子育てなんかできない!第11稿
《今さらですが子育てって何ですか?④》
『心配しないっていう方向性もあるんだよ。』
みなさんこんにちは!
もう年末?!!
11月じゃないですか?!!
この連載もあと3回で終わりですって。
え?あと3回?!
うーん…もう終わってしまうのかと思うと寂しいですね。
あともう少しですが、よかったら私の『子育てなんかできない!』にお付き合いくださいね。
先日、私のブログ『藤山家においでよ。』を通じてお友達になった方からメッセージを頂きました。
あまりにも嬉しかったのでここでぜひ紹介させてください。
ゆっきぃの『子育てなんかできない!』の記事を読ませてもらってるよ。
すごく感動したよ。
ゆっきぃの記事を読んで最近思ってることがあるんだ。
子育てというか『子育ち』(と言った方が私的にはしっくりくる)で親ができるのは子どもと一緒に沢山笑うこと。
子どもに少しでも多く笑顔でいてもらうこと。
それだけできればあとは何にもいらないんじゃないかってぐらい、それってほんとに素敵なことだってこと。
子どもって大人が邪魔しなければ100%純粋に楽しむのを目的に生きててほんとにすごい。
こんなこと、全部ゆっきぃから学んだことです。
私もゆっきぃみたいな素敵な変なママになりたいな。笑
なんということでしょう。
こうやって文章を書かせてもらう機会をありがたく頂き、楽しく書いているのですが、毎回「こんな事書いて誰が読むんだ?」「こんなこと書いて誰か参考になるのか?」と思うのですよ。
そんな時にこうやって感想を頂くと「うっひゃぁーー!書いてよかったぁーー!」とめちゃくちゃ嬉しくなりますね。
まぁ最後の「変なママ」って言葉はアレですが…。笑
(誉め言葉として受け取ってます。)
このありがたい感想を頂き、私が思ったことが2つあります。
まず1つ目。
『子どもってすごい!って書いてあるけど、元子どもの貴女もめちゃくちゃすごいんだよ!』ってこと。
これは自分にも言えることです。
前回も書きましたが、どこにも『大人』なんて人はいないと私は思っています。
みんなが『大人のフリ』をしているんだということを素直に認めたら、どんなに楽しい世の中になるだろう!といつも思っています。
「子どもはすごい!」なんて言う気は私はさらさらありません。
(素直になれば)みんなすごいんですから。
そしてもう1つ。
『私から学んだ。』と書いてくれているけれど、それは貴女が導き出したんだよ。ってこと。(ありがたいことですが。)
先日私は今回のこの原稿のことについて亮一さんに相談していました。
あと3回、何を書いたらいいか迷っていたからです。
私の中にどんな迷いが生じたかというと、こんな感じです。
「あのさー私さー今さらこんなこと言うのもなんだけどさー子育てのことなんか書くような奴じゃないんだよねー。だってさーめちゃくちゃ恵まれてるからさー。
だってさーSちゃんはめちゃくちゃいい子だし、亮一さんは話しをちゃんと聞いてくれる優しい最高の旦那さんだしーぶっちゃけ悩んでないからさー。
こんな恵まれたやつが書いたって説得力ないじゃんねー。単なる運がいいヤツなんだよねー。だから私がどうこうしたってわけじゃないからさー。ぬははー。」
…すいません。
…ほんとにヤバいほどアホ丸出しです。
でも本当に今さら言うのもなんですが、こんなたまたま運よく恵まれたやつが書くことじゃないような気がして、なんだか申し訳ない気持ちになったわけです。
すると、黙って聞いていた亮一さんがこんなことを言いました。
「あのさ、それはゆっきぃが『心配しないっていう方向性』を選んだからそうなってるんでしょ?」
と。
私はその言葉を聞いた時、よくわからなくて「ん?」と首を傾げました。
「ちょっとよくわからないから説明プリーズ。」
私は亮一さんに説明を求めました。
亮一さんはわかりやすく、こんな風に説明をしてくれました。
「いや、これはゆっきぃを持ち上げてるとかそんなんじゃなく事実ね。
だってさ、俺は5年前に仕事をやめちゃってるわけじゃん。
今庭師の仕事してるけど、それだってすっごい働いているわけじゃないし、そのことを心配して怒る奥さんも世の中にはたくさんいると思うんだよ。将来のことを心配して。
それに俺のことだけじゃなくて、Sちゃんだって寮のある学校にいれたわけじゃん。
そんなこと心配でできない親だってたくさんいるし、宿題がないとか九九を覚えてないとか(Sちゃんは九九が言えません。笑)ずっとYoutube観てるの心配で怒るとか、そういう人もたくさんいると思うんだ。」
実際亮一さんは5年前に16年ほど勤めていた整体のお店を辞めています。
ずっと店長をやっていたのでそれなりのお給料を頂いていましたが、夫婦同意の元辞めたのです。
次の働き口なんか何も決めずに。
そして数年間亮一さんは仕事をせずにブラブラするのですが、そこにはきちんとした理由がありました。(はた目にはブラブラしているようにみえると思いますが…)
そしてSちゃんは小学校1年生のころから寮のある山梨の学校に通っています。
平日は寮で生活し、週末だけ家に帰ってきます。
Sちゃんの通っている学校には宿題もテストも成績表もありません。
それに『暗記させる』ということをしないので、九九をいえません。
(掛け算は理解してます。)
それから最近のSちゃんは週末家に帰ってくるとずーーーっと一日中Youtubeを観続けています。
今のSちゃんはそれが一番楽しいらしいです。
「これさ、心配しようと思ったらめちゃくちゃ心配できるよね。
それが悩みになる人だってたくさんいると思うよ。
だから恵まれているってゆっきぃは言うけれど、そっちの方向をゆっきぃは選んでるんだと思うんだ。」
私は亮一さんのその言葉を聞いて「なるほど!」と思い、同時に(なんと私はめでたいんだ…)と感じました。
そして亮一さんはこう言いました。
「だからさ、『心配しない方向性もあるよ。選べるよ。』ってことを伝えられるといいんじゃないかな。」
『心配しない方向性』
なんだかいい言葉です。
亮一さんに丁寧に解説してもらい、よくわかったもののなんだか自分があまりにも能天気すぎるような気がして不安になった私。(急に心配する方向性。笑)
だって選んでる自覚がないのですから。
そんな私は亮一さんにこう尋ねました。
「あのさ、嫁が心配しない方向性を選んでてさ(選んでる自覚はない)…夫は幸せ?」
亮一さんはなんと答えたと思います?
「え?まぁね。楽だよね。ありがたいし。」
ここで「そりゃあ幸せだよ!」とか答えないところがグッときます。笑
どうやら奥さんが『心配しない方向性』を選ぶと旦那さんは楽なようです。
では子どもは?
「ママはいつもふざけてるからもっと笑わせたくなるよ!」
…だそうです。
亮一さんから助言を受けた私はその後じっくり考えてみました。
言われてみれば元々恵まれていたわけではないのかもしれない…と。
私、元重度の摂食障害です。
ドロドロの底辺の毎日をおくっていました。(15年以上!!)
ハチャメチャな過去があります。(人様に堂々と言えないような。まぁ…言うんだけど。)
そして息子が染色体異常で産まれて、1歳4か月の時に私の腕の中で亡くなりました。
旦那さんが5年前に仕事を辞めちゃいました。
娘は寮生活でどんな毎日をおくっているのかほとんど知りません。
娘はお休みの日はずーーーーっと永遠にYoutubeを観続けています。
家で勉強を一切しません。
テストも宿題も成績表もない学校なので、娘の学力がどれほどなのかがまったくわかりません。
むむむ…
これは…
こうやって羅列して書くと手離しで『恵まれている』と言えるのか…?と笑っちゃいました。
でもじっくり考えてみても私は思います。
「いやぁー私は世界一の幸せ者だなぁー!」と。
「恵まれすぎてるなぁーー!」と。
これが亮一さんが言っていた『心配しない方向性を選んでいる』っていうことなのかもしれません。
さて、この『心配しない方向性』。
私はどうしてこっちを選べるようになったのでしょうか。
そして果たしてこっちを選ぶことが結果的によいことなのでしょうか。
こっちの方向性を選んでいれば『心配する気持ち』はなくなるのでしょうか。
子育てに『心配』は付き物のように感じます。
人生に『心配』はついて回るもののように感じます。
そうですよね?
どうしても『心配』ってしてしまいません?
じゃあその『心配』が子育てからなくなったらどうでしょう。
人生から『心配』がなくなったらどれほど楽ちんでしょうか。
この連載も残すところこの原稿を除けばあと2回です。
あと残りの2回はこの『心配』についてできうる限り書いていきたいと思います。
『心配しない方向性』を選ぶ。
これ、快適なんですよ。
私的にはおすすめです。
(亮一さんに言われるまで気付かなかったくせに偉そうに言う私。)
ではまた次回。
今回も最後まで読んでくれてありがとうございます!
寒くなってきましたね。
お互い身体に気を付けて楽しく気楽にまいりましょうね。
また読んでくださったら嬉しいです。