蓮華舎のブログ。

出版社 蓮華舎のブログです。新刊のこと、著者のお話、寄稿、取材記、舎長の日誌など。

【小野田智之さんに聞く!】物質と精神の橋を渡す 〜音と形、フォノグラムの世界 (1)

みなさま、こんにちは。

昨日予告していました通り!

 

本日から3日間にわたり、『物質と精神の橋を渡す 〜音と形、フォノグラムの世界』について、その世界の発掘者である、小野田智之さんにお話を伺ったことをご紹介していきます。

まずはフォノグラムとの出会いから。

 

「フォノグラム」という新しい世界の読み解き方がどのようにして生まれたか。

その軌跡の一部を読み取っていただけたら幸いです!

 

f:id:rengesha:20200206193334j:plain

 定期講習会の導入。小野田さんによる解説

 

―フォノグラム(音の図形)のことはいつ頃からわかっていたのですか?小野田さんが数学に出会った経緯も教えてください。

 

自分でもよくわからないんですが、若い頃から直観的にはわかっていました。お祖父ちゃんがアマチュアの画家というのもあって、芸術の教育を受けたのと同時に、屋根裏に行くと岩波文庫がバーッと並んでいたんですよね。デカルトの本とか難しい哲学の本とか。そういう本に、小さいながら憧れていたんですね。それで10代の終わり頃から哲学の本を読みだした。悩みを相談する相手が本の中にしかいなくて、本の中に答えが書いてあったりするわけですよ。それで、あぁそうなのか、と。

ただ、別に学者になりたいとか、そういうつもりで勉強していたわけではないです。それがだんだんと、大学生になって、数学の先生に会って、あぁ、数学の研究がしたいなと思った。

 

―大学生になるまで数学をやりたいと思ったことはなかったのですか?

 

全くありません。どちらかというと、人間の意識に関心があって人工知能の研究をしていたんですよね。そのときに、数学のある問題に行き当たって、数学の先生で面白い人がいる、って友達に紹介してもらったんです。そして、数学の問題を解かせてもらったらすごく面白くて、その場でパパっと解いちゃった。そしたら向こうも能力を認めてくれて、そこからマンツーマンの指導が始まりました。

 

―それは大学の何年生くらいのときですか?

 

2年生くらいかな。そのときは、何になる気もなかった。何の野心もない。本当はラグビーをやって実業団に入って、30歳位までやって、そのまま会社員やろうと思っていました。だけど、怪我をしてしまったから、それが叶わなくなったんですよね。

 

―今は亡き共同研究者の方と小野田さんのことを教えてください。

 

自分が25歳の時に52歳だったから、父親のような関係です。そのとき、自分はまだ学生で、郵便局が民営化されていなかった時代、郵便局のバイトは深夜だと人が余っているような状態で、バイトしながらずっと勉強ができた。そのとき、休み時間に自分はファインマンの物理学の本を読んでいて、それもあってその人が向こうから声をかけてきてくれて、それから休み時間にその人と一緒に話をしながら研究することができました。でも、はじめて会った時はリストラされたサラリーマンかと思いました。だって、変な図形取っている変なおじさんだし、郵便局のバイトでは生計は立てられないですから。

 

―その方は大学や何かに所属していたわけではなく、自分で研究をしていたのですか?

 

そうそう、ほとんど世捨て人のようでした。同時に、ほんとうに音楽家。ヴァイオリニストでありヴァイオリン制作者。自分は音楽とヴァイオリンの制作をその人から習いました。

 

その人に出会ったのはまだ学生の時で、スポーツで怪我したばかりで、もう人生終わったなと思っていた時。いきなりその人が「君、膝から下動いてないよ」って。誰にもそんなこと言ったことないですよ。本当にびっくりした。今の自分のように(フォノグラムを観ることで)膝を見て、言い当てたんですよね。

それで、それを言い当てられた事と、怪我した後で、命をぶつけられるような何かをしないと、これはもう浮かばれないと思っていた。そういう時にそのFさんと出会って、ああこれが俺の研究するテーマだ、ってわかった。

 

―共同研究者のFさんと数学の先生と、ふたりの先生がいる状態があったのですね。

 

そうそう、面白くて数学の先生とFさんは会っていないんですよね。

Fさんはすごい人だった。会った時、こんな知性は見たことないっていう感じでした。宗教とか芸術とか文化とか、いわゆる理数系以外は全部Fさんから学びました。そして、それを数学的に解明できるかを自分がやることを後押ししてくれたのが、数学の先生です。

 

―フォノグラムを科学的に証明しようとしたのは、大学を出てからですか?

 

大学時代からです。その研究に出会ったから、大学を辞めなければならないって思った。いわゆる「売れる研究」っていうのがあるわけですよ。それから「やっちゃいけない研究」もある。やっちゃいけない方だったから、言える訳がないの。だから一人でやるしかない。それに、やったところで何になるわけでもないんですよ。でもそれが重要だと思ってやっていた「何か」はあったわけで、それには価値があるって数学の先生も言ってくれたから。その後押しがなければできなかったと思います。研究を押す、というか、自分を押してくれた。だって、大学を辞めるって言ったら、辞めた日に「じゃあ、科学の国際会議でも行こうか」って先生は言うんだよ。何の手柄もない学生なのに。ただ「やる」っていう気持ちだけなのに推挙してくれた。周りは日本の代表ばかりで、「誰だ?」ってクレームは来るよね。そしたら、「この子が行かないんだったら僕もいかない」って、学会にもゴリ押しで入れてくれたりしたんです。ですから、数学の先生とはいい思い出しかありません。

 

大学を卒業してからもずっと研究していたんですけど、一般的なところに属している訳でもないし、ただ自分の信念というか、直感に基づいてやっているだけだから、さすがにどうにもならんな、ってところにくるわけですよ。

Fさんが他界して、もうこの研究やめようかなって思っていました。その頃はまだ何の実証もできてないから、無しにすれば自分も自由になれたから。それがちょうど33歳とかそのくらいかな。

それまではFさんと二人でやっていたから、なんとか気持ちも保てていたけど、いよいよ話し相手もいないし、これからどうなっちゃうのかな、と思いながらやっていたわけです。

 

でも、ここで止めると一生Fさんとのケリが付かないな、と。それで、解決して先に進むっていうことを決めて、やっぱり良かったなと思う。だって、そのまま止めていたら、Fさんは浮かばれないし、自分も浮かばれない。でも、今こうやって皆さんがフォノグラムのことを知り出した。だから、死んだ人も、残された方が頑張れば、救われるんだよ。昔はふとしたときに思い出すと苦しくなっていたんですよね。こういう話も出来なかった。こういう話が出来るようになって、成仏してくれたのを感じる。Fさんが頑張ったことは死後もちゃんとそれを受け継げば、お返しすることができる。だから、やってよかったなと思います。

 

 <明日に続く!お楽しみに。>

 

f:id:rengesha:20200206195234j:plain

ヴァイオリンのフォノグラム図形