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【潜水深度】
年の瀬。
今年はどこまで潜れたのかな?
次はどこまで潜れるのでしょうか?
2021年「手書き暦」申し込みは締め切りました!また、来年をお楽しみに!
子育てなんかできない!第11稿
《今さらですが子育てって何ですか?④》
『心配しないっていう方向性もあるんだよ。』
みなさんこんにちは!
もう年末?!!
11月じゃないですか?!!
この連載もあと3回で終わりですって。
え?あと3回?!
うーん…もう終わってしまうのかと思うと寂しいですね。
あともう少しですが、よかったら私の『子育てなんかできない!』にお付き合いくださいね。
先日、私のブログ『藤山家においでよ。』を通じてお友達になった方からメッセージを頂きました。
あまりにも嬉しかったのでここでぜひ紹介させてください。
ゆっきぃの『子育てなんかできない!』の記事を読ませてもらってるよ。
すごく感動したよ。
ゆっきぃの記事を読んで最近思ってることがあるんだ。
子育てというか『子育ち』(と言った方が私的にはしっくりくる)で親ができるのは子どもと一緒に沢山笑うこと。
子どもに少しでも多く笑顔でいてもらうこと。
それだけできればあとは何にもいらないんじゃないかってぐらい、それってほんとに素敵なことだってこと。
子どもって大人が邪魔しなければ100%純粋に楽しむのを目的に生きててほんとにすごい。
こんなこと、全部ゆっきぃから学んだことです。
私もゆっきぃみたいな素敵な変なママになりたいな。笑
なんということでしょう。
こうやって文章を書かせてもらう機会をありがたく頂き、楽しく書いているのですが、毎回「こんな事書いて誰が読むんだ?」「こんなこと書いて誰か参考になるのか?」と思うのですよ。
そんな時にこうやって感想を頂くと「うっひゃぁーー!書いてよかったぁーー!」とめちゃくちゃ嬉しくなりますね。
まぁ最後の「変なママ」って言葉はアレですが…。笑
(誉め言葉として受け取ってます。)
このありがたい感想を頂き、私が思ったことが2つあります。
まず1つ目。
『子どもってすごい!って書いてあるけど、元子どもの貴女もめちゃくちゃすごいんだよ!』ってこと。
これは自分にも言えることです。
前回も書きましたが、どこにも『大人』なんて人はいないと私は思っています。
みんなが『大人のフリ』をしているんだということを素直に認めたら、どんなに楽しい世の中になるだろう!といつも思っています。
「子どもはすごい!」なんて言う気は私はさらさらありません。
(素直になれば)みんなすごいんですから。
そしてもう1つ。
『私から学んだ。』と書いてくれているけれど、それは貴女が導き出したんだよ。ってこと。(ありがたいことですが。)
先日私は今回のこの原稿のことについて亮一さんに相談していました。
あと3回、何を書いたらいいか迷っていたからです。
私の中にどんな迷いが生じたかというと、こんな感じです。
「あのさー私さー今さらこんなこと言うのもなんだけどさー子育てのことなんか書くような奴じゃないんだよねー。だってさーめちゃくちゃ恵まれてるからさー。
だってさーSちゃんはめちゃくちゃいい子だし、亮一さんは話しをちゃんと聞いてくれる優しい最高の旦那さんだしーぶっちゃけ悩んでないからさー。
こんな恵まれたやつが書いたって説得力ないじゃんねー。単なる運がいいヤツなんだよねー。だから私がどうこうしたってわけじゃないからさー。ぬははー。」
…すいません。
…ほんとにヤバいほどアホ丸出しです。
でも本当に今さら言うのもなんですが、こんなたまたま運よく恵まれたやつが書くことじゃないような気がして、なんだか申し訳ない気持ちになったわけです。
すると、黙って聞いていた亮一さんがこんなことを言いました。
「あのさ、それはゆっきぃが『心配しないっていう方向性』を選んだからそうなってるんでしょ?」
と。
私はその言葉を聞いた時、よくわからなくて「ん?」と首を傾げました。
「ちょっとよくわからないから説明プリーズ。」
私は亮一さんに説明を求めました。
亮一さんはわかりやすく、こんな風に説明をしてくれました。
「いや、これはゆっきぃを持ち上げてるとかそんなんじゃなく事実ね。
だってさ、俺は5年前に仕事をやめちゃってるわけじゃん。
今庭師の仕事してるけど、それだってすっごい働いているわけじゃないし、そのことを心配して怒る奥さんも世の中にはたくさんいると思うんだよ。将来のことを心配して。
それに俺のことだけじゃなくて、Sちゃんだって寮のある学校にいれたわけじゃん。
そんなこと心配でできない親だってたくさんいるし、宿題がないとか九九を覚えてないとか(Sちゃんは九九が言えません。笑)ずっとYoutube観てるの心配で怒るとか、そういう人もたくさんいると思うんだ。」
実際亮一さんは5年前に16年ほど勤めていた整体のお店を辞めています。
ずっと店長をやっていたのでそれなりのお給料を頂いていましたが、夫婦同意の元辞めたのです。
次の働き口なんか何も決めずに。
そして数年間亮一さんは仕事をせずにブラブラするのですが、そこにはきちんとした理由がありました。(はた目にはブラブラしているようにみえると思いますが…)
そしてSちゃんは小学校1年生のころから寮のある山梨の学校に通っています。
平日は寮で生活し、週末だけ家に帰ってきます。
Sちゃんの通っている学校には宿題もテストも成績表もありません。
それに『暗記させる』ということをしないので、九九をいえません。
(掛け算は理解してます。)
それから最近のSちゃんは週末家に帰ってくるとずーーーっと一日中Youtubeを観続けています。
今のSちゃんはそれが一番楽しいらしいです。
「これさ、心配しようと思ったらめちゃくちゃ心配できるよね。
それが悩みになる人だってたくさんいると思うよ。
だから恵まれているってゆっきぃは言うけれど、そっちの方向をゆっきぃは選んでるんだと思うんだ。」
私は亮一さんのその言葉を聞いて「なるほど!」と思い、同時に(なんと私はめでたいんだ…)と感じました。
そして亮一さんはこう言いました。
「だからさ、『心配しない方向性もあるよ。選べるよ。』ってことを伝えられるといいんじゃないかな。」
『心配しない方向性』
なんだかいい言葉です。
亮一さんに丁寧に解説してもらい、よくわかったもののなんだか自分があまりにも能天気すぎるような気がして不安になった私。(急に心配する方向性。笑)
だって選んでる自覚がないのですから。
そんな私は亮一さんにこう尋ねました。
「あのさ、嫁が心配しない方向性を選んでてさ(選んでる自覚はない)…夫は幸せ?」
亮一さんはなんと答えたと思います?
「え?まぁね。楽だよね。ありがたいし。」
ここで「そりゃあ幸せだよ!」とか答えないところがグッときます。笑
どうやら奥さんが『心配しない方向性』を選ぶと旦那さんは楽なようです。
では子どもは?
「ママはいつもふざけてるからもっと笑わせたくなるよ!」
…だそうです。
亮一さんから助言を受けた私はその後じっくり考えてみました。
言われてみれば元々恵まれていたわけではないのかもしれない…と。
私、元重度の摂食障害です。
ドロドロの底辺の毎日をおくっていました。(15年以上!!)
ハチャメチャな過去があります。(人様に堂々と言えないような。まぁ…言うんだけど。)
そして息子が染色体異常で産まれて、1歳4か月の時に私の腕の中で亡くなりました。
旦那さんが5年前に仕事を辞めちゃいました。
娘は寮生活でどんな毎日をおくっているのかほとんど知りません。
娘はお休みの日はずーーーーっと永遠にYoutubeを観続けています。
家で勉強を一切しません。
テストも宿題も成績表もない学校なので、娘の学力がどれほどなのかがまったくわかりません。
むむむ…
これは…
こうやって羅列して書くと手離しで『恵まれている』と言えるのか…?と笑っちゃいました。
でもじっくり考えてみても私は思います。
「いやぁー私は世界一の幸せ者だなぁー!」と。
「恵まれすぎてるなぁーー!」と。
これが亮一さんが言っていた『心配しない方向性を選んでいる』っていうことなのかもしれません。
さて、この『心配しない方向性』。
私はどうしてこっちを選べるようになったのでしょうか。
そして果たしてこっちを選ぶことが結果的によいことなのでしょうか。
こっちの方向性を選んでいれば『心配する気持ち』はなくなるのでしょうか。
子育てに『心配』は付き物のように感じます。
人生に『心配』はついて回るもののように感じます。
そうですよね?
どうしても『心配』ってしてしまいません?
じゃあその『心配』が子育てからなくなったらどうでしょう。
人生から『心配』がなくなったらどれほど楽ちんでしょうか。
この連載も残すところこの原稿を除けばあと2回です。
あと残りの2回はこの『心配』についてできうる限り書いていきたいと思います。
『心配しない方向性』を選ぶ。
これ、快適なんですよ。
私的にはおすすめです。
(亮一さんに言われるまで気付かなかったくせに偉そうに言う私。)
ではまた次回。
今回も最後まで読んでくれてありがとうございます!
寒くなってきましたね。
お互い身体に気を付けて楽しく気楽にまいりましょうね。
また読んでくださったら嬉しいです。
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ぜひ、お近くの書店店頭でお求めください。
(また、各ネット書店さまに加えて オンラインではSita Ramaさまでもお取り扱いされます)
『可愛いだけでも子どもは育つ?②』
こんにちはー!
2日続けてアップしてもらえるなんてめちゃくちゃ嬉しいです!
今日も読んでくださってありがとうございます!
さて、昨日お伝えしていた通り、今回は私の娘に『可愛いだけで子どもは育つのか』についての意見を求めた時の言葉と娘から載せてくれと懇願されたみなさんへのメッセージを綴ります。
『育てられる側』の娘がどんなことを語るのか、なかなかグサッとくる言葉かもしれません。
でも面白いですよー。
数日前、私は寮から帰って来た9歳の娘と一緒にお風呂に入っていた時に娘にふと質問をしたくなりました。
この原稿のことを日々考えていたからです。
私「あのさ、今ねママ『可愛いだけで子どもは育つ』と思うよーっていうことを書いているんだけどさ…」
こんな言葉で始まったお風呂での会話。
「ん?うんうん。」と娘は私の話にジッと耳を傾けます。
昔からママはばぁば(私の母)や目上の方たちによく「子どもは可愛いだけでは育たない」といわれ続けていた話し、そう言われて子どもを産むことに怖気づいていた話し、そんなこと言われたら産むのが怖くなっちゃうじゃんねーの話し、でもママは子どもを産みたかったから怖かったけど産んだんだの話し、そして今、ママは『子どもは可愛いだけでも育つ』と思っているんだという話しを私はなるべく簡潔にして娘に聞いてもらいました。
たくさんの人たちが「子どもは可愛いだけでは育てられないのよ。」と言うのだということも説明して、私は娘にこう尋ねました。
私「あのさ、Sちゃんは今『育てられる側』でしょ?ママは育ててるなんて思ってないんだけど一応その立場って意味ね。
Sちゃんは今のママの話しを聞いてどう思った?意見を聞かせて欲しいの。」
娘は少し「うーん…」と言いながら考え、こんな言葉からお話しが始まりました。。
娘「まぁさ、いろんな意見があるからどれが正しいなんてないんだけどさ…」
娘はいつだってこんな前置きから話をスタートさせます。
素敵です。
娘「でもさ、その『可愛いだけじゃ子どもは育てられない』って言ってる人たちはさ、子どもを甘やかすと将来人に迷惑をかけるような子になっちゃうって思ってるんだよ。きっと。」
娘は『可愛いだけじゃ子どもは育てられない』の中に『甘やかす』という要素が入っていると指摘しました。
そして「甘やかして育てると人に迷惑をかけるような子になってしまうと思ってるんだ」と導き出しました。
私はここまで聞いて「すげー!」と思いました。
ここでちょっと深堀り。
私「え?でもさ、ママはSちゃんのこと可愛いだけで育ってるって思ってるんだけど、Sちゃんは人に迷惑をかけるような子に育ってないし、ワガママばっかり言うような子になってないよね。それはどう思う?」
(↑親バカ要素が入ってるのはご勘弁を。笑)
娘「だからさ、みんな怖がってやってみてないから実際どうなるかわからないままなんだよ。
『可愛いだけで育つ』のを試すのが怖いからみんなやらないでしょ?だから結果を知らないんだよ。ママはやってみてるでしょ?だからSちゃんがこうなってることがわかったんじゃん。」
堂々とこんなことを言う我が娘に私は脱帽いたしました。
そして「ほんとにその通りだねーー!」と何度も頷きました。
私「Sちゃんはすごいなぁ!めちゃくちゃ参考になったよ!ありがとう。」
私は娘に笑顔でお礼を言いました。
すると、少し考えこんだ顔で娘がこう言いました。
娘「あのさぁ…もしできたらでいいんだけど、Sちゃんからのメッセージをその原稿に入れられるなら入れて欲しいんだけど…いいかなぁ。あ、もしできたらでいいんだよ。無理だったらいいよ。」
私はSちゃんのこの遠慮というか気遣いに弱いです。
なので「え?なになに?できるだけ入れるようにするよ!聞かせて!」と頼みました。
娘は真剣な顔で、そして大きな声で私をまっすぐに見てこんなメッセージを聞かせてくれました。
娘「あのさ…『みんな子どもの頃の気持ちを思い出して!』って伝えて欲しいの。これはあくまでもSちゃんの意見なんだけどね。でも子どもの頃の気持ちをみんな思い出したらわかると思うんだ。いや、でもね、これはSちゃんの意見だからわからないけどね!」
この娘からのメッセージには何が込められていると思いますか?
とっても良いメッセージだなぁと私は思います。
『大人』ってなんでしょうね?
私は世の中に本物の『大人』なんて存在しないと思っています。
『大人みたいな人』はたくさんいますが。
みんなが「大人ってこんな感じかなぁ…」と周りをキョロキョロ見回しながら生きているような気がしてなりません。
みんなが「これでいいのかな…」と思いながら必死で大人みたいになろうと生きているがゆえに、いつの間にか「子どもの頃の気持ち」を忘れてしまっているのではないかな、と。
Sちゃんは普段あまり見たことがないくらいの真剣な顔でこのメッセージを口にしました。
私「わかった。すごくいいメッセージだね。ところでさ、Sちゃんはママとパパに甘やかされてるって感じているの?」
私は笑いながらSちゃんに聞いてみました。
娘「え?すっごく思ってるよー!ママとパパはSちゃんのこと甘やかしすぎなんだよー!!
…まぁ…嬉しいんだけどね。でもこんなに甘やかしてていいのかなぁ?って思う時もあるよぉー!」
ぶふふふ!!
なんてしっかりした子なんでしょう。笑
私は娘を甘やかしている自覚は…
…ほんの少ししかありません。笑
いつだって娘と対等な関係でいようと努めています。
(未熟者なので気を抜くと所有物化してしまいそうなので『努めて』います。)
そして私と亮一さんは割と子どもの頃に感じた気持ちをシェアしています。
私たち夫婦は『大人』ってどんな人かわからないし、ましてや『大人みたいな人』にもなれない夫婦です。
いつだって「自分の人生に責任をとろう」としています。
そんな私たち夫婦は娘を心から愛しいと感じながら、だからこそこの子の人生はこの子のものなんだということに気付いていきたいと思っています。
さて、『子どもは可愛いだけでも育つよ』の意味が伝わったでしょうか。
娘のSちゃんが何度も言っていたようにこれはあくまで私の意見であり、Sちゃんの意見からのメッセージです。
これが少しでも子育て中の方の心に響くものであったなら嬉しいです。
子育て中ではない方にも何かしら響いたなら嬉しいです。
2日間に渡って最後まで読んでくれてありがとうございます!!
読んでくださったことがめちゃくちゃありがたいです!!
ではまた来月お会いしましょう。
次は何を書こうかな。
《今さらですが子育てってなんですか?②》
『可愛いだけでも子どもは育つ?』
みなさんこんにちは!
だんだん肌寒くなってきましたねー。
朝晩のひんやりとしてカサカサとした空気がほっぺに当たると「あー…また今年もこの季節がきたんだなぁ…」と空を見上げてしまいます。
家の窓からは風に乗って金木犀がふんわりと香り、やっぱりこの季節もいいもんだなぁと再確認させられます。
年々秋が好きになり、このあとやってくる冬も好きになってきている自分にいつも驚きます。
あんなに「夏しかいらない!!!」と叫んでいたのに。笑
変化を楽しむ。
それは『この世界はいつだってどの瞬間もずっと変化し続けているんだ』ということを諦め続け、その中でも唯一変化しない視点から観るということに気付き続けているからできることなんだろうなぁなんて思います。
前回の《今更ですが子育てってなんですか?》の記事は読んで頂けたでしょうか?
もしまだの方はこちらからぜひ読んでみて下さい。↓↓↓
この記事を蓮華舎の舎長のおーちゃんに寄稿した際、おーちゃんがこんな感想をくれました。
「子どもは可愛いだけで育つってとこ、もう少し詳しく聞きたいなぁ。そう思う人結構いるんじゃないかな?」
(こんな感じだったよね?おーちゃん。合ってるよね?笑)
私はおーちゃんからその言葉を受け取った時、「なるほど」と深く頷きながらも「こりゃたいへんなことを書いてしまったぞ」と思いました。
子どもは可愛いだけでも育つよ。
この一文の中にものすごくたくさんのことが詰まっていることに気付いたからです。
私の母親は「子どもはいいわよぉ~。ほんっとに可愛いから!でもねぇ…可愛いだけじゃ育てられないのよぉ…」とよく私に言っていました。
私はその言葉を聞いて、「まぁ…そうだよなぁ…よく聞く言葉だし、みんなそう言うもんなぁ…」と何の疑問も持たず受け取りました。(まだ娘がいない時です。)
私の母親は何をもってこの言葉を言っていたのだろう。
「可愛いだけじゃ育てられない」とはどういうことだろう。
そんなことを思い始めたのは娘が生まれてしばらく経ったころでした。
私にもきっと「可愛いだけじゃ育てられない」と思う日がくるのかもしれない。
頭の片隅でそんなことを思いながら日々過ごしていたのですが、もう9年が経ちました。
未だに頭の片隅で「今はまだ9歳だよな。可愛いだけじゃ育てられないという日が私にもやってくるのかもしれないなぁ」と言っている私がいます。
ですが、今の時点での9年間、私は一度も「可愛いだけじゃ育てられないのよぉ」なんて思ったことがありません。
これから思う日が来るのかもしれませんが、今のところただの一度も思ったことがないのです。
数年前、私の友人の勧めで近所の保育園で保育補助のアルバイトをしたことがありました。
週一回だけ、ほんの7時間くらいのアルバイトです。
「ゆっきぃさんは子どもが好きだから合ってると思って!人手が足りないから手伝ってほしいの!」というお誘いでした。
私は子どもがとにかく好きなので「いいよ!やるやる!」とすぐに引き受けました。
ですが、その彼女も同じようなことを言いました。
「でも、子どもが可愛いだけではできない仕事ですから…」と。
そして実際に保育園でのお仕事に行き始めた私は「ん?」と目を丸くするようなことにたくさん遭遇するのですが、そこには「可愛いだけじゃ子どもは育たないんですよ!」と力いっぱい身体中で表現している先生たちが何人もいました。
まだとっても小さいやっとよちよち歩きができるようになったような子たちもいる1歳児クラスの担当になった私。
可愛くて可愛くて「うわぁ~♡」と喜んだのも束の間。
ママと離れたくない子どもが大きな声で「ママぁ~!!」と泣きました。
当たり前のことですよね。
大好きなママと離れるんですから。
すると1人の若い先生が強い口調でこう言いました。
「ママはお仕事!泣かないっ!!」
「もう泣かないの!強い子でしょ?!」
給食の時間にはこんなこともありました。
まだ小さい1歳児。
手づかみ食べもしてしまうくらいの年です。
1人の大人が3人の園児を見ながら食べなければいけない給食の時間はとても忙しくて大変です。
でも私は子どもたちが可愛くて可愛くて、どうやって楽しく食べようかと考えていました。
もちろん何もわからないド素人ですから、先輩先生たちの動きを見ながらです。
比較的大きくて面倒の見やすい子たちを私の担当にしてくれたようなのですが、それでもやっぱりまだ小さい子たちです。
どうしてもスプーンやフォークではなく手でつかんでしまうこともあります。
私は手づかみ食べを悪い事だとは思っていないのでニコニコしながら「おーっと!スプーンも使ってみよっかー。」と緩く促しました。(スプーンやフォークを使えるように指導してくださいと言われていたので。)
その時、1人の先輩先生が私に向かって強くこう言いました。
「先生!手づかみ食べをやめさせてください!」
そして園児に向かって
「○○ちゃん!ちゃんとスプーン使えるでしょ!!使いなさい!!」
とキッ!ときつい目で見ながら言いました。
その子はおびえたような目で小さく頷きながら、まだ慣れていないスプーンを手に持ち、その先生の方をチラチラ見ながら給食を食べました。
私はその光景が未だ頭から離れません。
私がアルバイトに行った園はこうやって指導することが当たり前のような空気が流れていました。
なので「藤山先生、甘やかさないでください。」と何度も言われました。
先生たち1人1人はとても良い人たちです。
園児たちがお昼寝に入ると顔つきも穏やかになり、普通に話すととても親切なんです。
私はこのギャップに悩みました。
そして私はどうしても園児にキツく怒ることができずに、いつも一緒に遊んでしまうのでよく先生たちに怒られていました。
(結局私はそこのやり方に耐えられずに3ヶ月で辞めてしまうのです。あはは…)
この園の先生たちが必死にやっているのは見ていてよくわかりました。
みんな一生懸命やっているんです。
その一生懸命さは一体どこに向かっているのでしょう。
「子どもは可愛いだけじゃ育たない」
この言葉の中には何があるのでしょうか。
私はこの言葉自体がセリフのように蔓延してしまっているような気がするのです。
「子どもは可愛いだけじゃ育たないから…」
「子どもが可愛いだけではできない仕事ですから…」
このセリフを言われてしまうと「あぁ…そうですよねぇ…」となぜか言い返せなくなるような効力まで持ってしまい、すごい市民権を獲得してしまっているような気がしてならないのです。
そこに含まれているものってこれなんじゃないかな?と思うものがあります。
それは
『親の責任』
『子どもを預かる大人の責任』
ほんとは可愛いだけでいたいのに、ほんとはもっと子どもとの時間を無邪気に楽しみたいのに、
そんな思いにすら気付かないくらい『親の責任』や『子どもを預かる大人の責任』という言葉にやられてしまっているのではないか?と思うのです。
さて。
責任って何でしょう。
誰が誰に対して負う責任なのでしょうか。
『責任』という言葉についてちょっと調べてみたら、こんな言葉が書いてありました。
「自分のしたことの結果について責めを負う事。特に失敗や損失による責めを負う事。」
こ、怖いっ!!
子育てに失敗したくない。
責任を負うのはこっちだ。
だから細心の注意をはらい、なるべく危険は回避する。
子どもの失敗は親の責任だ。そこを重々考えながら子育てをしなければ。
そう。
だから子育ては大変なんだ!可愛いだけじゃ育てられないのよ!!
こんな感じでしょうか?
あぁ辛い…
大人になるって辛いっす…
そう思いませんか?
ましてや親になるってとってもしんどいことのように感じませんか?
私は『親の責任』という言葉が好きではありません。
いや、嫌いといった方がいいくらいです。
私は過去に家出をしました。
家出をしてから私はハチャメチャな毎日をおくりました。
ハチャメチャなんて可愛い気のある言葉に当てはまらないような毎日をおくりました。
その家出期間はとても長く、7年ほどの歳月家出をしていたのです。
私はその期間、傍から見た行為としてはハチャメチャでしたが全力で自分の人生を真剣に悩みながら過ごしていました。
ですが、その間私の父親と母親は「これは自分たちの育て方が悪かったんだ。親の責任だ。」と苦悩するのです。
結果として、私の両親は『私を信頼し続ける』ということを態度で示し続けてくれたので今の私があるのですから、見事に『親の責任』を果たしてくれたと思っています。
ですがやっぱり私は『親の責任』という言葉が好きではありません。
なんだかどことなく子どもをバカにしているような感じがするからです。
“親だから”子どものやったことに責任をとるのでしょうか?
私はこう思います。
『私は私の人生の責任をとり続けるんだ』と。
あぁ…大きな口を叩いてしまいました…
自信はありません。笑
責任の取り方の正解なんてわからないですし。
でも一つだけわかっていることがあります。
私は私の人生以外は絶対に体験できないんだ
という紛れもない事実です。
だからいつだって正直でいたいし、起こった出来事や自分の中に湧いた感情や想いを全身で感じていきたい。
私は私の人生を全肯定していきたい。
そう思っているのです。(まだ全肯定しきれないあきらめの悪いやつでございますが…とほほ)
私の人生の中に亮一さんという男性が現れ、心から愛しいという感情が湧き、結婚という行為をし、子どもができた。
出産という行為が起こり、“娘”とよばれるとてもつもなく可愛い存在が私の人生に現れた。
私は目の前に現れたこの“娘”とよばれるその存在全てを感じたいし、その存在があるからこそもたらされる私の中に湧く感情を味わいたい。
それがたとえ怒りや憤慨や絶望だったとしても真正面から味わい、その感情を味わっている自分がどんな風になるのかを知りたい。(その辺の感情って嫌だけどね。笑)
私はいつだって自分の人生の責任をとりたいし、自分の人生を全身で体験したいのです。
私の人生の中に現れた娘はとてつもなく愛しく、可愛くて仕方がないという感情を味合わせてくれています。
私はただそれを受け入れ続けているだけなのです。
子どもの幸せを祈らない親はいないと思います。(いるのかもしれないけれどね。)
私も心の底から祈ります。
どうかあの子が幸せでありますように。と。
そうであるがゆえに、コントロール欲が湧くときがあります。
「この子が幸せであるためにはこうでなければ!」なんて。
そんな時、私はいつだって立ち返ります。
幸せってなんだ?と。
あの子の幸せはあの子のものだ。
私は私の人生を受け入れ続けることしかできないんだ。
そうすると、とてつもなく全てが愛しく感じるのです。
娘はとても可愛いです。
全てが愛しいです。
だから私は思います。
子どもは可愛いだけでも育つよ。
まぁこれからその考えも変わるかもしれませんが。笑
変化を楽しむことができるのは変化を見つめるいつでも変わらない視点に気付いているかどうか。
変化しまくりの子どもが目の前にいます。
私はただ面白がりながら、楽しみながら、時に切なさや淋しさを感じながら、見つめ続けていくだけですね。
今回もちょっと長くなってしまいました。
最後まで読んでくれてありがとうございます!!
さて、今回に限り(?)特別に明日もこの連載の続きがアップされます。
先日、この『可愛いだけでも子どもは育つ?』について私の9歳の娘に意見を求めたのですが、その意見がとてつもなく面白く、娘も「私からのメッセージをできれば書いてほしい!」と言っていました。
舎長のおーちゃんが「じゃあ2日連続で投稿しちゃう?」という素敵な提案をしてくれたので明日は娘と私のお話しと「育てられる側」の娘からのメッセージを書いていきます。
きっと面白いと思います。
よかったら読んでみて下さいね!