蓮華舎のブログ。

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子育てなんかできない! 藤山幸江 第一稿

蓮華舎のブログをお読みの皆さんはじめまして!

昨日の舎長のおーちゃんのブログでご紹介頂きました藤山幸江と申します。

みんなは私のことを『ゆっきぃ』と呼んでおります。

てことで、こちらでも「ゆっきぃです!」とこれからはご挨拶させていただきますね。

 

この度、舎長であるおーちゃんこと大津明子さんに声をかけてもらい、蓮華舎のブログに文章を綴らせて頂くことになりました。

まったくもってありがたいお話しです!!

ありがとうございます!!

 

ところで、昨日の舎長のブログを読んで頂けましたでしょうか?

もしまだでしたらぜひ目を通してみてください。↓↓↓

https://padmapublishing.hatenablog.com/entry/2020/02/11/120000

 

 

読みました?

どうお感じですか?

そうなんです。私の過去はめちゃくちゃなんです!

中学3年ころから摂食障害の症状が出始め、それから15年以上ひどい摂食障害に苦しみます。

21歳の時には滋賀県雄琴という町でソープ嬢として働きます。

一年で700万円というお金を貯め、返さなくてもいいであろうお金をとある人に返します。殺される覚悟で。

 

その後はバーテンダー、クラブホステス、雑誌記者、そしてリフレクソロジストになり、整体師になりました。

もう過去の職業をあげるだけでも生きている動線がめちゃくちゃです。

自分でも笑っちゃうくらい。

そしてそれは職業だけに留まらず、プライベートでもかなりめちゃくちゃな日々でした。

男性を心から好きになれない。「人を好きになる」がわからない。「付き合う」がわからない。「彼氏」とか「彼女」がどういうことなのかわからない。

当然結婚や出産なんてまったくわからない。

わからないからたくさんの異性と関係をもったりしてみたり。もうめちゃくちゃ。

 

とにかく「私」は物心ついた時から「私」が大嫌いで許せなくて、いつでも「消えてなくなりたい!」と思っているような過去でした。

だからこそ、私は私を観察し続けました。

私が大嫌いだと思っているコイツはなんだろう?

どうしたら「私」が「私」を好きになれるのだろう?

この大嫌いな「私」は一体全体いつも何を思っているのだろう?

そして目の前に繰り広げられる様々な出来事を観て、この大嫌いな「私」は何を感じているのだろう?

 

こうして「私が大嫌いでたまらない私」は、いつの間にか「大嫌いな個としての私」を「じっと観察するもう一人の私」の視点を強化していきました。本当にいつの間にか。

それはいつしか「“私”とはなんだろう?」という思いに変わり、「“私”が今行っているこの“人生”とはなんなのだろう?」という「問い」に移り変わっていきました。

 

“苦しみ”の本質がなんとなくわかってきた頃、今の最愛の旦那さまと知り合い、長く患った摂食障害の症状も見事に治まりました。

今、私は大好きな男性と結婚をして、妊娠出産を経験し、現在8歳になった超絶可愛い娘と最愛の旦那さまと可愛いらしいお姑さんと生活をしています。

あんなに大嫌いだった「私」と消し去りたいほど嫌悪していた「私の過去」がいつしかぐるりと反転して、今ではたまらなく愛しくなりました。

 

あれほど「わからない!!」と叫んでいた結婚、妊娠出産、そして子育て(?)を私はいつの間にか楽しくしているのです!!驚愕!!

 

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愛娘と愛猫。

 

結婚、妊娠出産を経てなお、私の「私をジッと見つめる視点」は強くなり、そして広く大きくなっていきました。

最愛の旦那さんである亮一さんと共に、その視点の話しをいつもしているから尚更です。

 

今目の前で繰り広げられているこの現象はなんだろう?

今私が感じているこの感覚はなんだろう?

私が今感じてるこの感情はみんなが名付けている『イライラ』というものなのだろうか?

私が今感じているこの感情の名前はきっと『ワクワク』と呼ぶのかもしれない。

そんな風に。

『結婚』も『妊娠』も『出産』も『子育て』も、ただそう名付けている現象に過ぎない。

その現象に名前を付けた途端、人は自分のフィルターでその物事を観てしまう。

名前を付ける前、その前の状態をまっさらな目で見つめたい。

まっさらな自分の感覚で感じたい。

いつでも自分の感覚に正直に開いていたい。

そんなことを常に考えている、感じようとしている44歳のゆっきぃです。

だからね、よく聞いてくださいね、私は

 

『子育て』なんて出来ないし、やったこともないのよぉぉぉーーー!!!

 

こんなめちゃくちゃな過去を持つ、ポンコツで物忘れがひどい私が(最近は特にいろんなことを覚えていられません!!)私の日常をどんな目線で観て、何を感じているのか、『目の前の現象に名前を付ける前』の感覚で綴っていけたらいいなぁと思っています。

 

稚拙な文章だと思いますが、よかったらお付き合いくださいね。

どうぞよろしくお願いいたします!

 

ではまた。

【舎長おーちゃんが行く!③ 】藤山幸江さんのこと。

みなさんこんにちは!

いかがお過ごしでしょうか?

 

今日は今月から蓮華舎のブログに登場してくれる藤山幸江さんのことを少しご紹介したいと思います。


彼女は、横浜に住む整体師です。

彼女の元にはよく人が相談に訪れます。それは、彼女が腕の良い整体師であり、人の状態を読み取る能力に長けているからということもあるのですが、、、

幸江さんの前に来ると、裸になりたくなってしまうのです。しかも、ほとんどの場合、自分でも気づかないうちに脱いでしまう。

そして、どうしても自分で脱げない厚い鎧のようなものを被っているときなどは、幸江さんが時に優しく、時に胸ぐらを掴むようにして、一枚一枚脱がしてくれるのです。

 

あ、これはもちろん比喩ですよ。

 

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京都に降り立った21歳の小娘ゆきえ。
 
所持金2万3千円。
 
京都に深夜バスが到着したのは早朝5時30分頃。
どこに行くあてもなく、京都にまったく詳しくない。
というか土地勘がまるでない。
どこが繁華街なのか?そしてそこまでどうやって行くのか?
今夜泊まる場所は?
少しの荷物を持って、キョロキョロと移動をはじめた。
http://yukiukixkix.hatenadiary.jp/entry/2017/12/06/152507
 


こんな感じで始まる幸江さんのブログによる自叙伝は、その一応の完結をみたときに「小娘有里ちゃんロス」が起きるほどの反響を呼びました。 

 

ちなみに「有里ちゃん」は、幸江さんのかつての源氏名です。
 
源氏名
 
そうです、このブログに描かれているのは、幸江さんの「雄琴ソープ嬢」時代の赤裸々自叙伝であるのです。
 
ここで顔をしかめる方々いらっしゃるかもしれません。

 

ソープ嬢

しかも、蓮華舎のブログでソープ嬢
 

しかし、少しの間考えたのち、前に戻ってそのブログのURLをこっそりクリックされるかもしれない(別にこっそりする必要はないにもかかわらず)。

 そのままぜひ、1話からさかのぼって、数日かけて最後まで読み進めてください。
 
そこに展開されているのは、顔をしかめたときに思い描いたような感じだったでしょうか?
 

少なくとも、このブログの熱心な読者であった私は違いました。

 

何か違うのでしょうか?

 
雄琴ソープ嬢、有里ちゃんは1年で700万円を貯めるとその仕事をすっぱり辞め、その後はバーテンダー、そして大阪のホステスとして働きます。

それぞれの場所で、見事にいい所まで上り詰めていきます。そして、あるときにスパッと辞める。その中に埋没していくことはついぞありませんでした。


彼女はそれぞれの場所で、一歩引いた場所からその大きな目で起きていること「ジっ」と見つめます。完全に飲み込まれることなく、しかし、好奇心をむき出しにして。
 
薬物にはまってしまう同僚、男性に貢いでしまう嬢たち、とにかく承認されたい男たちの悲哀、恋愛にはまることのできない自分、過食嘔吐の症状、、、、

 

人の本性が文字通り隠すことなく現れてしまう場所で、有里ちゃんは自分と周りを観察し続けます。

そしてそれは、仙人のような旦那さんと、悶絶するほどかわいい娘さんと家族を営むようになった今でも、変わらず、より大きく優しい視点とともに強くなっているようです。

 

幸江さんと私は、数年来のたいへん仲の良い友達です。

私はたまにふざけて「幸江先生!」というのですが、完全にふざけているわけでもないのです。

 

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彼女はいつも誰に対してもこう聞きます。

 

「それで、ほんとうはどう感じているの?」

 

それは、いつも彼女が自分自身に聞いていることなのだと思います。
 
ほんとうに、ほんとうは、どう感じているのか。

それをちゃんと知ることは、案外難しいことだと思いませんか?

 

いつだって私たちは色眼鏡でものを見てしまう。

だって、ずっと色眼鏡をかけろかけろと言われ続けてきたのですから。

でもそれに気づいたのなら、眼鏡をいったん外すことができる。

...少なくとも、外そうとすることはできる。

 

外側から与えられてきた基準を一旦外して、肩書きも社会的な役割も全部かなぐり捨てて、とことんまで自分に正直になった時に、一体どう感じているか。

それを、私もまた幸江さんと、皆さんと一緒に、知っていきたいと思います。

 

 

今年も私は「なんでだろ?」や「おかしいなぁ」と思うことに正直に向き合っていきたいし、

それで?私はどう感じてる?を知っていきたいなぁと思います。

「常識」とよばれている事柄を真っ向から否定するのではなく、

「ん?なんだ?これ?」という視点で観て、そして私は何を感じるかを知っていきたい。

そんなことを感じた年末と新年でした。
 
今年も自分に正直に。

ごまかさずに生きていきたい。

いつだって丸裸になれるようでいたいです。

https://yukiukix.hateblo.jp/entry/2020/01/04/165925

 

 

子育ても、夫婦関係も、女性性も、家族も、日々の生活も

「ん?なんだ?これ?」という視点で観てみたらどうなるか。

 

それを毎月少しずつ綴っていっていただく予定です!

 毎月第2水曜日に更新。

 

みなさま、どうぞ、お楽しみに!! 

 
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 幸江さんと旦那さんの亮一さん(と猫の夏ちゃん)
 

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【ヒマラヤの師と共に】ーご感想たくさんお寄せいただきました!

ご感想をたくさんいただいています。下記に一部抜粋してご紹介いたします。

大変励みになります。ありがとうございます!

 

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◯読む人を引き込む力のある作品。何度も読み返して咀嚼したくなりました。出だしから、 何が始まるのかワクワクしながら読み進めました。 冒険物語みたい。
随所にある師たちの言葉は、 別にヨガに限らず、 人間として誠実に真っ当に優しく生きることを示唆する深く響くものです。
話はインドを知っている人には多岐にわたるテーマが織り込まれており(聖者やインド各地、 名もないサドゥに至るまで)楽しめました。 また、 非常にドラマチックかつこんなことがあるんだなぁ...是非経験してみたい、 というふうに思います。
普通、 尊敬される存在になりたがる人が多い中で、 師という存在に限りない愛と敬服があるからこそ、 いち労働者のような形で世界に参与し続けるシュリーエムの姿勢に非常に好感が持てました。 何か宗教と言う枠を超えて次元を超えて展開される、 非常に響くものを持つ自叙伝でした。 ーAさん (Amazon reviewer)

 

◯以前に紹介したクラウドファンディングで、シュリー・エム氏というヨガ行者の本を日本語で翻訳し出版しようという企画がありました。

 期日までにおよそ1.5倍の賛同者が集まり、無事に出版の運びとなりました。一般の大型書店などでは来年の1月10日から販売するそうです。

現代版の『あるヨギの自叙伝』といえば、その方面で分かる人には伝わるのではないでしょうか。まだ前書きと目次しか読んでいませんが、面白そうな本だと思います。

巻頭に「師の役割は、弟子が自らの足で立ち、歩めるようにすることだ。」という、シュリー・エム氏の言葉が書かれていました。

あまり伝わっていないかもしれませんが、僕は嬉しいです!

https://ameblo.jp/kaz32i/entry-12562257087.html

 

◯豪華なご本に感激です。 この本の出版に関わられたすべての皆さまに、 心より感謝いたします!届いてすぐに、 ぱらぱらとめくるだけのつもりが、 内容に引き込まれて読み始めてしまい、 三が日、 一気に通読。 とても読みやすい翻訳で、 最後まで読破いたしました。 とても濃い内容で、 長い年月のことが書かれているにもかかわらず、 本当にぐいぐいと読まされました。 YouTubeなどで動画も拝見しております。 師の来日を切望いたします。  ーKさん

 

◯文章もとても読みやすくて、 情景が自然と浮かんでくる。
原書も素晴らしいのだろうけど、 訳がすごく良いのかな、 翻訳書じゃないみたい。 ーUさん


◯この本が、 今、 自分の手元にある事が不思議です。 ヨガの世界を知らなくても面白い作品です。 ...グイグイ引き込まれて読んでしまっています。 ....色々な自分が、 この本を読んでいます。 読み終えたとき、 どんな気分なんでしょう。 ーYさん

 

他にも色々な場所で本書をご紹介いただいているようです。

全部シェアできておりませんが、ありがとうございます!

https://ameblo.jp/ganeshagiri/entry-12567061815.html

https://ameblo.jp/phonograman/entry-12564498717.html

https://ameblo.jp/singetsu123/entry-12565910482.html

 

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紀伊國屋新宿店様3F

 

 

 

【舎長おーちゃんが行く!①】店頭で本を見て思ったこと。

みなさま、こんにちは!

 

おかげさまで、書店店頭に本を並べるまでの色々な手続き(というのかわかりませんが)が終わり、無事に店頭に本が並びました。

しかし、ほっとしたのか、一時体が動かなくなってしまいました!(回復しました)

そんな中、ぼんやりと...店頭に足を運んだ方が本をたまたま目に留め、手に取ってくださる確率というのは、奇跡に近いくらいではないのかな〜 などと思っていました。

 

毎日毎日量産されるたくさんの本がある中で、限りある書店さんのスペースの一角に置いていただき、もしもそこで求めてもらえなければ、本は返ってきてしまいます。

その本の一部はもう使えず、少なくとも改装しなければならず、返送費用と手間が乗ってきます。そして迫り来る在庫の管理。

.....と、一連のことはわかってはいるつもりでも、実際に降りかかってくる段になると、見えない相手が襲いかかってくるみたいで、正直なところこれは結構怖い!!

と、体調がいまいちだったこともあってか、見えない相手としばし格闘しておりました。

 

しかし、限りある情報から拝察するにすぎないのですが、店頭での売れ行きは悪くない....

いやむしろ、なかなかの健闘ぶりだね!!

という感じなのです。

そして何より、寄せられるみなさんからの反応やご感想がとても良いのです。

これは...フラられると思っていた相手に思い切って思いを告げたら、思いがけず愛のある返事が返ってきた時のような驚きを伴った嬉しさです!

 

思えば、クラウドファンディングの時からそうでした。

何かを外側に表現しようとするとき、それが自分にとって大事なものであればあるほど、拒絶されることへの恐怖に足がすくみます。

それでもやるかどうかは、運命の分かれ道。

先のファンディングの場合は、もう後ろに下がれない場所に来てしまい、

目を瞑って、エイ!と飛び降りたら、思いもよらない多くの人の手が伸びてきて受け止めてくれてびっくりした!!

そんな感覚でした。

そして、その経験は、私の中にとても大きな変化をもたらしました。

言うなれば、世界に対する絶大な信頼感が生まれました。

世界、という言葉が抽象的であるのなら、人に対する信頼感、と同時に、何か大いなるものへの信頼感、と言っていいように思います。

信頼感が増せば増すほど、どこからともなく元気が湧いてきて、なんとかなる。

そんな、見えないやりとりを重ねているような気がします。

(それでも返品が怖いのは許してほしい!)

 

  ✳︎ ✳︎ ✳︎

 

先日、ジュンク堂書店池袋本店さんの4Fで『ヒマラヤの師と共に』が『バガヴァッド・ギーター』と併売されいるのを見て、とても嬉しくなりました。

 

展望もなければ自他への信頼もなくさまよっていた頃、ふらりと入った渋谷の本屋さんで『ギーター』を手に取らなかったら、今こんなことをしていることはまず無かったと思います。

店頭に足を運んだ方が本をたまたま目に留め、手に取ってくださる確率....なんて、あれこれと考える必要はないのかもしれません。

出会うひととは出会うし、出会わないときは出会わないのと同じく、

手に取る時は手に取り、手に取らない時は、手に取らない。

 

とはいえ!!

一人でも多くの方が手に取ってくださるように、舎長としては引き続き頑張りたいと思います。

 

✳︎蓮華舎のHPからもご購入いただけます。ヒマラヤの師と共に〜現代を生きるヨーギーの自叙伝〜 - 出版社 蓮華舎

 

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ジュンク堂書店池袋本店様4F

 

 

 

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【ヒマラヤの師と共に】ー稲垣えみ子さんよりご感想をいただきました!

元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが、『ヒマラヤの師と共に』の感想をくださいました。

クラウドファンディング時から応援を頂き、本当にありがとうございます!

 

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最初は、ドン、と届いた辞書のごとき大著におののき、恐る恐る拾い読みするところから始めたのですが、たちまち、著者の飾らない言葉で語られる「奇跡」としか思えない不思議な出来事の数々にワクワクと心を奪われ(エアコンを捨てた身としては、自分の中の炎を燃やせばどんな寒いところでも寒さを感じないというババジの話に興味津々  笑)、しかしそれはすぐに、このような超人的パワーを身につけながらも、それを誇ることもひけらかすことも得意になることもなく、ただただそっと他者を助けることに当たり前に生涯を捧げる著者の強さと優しさに対する驚きに取って代わったのでした。

いやいやそれこそが本当の奇跡じゃん!と思ったのです。

我々はきっと超人になることはできません(自分の中の炎に火をつけるのも是非やってみたいが無理だと思う)。でも心がけ次第で、それぞれのやり方で他者への優しさを持つことはできる。それは決して簡単なことではないけれど、そのことが結局は自分の人生を真に輝かせることに繋がるんじゃないか? そしてそれこそが現代における奇跡なんじゃないかと思った次第です。

つまりは我々は誰だって小さな奇跡を起こせるし、それが積み重なっていけばきっと世の中を変えることもできるんだと思わせてくれた一冊。

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✳︎稲垣さんは、昨年末に『アフロ記者』が朝日文庫から出されたばかりで、書店さんではどこでも平積みです!

https://amzn.to/2u4Ljo4

 ヒマラヤの師もこのくらいどこでも平積みされるくらい認知されるように頑張ります!

 

 

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(下記は新宿紀伊国屋本店様3F)

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【ヒマラヤの師と共に】ー訳者 青木光太郎さんより 一般発売にあたって。

『ヒマラヤの師と共に』一般発売にあたり、訳者の青木さんより読者の皆さまへ、メッセージを頂きました。どうぞ、ご一読ください。
 
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インドはヒマラヤからお届けてしております。こちら坊主頭には厳しい冬を迎えています。
 
『ヒマラヤの師と共に』が書店で販売を開始されたという嬉しいお知らせと共に、蓮華舎の大津さんがインドまで本書を送ってくれました。インドのリシケシで本書の英語版を手にとってから早1年半。日本語の訳書がこうして形になったことに関係者の皆さまには感謝するばかりです。何人かの読者の方からもご好評をいただきまして、大変嬉しいのと同時に、実は少なからず驚いている自分がいます。
 
なぜかというと、本書は文化的にも地理的にも遠い世界の物語であるので、一体どのくらいの日本の人が共感するものだろうかという懸念が私にはあったからです。実際、現代の日本と本書に描かれるインドの間には、いわゆる「先進国」と「発展途上国というラベルにはおさまりきらないギャップがあります。まして、著者が放浪をしたヒマラヤの山々、彼が師事した修行者たちとの交流から垣間見える世界というのは、おとぎ話だと思われても仕方がないような異世界です。
 
それでも、埋めようのないギャップにもかかわらず、読者に語りかける不思議な力を本書は持っているようです。一体、本書は私たちのどこに語りかけてくるのか?これは本書の表紙の帯にもある「全ての私たちに共通する「私」、つまり、全ての人の中にありながらも移り変わりを通しても不変、共通の何かが、語りかけに耳をすましているのだろうと私は考えてしまいます。
ここでいう「私」を、ヒンドゥーの「真我」または仏教の「空」というのか、それともキリスト教の「神」や哲学の「真理」と呼ぶのかは、単に宗教や文化、歴史背景の違いに過ぎないことでしょう。重要なのは、著者が「私」を探求していく物語を読む中で、この「私」に向けて読者の意識が広がっていくということです。このために、本書はヒマラヤ山脈やインドの放浪記という外面の旅物語でありながら、読者を「私」へと誘う深い内面の旅物語でもあると言えます。そして、この本を読んで自分も内面の旅をしようという人は、現実に著者という導き手に会って旅路の相談をすることもできるのです。
 
もちろん、冒険物語やインドの歴史資料として読んでも、本書は大変おもしろい読み物になっています。実際、翻訳者としても信じがたいような場面が本書には頻出するため、フィクションとして読んでも楽しめるでしょう。読者の求めるものによって得られるものが大いに違ってくる懐の深い書物ですので、是非一度手にとっていただければと思います。
 
現在、同著者の「On Meditation」を翻訳中です。こちらは打って変わって具体的かつ実践的な、手取り足取り調の瞑想の指南書になっています。乞うご期待ください。
 
 

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