を立て、右腕で私の肩を抱えて言いました。
「全ては適当な時期にもたらされるだろう。木曜の朝にはゴームクへ向けて出発だ」。
シュリーエムの描いたマヘーシュワルナート・ババジ
『ヒマラヤの師と共に〜現代を生きるヨーギーの自叙伝〜』
「前書き」の全文をこちらでご紹介いたします!
この本は、南インドの海岸沿いから雪に包まれた神秘的なヒマラヤ山脈の峰々へと至り、そこから平野へと戻っていく旅の記録です。この旅路で私は並外れた力を持つ人たちと出会い、信じがたいほどの素晴らしい体験を彼らと共にしました。この旅に読者のみなさんをお連れする前に、前置きとして、いくつか知っていただきたいことがあります。
この本を書くまで、この体験の話は誰にもしたことがありませんでした。それは私の心のなかに大事にしまわれ、最も親しい友人たちにさえ、私の意識の奥底にあるものが明かされたことはありませんでした。
しかし、何故、私はこの経験を他人から隠すようにしていたのでしょう?そして、今になって秘密を公にすることにしたのは何故でしょう?
まず、その説明をしましょう。
私の師匠の「ババジ」は、私が自叙伝を書くことになると常々言っていました。そして、この本の出版される2年前にババジから執筆の許しを得ました。しかし、その後6ヶ月もの間、この本に書かれている体験を公にすることを私はためらっていました。私の躊躇していたのには2つの理由があります。
まず、神秘的な体験の魅力に惑わされ、真摯に真理の探求をしている人々が、探求において必要不可欠である現実的な側面を、誤解してしまうのではないかという懸念がありました。
また、私の体験のいくつかの部分は信じられないほどに奇妙であるため、疑い深い読者からは、作り話として真剣に扱われない可能性もありました。
しかし、最終的に、私は自叙伝を書く行為を次のように正当化しました。
まず、自身の体験を書くのが私にできることの全てであり、それをどう判断するかは読者の自由です。懐疑的な読者も少人数ながらいるでことしょう。しかし、その少人数に対する遠慮のために、他の大勢の読者に私の体験を伝えないというのは不公平なことだと私は考えました。
また、インドのヨーガの達人の自叙伝で古典的存在となっている『あるヨギの自叙伝』が書かれた後、真率なヨーギーの自伝というのは世に少なく、本の著者は既に他界しているか、もしくは公に出てていない場合がほとんどです。さらに『あるヨギの自叙伝』がどれだけヨーギーの世界の実像に近いものであろうと、本の著者がヒマラヤ山脈で過ごした時間は短いものです。そのため、特にヒマラヤ山脈での期間を含めて、自分の体験を今の世に生きる人々に伝えることは重要なことだと私は理由付けました。そして、真剣に真理を探求している読者のために、自叙伝をきっかけに、私の知識を共有する機会も与えられるようになるとも考えました。
最後に、この自叙伝を書くことで、ほんの一握りの人々にしか知られていない、私の師であるマヘーシュワルナート・バジジ、また彼の師であるシシュリー・グル・ババジのように偉大な師匠たちが、世界中の人々の発展と幸福に与えている大きな影響の証をすることも私は試みたのでした。
必要であれば、あまりに奇怪で信じられないような箇所は飛ばして、残りの部分を読んでみてください。一部分が信じられないというだけで、シュリー・グル・ババジやマヘーシュワルナート・ババジの貴重な教えを読み落としてしまうことがないようにしてほしいと思います。私が師匠に負うところは、近代インドの聖者、スワーミ・ヴィヴェーカーナンダが彼の師匠であるラーマクリシュナ・パラマハンサについて言ったことと同じです。彼は言いました。「私の師匠の神聖な足からこぼれ落ちた塵のかけらで、千人のヴィヴェーカーナンダを生み出せたことだろう。」
「ヴィヴェーカーナンダ」を私の名前に代えてもらえれば、私が師匠に負う負債の大きさがわかっていただけるかと思います。
さて、前置きはこれくらいにして、読者のみなさんを未知の旅へとお連れしましょう。偉大な師匠たちによる祝福があなたと共にありますように。
それでは、旅をはじめましょう。
※写真の無断転載はご遠慮ください。