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【小野田智之さんに聞く!】物質と精神の橋を渡す 〜音と形、フォノグラムの世界 (2)

昨日に引き続きまして、小野田智之さんに聞く!

インタビュー2日目です。

「響く楽器」の秘密は、どう生きるかに密接するという衝撃。 

どうぞご一読ください!

 

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渦を巻いているヴァイオリンのフォノグラム

 

―フォノグラムの図形を確実に観じとれるようになっていったのは、ヴァイオリンを等音面に削っていく過程においてですか?

 

これが、共同研究者が亡くなってから、確実にわかるようになりました。死ぬ前も一緒に削っていたけど、それまではどこかで頼っているんですよね。頼る人がいなくなって、完成もされていないとすると、自分で何とかするしかない。そうなって初めて出来るようになりました。

 

―共同研究者の方の身体がおかしくなったとき、小野田さんの膝を言い当てたように、自分で自分を治療することはできなかったのですか。

 

そこには、Fさんの大きな間違いがあったと思う。人一人では解決できないの。あの人は山に籠って修行していたようなものなんですよ。だけど、人っていうのは、人と絡む中でしか、自分に無い共鳴に反応することができないようにできている。

 

―自分に無い共鳴?

 

嫌な刺激であろうが何であろうが、人と接する中でしか、人間って救われていかないんだよね。そこが自分とFさんとの決定的な違いで、これは楽器制作にも表れている。

 

Fさんの楽器は、弦を張る前の状態だと「等音面」。だけど、弦張った状況では崩れているんだよね。弦を張って崩れているヴァイオリンは、最終的に弾いたときに崩れているの。鳴らない、響きが弱いの。つまり、外からプレッシャーがかかっている状態では、響くものにすることができなかったということです。でも、弦を抜いたときのそれは完璧。

 

つまり、真実っていうのは人の中にはないの。人と人の間にしかない。人と付き合っている中でしか本当の関係はできない。そこなんですよ。

だから「私」とか「あなた」を問題にしている以上、「真我」ではないんです。

 

すごい知性だったよ、でもそれは気づけなかった。すごい能力もあった、フォノグラムの能力もすごかった。それでもそこには気づけなかった。なぜか。

人との生活、プレッシャーがない状態で済ませてしまったからです。自分の現身(うつしみ)を見ているだけの世界。きれいなところしか見たくないっていう、ちょっとそういうところがありましたね。きれいな水の中で泳いでいてもね。泥の中で泳がなくちゃ。蓮の花にならないと。

 

死後、本当にそれがわかった。それを解決した時に、あぁ自分はFさんを超えたと思いました。冷静に評価するってことは、そこはちゃんと見定めないといけない。でも本当の自立はFさんが亡くなってから、自分で何とかしないといけない、となってからです。

どこまで到達しても、それを捨てないといけないんですよね。どうでもいい、っていうか。それができないと、最後までそれに苦しめられる。

 

でも、これも研究がある程度ちゃんとしてくるから、この話も意味を持つんですよね。そうじゃなかったら、ただの変な話です。そうでしょう?

  

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タッピングトーン(音)を聞きながら制作しているヴァイオリン

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 <明日に続く!お楽しみに!!>