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フォノグラム出版プロジェクト 2294222円の賛同!でラストスパート!& AIについて、数学について。

フォノグラム出版プロジェクト、現在

2,294,222円!

が集まっているとのことです。開始から一ヶ月ちょっとで

しかも、寄付でこれだけの賛同が集まっています。

 

今月いっぱいで終了となる見込みですが、

あと、残すところ70万円強!

みなさまぜひ、フォノグラム研究を世に出しましょう!

 

さて!

7月10日にライブ放送したおにょTV特別配信「本を出したい!」Part5の内容が面白い!と評判だったので、文字に起こしました。

ぜひご一読ください。

特に、AIと人間を分かつもの、数学を20年やってわかったことなど! 

https://youtu.be/JjpFPoL2oNQ

★面白トークは今週金曜日23:00〜もあります!お楽しみに。

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<Part5抜粋>

西洋哲学は前頭葉の思考からスタートしているんだよね。ある意味それは正しいと言えるけど、東洋哲学はそれそのものの発生源から見定める。西洋哲学は限定されている世界。

頭の存在を消さないと、存在「being」には行けないから、そこを問題にしたのが東洋哲学だよね。西洋にはあまり見当たらないね。ただ、大きな流れで言うと、前頭葉の発達なしに物質文明は発達できないから、文明を発達させるために西洋文明ができたとも言えるかもしれないね。

よく知らないけど、高度な文明が今までなんども滅んだとかいう話があるでしょう。そこで問題になるのは、科学技術が進歩して、前頭葉だけが進歩して、ハートがなくなって滅んでいるっていうことだから。だから人間性というか、精神が知能に追いついてないんだよね。前頭葉は精神性をだんだん問題にしなくなるからね。

 

前頭葉の極まった先がAIと考えていいですか?

 

そうだよ。そう、その部分だけを取り出して発展させたのがAI。

 

−最初おにょさんは大学でAIの研究をされていたと思うんですが、その動機は何ですか?

 

意識の現象、自分はなんだ、っていうことを小さい頃から問い続けていたんだよね。哲学なんて言葉を知る前に意識に興味があった。だから、物心ついた頃から、本読んで、昔の人も同じこと考えていたんだ、って。

 

先週も話したけど、AIにそこまで興味はなかったけど、普通の一般の社会人としての体を保ちながら研究をしようと思ってたから、AI研究くらいなら許せるな、って思った。人工知能を作り上げることで人間の意識の研究をしようとしてたわけ。それが可能かどうか見定める必要があるじゃんね。それが、やっている内にはっきり出来ないってわかった。

 

−どうやってはっきりわかったんですか?

 

当時数学の勉強会をやってて、経済学部で数学が達者な人がいて、一緒に数学やっていたんだよね。その時に、何の話してたか忘れたけど、自分の意識を観察したんだよね。その時、喋っている自分を俯瞰している自分に気づいたんだよね。無言の自分が見ているっていうかさ。その「無言の自分」がないと思考ができないんだよね。それが観察者なんだよね。

AIは基本的に言語からスタートしているでしょう。

 

−観察者がいないと思考ができないっていうことについてもう少し教えてください。

 

今、しゃべってる自分に気づく、とか、気づいたりひらめいたりすることが、それがないとできない。これは、AIにはおきない現象なんだよね。あ!って気づくことができない。無言の観察者がいないわけだから。はじめから言葉でスタートして、言葉に対してああだこうだって、人間のお受験勉強のような一部の知性の話で。だから、AIは凡人の中の究極って考えればいい。凡庸なことしかできないんです。

 

 

−なるほど!

 

本当にね、受験勉強やっちゃうと、そういうことに気づけなくなる。要は、東洋がそれに気づいたんだよね。そこで、非言語的な認知能力の方が圧倒的に知能よりももっと高いものを認知してる、と。

前頭葉には限界があるっていうことをよくよく知っているし、もっというと「穢れ」くらいに思ってる。

 

前頭葉っていうのは、時間と空間を認知して、論理を組み立てる。論理があるってことは時間の中に生きているわけだよね? そうすると、そこに未来や過去が生まれて、そうすると期待や不安が生まれる。結局、これって、今に生きてないんだよ。マインドには「今」がないの。後ろ(前頭葉の対立概念としての後頭葉)には「今」しかないの。今に生きてれば不幸なんてないんだけど、マインドには今がないんだよ。

 

−後ろ(後頭葉)って、俯瞰する自分だと言えますか?

 

言える。だって、フォノグラムを動かす力って俯瞰する力だもん。重いところに指を置いて重くさせていくのを俯瞰しているわけだから、そうするとエネルギーがそっちに行って平等化されていくわけだから。

で、もし俯瞰がコンピューターにできるんだったら、人間と同じ「強いAI」っていうんだけど、それができるかもしれないね。でも、その能力が付与されてないから絶対に無理。

そこが少なくともAIと人間を分かつ大きな違いだよね。

そこに西洋人と東洋人の大きな違いがあるよね。西洋人はそこから概念と観念をこねくり回していくだけだから。

 

俺がたどり着いた結論は、数学っていうのは前頭葉ゲシュタルトを表現するためのものだっていうことに気づいたの。

だから、後頭葉ゲシュタルトで見ているフォノグラムを、前頭葉ゲシュタルトの表現(数学)でやるのは、もともと不可能なことをやっていたんだってことに気づいたのが、自分が数学を20年以上やって出た結論だよね。

 

−でも、そこに橋が架かることがわかったってことですよね。

 

そうだけど、簡単に言っちゃうと、前頭葉は人間の一部だから始めから橋はかかってるんだよ。それを観念物として取り出したら科学と宗教の橋を渡したとか言えるけど、なんてことはない、だって人間の体の中と体の一部のことを言ってるんだからはじめから繋がってる。その共鳴状態を連続的に変えられるから、橋がつながって行ったり来たりできるんだよ、って言っているわけでね。

 

−みなさん感動の嵐です。

 

自分は数学や科学や物理が悪いって言ってるわけじゃないんだよ、全然。俺も散々やってるから、その素晴らしさや美しさも全部知っているし。ただ、だからこれではこの説明は無理なんだっていうのがわかったっていうことが大きかったんだよね、自分には。

 

−そこまでやらないと納得しなかった?

 

しないし、ここが一番重要だと思うんだよね。みんなそこまでやってないもん。そこが分断してる。宗教や精神世界の人たちはやらないしね、科学やっている人は逆をやらないし。限界がどこであって、何でそうなっているかを見定めることがすごく大事なことなんじゃないかと思うんだよね。

 

でも、これは次の本かその次の本くらいだね。これが俺からしたら、本当の意味で世に出したいものなんだよね。これが出れば、どっちが上だとかくだらないことではなく、それを超えた上で適切な議論ができていくと思うんだけどね。

 

科学がすごいとか、フォノグラムがすごいんじゃなくて、人間がすごいんだよ、本当に。

 

−AIを2台使っても俯瞰はできないんですか?

 

できない。

AIはどこまで観察しても俯瞰じゃないから。俯瞰っていうのは次元を超えることだからね。ポーンって。AIっていうのはずっと同じ次元だから、2台3台…無限大あっても無理。

これは実は、科学の頭脳の使い方と同じ。ひらめきは別で、天才的な科学の表現っていうのはあって、それはこの世界の技術にはなっていくけど。

 

だから、前頭葉っていうのは具体的な表現を可能にして道具としてクリエイトしていくものだからね。前頭葉は道具なのよ。ひらめいて、この世にないものをクリエイトするのがすごいこと。

 

−要するに、私たちは、本来は部分でしかないのに、「部分」に乗っ取られちゃっていて、それをもう一回全体の中の部分に戻しましょうっていうことですか?

両方あっていいけど、これを道具として使えるようになりましょう、っていうのがもじもじ考だったりと考えていいですか?

 

そうそう。だって、前頭葉が間違っている存在だったらこの世界はいらないんだもん。そうじゃなくて、この世界は作っていけるものだもん、実感を。ここにこの世界の醍醐味がある。そうじゃなかったら死んでおけばいいんだからさ。

 

俺が言っていることわかってくれるのかな?

これが今の学者さんに届くのかな、って。これがこれからの文明を変えようとした時に大事なところ。これは今までの歴史上、誰も言ってない、研究の帰結です。

 

 

 

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