【ヒマラヤの師と共に】 ーお取り扱い書店様
みなさまこんばんは。
明日『ヒマラヤの師と共に』が書店さんに発送されますので、全国の店頭に並ぶのは12日くらいからになります。
お取り扱いくださる主な店舗をこちらにおしらせします!
どうぞ、書店店頭でお求めください。
ブッククラブ回
ジュンク堂書店池袋本店4F
書泉グランデ
紀伊國屋書店梅田本店
三省堂書店池袋本店
紀伊國屋書店新宿本店3F
ジュンク堂書店三宮店
ジュンク堂書店三宮駅前店
三省堂書店神保町本店
八重洲ブックセンター本店
丸善&ジュンク堂 渋谷店
ジュンク堂書店吉祥寺店
ジュンク堂書店大阪本店
ジュンク堂書店福岡店
有隣堂誠品生活日本橋
有隣堂厚木店
ジュンク堂書店藤沢店
丸善&ジュンク堂 梅田店
ジュンク堂書店難波店
丸善岐阜店
ジュンク堂書店 立川高島屋店
ブックファースト ルミネ新宿店
戸田書店静岡本店
ブックファースト中野店
丸善書店仙台アエル店
丸善書店ラゾーナ川崎店
文苑堂富山豊田店
ジュンク堂書店京都店
MARUZEN広島店
丸善名古屋本店
ジュンク堂書店明石店
喜久屋書店倉敷店
ブックファースト 新宿店
【舎長おーちゃんが行く!⓪】書家 山田麻子さんのこと。
みなさま、明けましておめでとうございます!
舎長の大津明子です。
この度、新年、新しく蓮華舎のブログを開設いたしました。
弊社が生まれるきっかけになった『ヒマラヤの師と共に』のクラウドファンディングの経緯は、こちらのブログに移行させ残させていただくことにしました。
突然社長になってしまった私は、未だ立場に慣れず、社長.....というより舎長、のほうが自分としてはしっくりくるようです。
今後こちらからタイトル通り、日々のあれこれや、様々な出来事や人物を、記事を通して皆様にもご紹介していければと思っています。
新年の第1回目は、蓮華舎の「素敵な」としか言いようのないロゴマークを筆で描いてくださった、山田麻子さんの書、HOPEの「希」です。新年にふさわしいひと筆。
『ヒマラヤの師と共に』の表紙にも、泊が押されたハスの花が光っているのを見ていただければおわかりになると思いますが、麻子さんの筆のおかげで、弊社のイメージがどれほど素敵なものになっているかは、まさに筆舌に尽くしがたく、それだけイメージの力というのは大きいのだと感じます。
イメージを筆一本で形に表現していく、麻子さんのことを今日はここに少し、ご紹介させていただければと思います。
何度も繰り返す「本番の失敗」の結果、生まれる一枚
ー書家、山田麻子さんのこと。
私が山田麻子さんと出会ったのは、何年か前、山梨県北杜市での田植えの事でした。麻子さんのホームページを作っているモチドメデザイン事務所が八ヶ岳の南麓、標高960mの地に建つ古民家にあり、毎年こちらにはたくさんの方々が訪れ、手植えで苗を植えます。出来上がったお米は素晴らしく美味しいのですが..... 私はそちらで、このハイパーエネルギッシュな麻子さんと出会いました。そして昨年の初夏、またもや田植えで再会を果たすこととなりました。
その後、様々な経緯で麻子さんの家に(遊びに)行くようになり、個展にも足を運ぶようになり、麻子さんの書に接する機会を持ちました。
(その結果として、こんなに素敵なロゴを書いていただけるご縁に繋がったのですから…今となっては稲田の神に、感謝しかありません。)
麻子さんは毎年、手書きで暦を作成されています。これは去年の8月の暦。
手書き暦はこちら http://yamada-asako.com/calendar*2020年の暦は販売受付終了!
麻子さんの筆は、一見するとわかるように、一枚の紙に収まることを良しとしません。
にもかかわらず、一枚の紙の上に、空間と共に余すところなく表現されます。
そして、それは膨大な数の「本番の失敗」の上に成り立つたった一枚。
見ているこちらの気持ちがスカッと晴れるような、豪快かつ繊細な筆です。
生きることが瞬間瞬間の即興の繰り返しであるがごとく、麻子さんの書もまた生きる躍動の上に成り立っているのだと思います。
私は過去にも未来にもとらわれず、今を大事にして生きたいと思っているからこそ、瞬間芸術である書を、続けているのだと思います。書の作品制作過程は、下書きや練習が無く、何度も繰り返す本番の失敗の結果、一枚だけ作品が生まれます。今を生きることを現わせる書という表現方法を使って、迷いの無い字を書いてゆきたいと思っています。
(山田麻子公式ホームページより)
麻子さんの家には、自然物や古い置物、見落としてしまいそうなほどの小物、自分で作った棚など……侘び寂びを基調とした空間がちょっとした遊び心で彩られています。
そして、家の前の土手には、春には桜、秋には彼岸花が咲き乱れる。そんな光景すらも、なんだか麻子さんの書の一部、アートの一部であるように思われ、私はその空間がとても好きになりました。
「どらやきの美味しさを初めて知った、食べ過ぎたら、吹き出物ができた」という走り書きすらも遊び溢れる書にしてしまう麻子さんの書は、学校で教える基準、上手い下手、物事かくあるべき......そういうものをやすやすと飛び越え、私たちを自由へと誘ってくれます。
それは、そのまま麻子さんの生き方でもあるのだと思います。
これから、毎月麻子さんが書を一枚書いてくださるということで、毎月がとても楽しみです。
今年は、豪快な「希」、HOPEと共に、みなさまがめいっぱい躍動する一年になりますように!
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プロジェクト発起者より、みなさまへ。成立のお礼と今後の予定について
本プロジェクトにご支援・応援を頂きました全てのみなさまへ
この度、本プロジェクトの趣旨をご理解下さり、ご支援・応援を頂きまして、誠にありがとうございました。
どきどきはらはらしながら事の成り行きを見守る日々でしたが、思ってもみなかったほどたくさんの、全国各地、また海外に住む方々にまで関心を持って頂き、驚くほどのスピードでプロジェクトの成立を成し遂げ、さらなるご支援も賜ることができました。
金額でのご支援はもちろんではありますが、みなさまのご支援に込められた熱量もまた、ダイレクトに伝わってくるものである、ということをはっきりと知る事ができ、得難い体験をさせて頂きました。
この本の出版が一旦立ち消えそうになったときに、取りやめの理由のひとつとして、実は、次のようなことを言われておりました。
「この本を拝読して、ただ、師の命令の通りに生きた人の人生が、誰かの何かを喚起するとは思えない」と。
確かに、この本は、突き動かされるように旅に出た19歳の若者が、人生の師との邂逅を果たしたヒマラヤにおいて、師と様々なやりとりを重ね、その教えを軸としてお話が展開されていきます。
そして、すべてのことをお見通しであるかのような優れた師からの助言や命によって、最終的に人々に教えを説くに至るまで、著者は学びを得、また動かされていきます。
それを聞いた私の中には、次のような疑問が沸き起こりました。
シュリー・エム氏は、生涯ただ師の命に付き従っていただけで、そこに創造性はなかったのだろうか?
この本から人生にとって大事なことが人に響くことはないのだろうか?
人生に師は必要ないのだろうか?
どうしてもこの本を出版したいという気持ちに変わりはありませんでしたが、抜けることのない棘のように、その一言が私の胸の中にずっと刺さっておりました。
インドに渡航し、シュリー・エム氏にお会いした際に、私は、このモヤモヤとした気持ちを、正直にぶつけてみようと思いました。
もっともそれは、氏が、日本から来た何者かもわからないような私に対しても、親切に目線を合わせ、友のように接してくれたからできたことに、他なりません。
私が率直に先の言葉を伝えると、氏は次のように言われました。
「何か初めての事、今まで知らなかったことを知るためには、必ず師が必要です。そうではありませんか? 私は師に、ありとあらゆるたくさんの質問をし、議論を重ねました。そして、この本の中には書いてはありませんが、ときには喧嘩をして、師から『Get Out ! (出て行きなさい!)』と怒られることもあったのです。それも1回や2回の事ではありませんでした。しかし、師にとって大事な事は、弟子を自分に依存させる事ではありません。
私は、日本語のこの本の最初に、次のような一文を追加してもらいたいと思っています。
『師の役割は、弟子が自らの足で立ち、歩めるようにすることだ』と」。
ご自身の師のことを私たちに語るとき、氏に実に優しい表情が宿りました。そのとき私は、そこにあった二人の関係性を一瞬、垣間見ることができた気がしました。そして、それで十分であるように思われました。
私の先の疑問は、瞬く間に氷解して行きました。
日本では誤解を以って認識され、浸透してしまった、「師」を表すサンスクリット語である「グル」という言葉の本来の意味は、「闇を取り除き光に導く者」です。
まさに、師の存在とその役割とは、無知という闇の中でもがいている私たちにとって、灯台であり、同時に、母のようなものでもあるのでしょう。
それは、昔であっても、現代であっても、変わりがないのだと、私もまた、私自身の師たちの存在や言葉を目印にして歩く者として、そう実感する日々です。
シュリー・エム氏が、もし師と出逢わなかったら。一つの闇が光に変わり、そしてここまで多くの人の道を照らすことはなかったでしょう。
そう思うと、人が人に出逢うということの不思議と、その計り知れない大きな意味が立ち現れてくるように思われます。
そしてきっと、求めさえすれば、全ての人にとってそのような出逢いがあるのだと私は思います。それは、同時代を生きている人かもしれませんし、そうではないかもしれません。
出逢いの形はそれぞれであり、そこから始まる物語は、自分の思うようになるものでもなく、同時に、他の誰かの思い通りにもなることのない、一人ひとりの試行錯誤と共にある道行きであるはずです。
そのような経緯を踏まえて、本書を是非一度読んで頂けたら、幸いに存じます。
私は、この本の原稿を初めて手にし、ぱらぱらとページをめくり、体験から紡がれた言葉を読んでいくうちに、どんどんお話にのめり込んでいきました。そして、編集作業が終わりに近づいてもなお、作業をしながら気がつくと、原稿を読みながら著者と師とのやりとりにボロボロと泣いている自分を発見しました。
本書を読んだみなさまそれぞれが、それぞれに響く箇所に行き当たるように思います。きっと、自分に向けて語られているのではないかと思われるような、そんな箇所に出逢えると思います。そして、それを大切にして、みなさまそれぞれの道しるべとして頂くことができたのなら、こんなに嬉しいことはありません。
また、私が初見の段階でそこまでこのお話に入り込めたのは、訳者の青木光太郎さんの翻訳表現の的確さ、そして誠実さに負うところが大きくあります。
同時に、この本がより良いものとなるようにと、様々な方のご協力をいただきました。この本の多岐に渡る内容が、正確さを以ってみなさんにお届けできるようになったのは、監修者として内容の精査にあたってくださった武井利恭(ガネーシャ・ギリ)先生、サンスクリット語や地名人名の、細やかかつ的確なる指摘をくださった寺崎シータ由美子先生のおかげでもあります。私自身、大変勉強になりました。
また、この本や著者のご紹介、ソーシャルメディアでの拡散、友人知人へのご紹介を自分のことのように一生懸命にしてくださった推薦者の先生方には本当に助けていただきました。
更に、陰ながらこのプロジェクトの成功に向けて様々な助力、アドヴァイスをくださったOさん、Sさん、Tさん、Iさん、そしてGREEN FUNDINGの田村さん。ありがとうございました。
そして、それに反応を示してくださったみなさまのおかげで、出版に向けての着実なる一歩を踏み出すことができました。
現在、本書の年内発行を目指して鋭意制作にあたっていると同時に、今後の予定としまして、シュリー・エム氏の最新の著作であり、古から継承された瞑想の方法を非常に分かり易く「Q&A方式」で書き著し、インド国内ではどの書店でも早くもランキング入りを果たした『ON MEDITATION』の日本語版の出版を目指して動き始めております。訳者は同じく青木光太郎さんです。氏の来日も視野に入って参りました。
さらに、広くみなさまにとって本当の福利となるような本の出版を、このプロジェクトから始まった「蓮華舎」という出版社において、順次検討していけるようになりました。
どうぞこれからも、本プロジェクトでいただいたご縁とともに、事の成り行きを楽しんで見守っていただけたら、そして、応援をいただけたら大変嬉しく思います。
みなさまから返ってくる莫大なエネルギーの中で活動することができた、幸せな2ヶ月間でした。
これからの荒波に向かう勇気をいただけた事に、心から、感謝申し上げます。
みなさまと一緒に光の方向に歩んでいけますように。
本当に、ありがとうございました。
2019年11月1日
本プロジェクト発起者・蓮華舎代表
大津明子
シュリー・エム氏のサットサンガ(ダイジェスト)ーーヒマラヤの師と共に
シュリー・エム氏は、現在 国内外において、様々な活動を展開しています。ご自身の活動基盤となるサットサンガ・ファンデーションや、アメリカのブロッサム・ファンデーションでの講演や講義に加え、個人やグループに対しても時間を作り、ヨーガや瞑想、生き方に関わる様々な教えを伝えています。
今回は、その活動の一端の動画を、ダイジェストでお届けします。
<14:00~>
魂の成長のためには仕事をやめなくてはいけませんか?
あなたが魂の成長を目指しているとしても、全ての仕事を辞める必要はありません。仕事をすべてやめれば、単に怠惰になるだけです。それは魂の成長をもたらしません。ある人が私を訪れました。「あなたは何歳ですか?」と聞くと、「40歳です」と答え、「全ての仕事をやめて、あなたのいるマダナパリに来て修行をしたいのです」などと言いました。彼はそれで何をするつもりなのでしょう? 大きな間違いです。
働くことが動的で、瞑想が静的だという二項対立は正しいものではありません。瞑想もまた、仕事とはまた別の、より良い形で動的なものです。そして世間で生きることも動的である。ただ、異なる形だというだけです。
二つの異なった形の動きがあり、あなたはその二つの橋渡しをどのようにするかを見つけ出さなければなりません。仕事をやめてインドのアシュラムに来て、平和に暮らそうというのは間違った考えです。アシュラムは小さな社会です。政治もあります。外の世界で目につかない問題も目につくようになります。ある意味で、それもまた非常によい魂のトレーニングにはなります。しかし、ほとんどの場合は小さな世界での大きな問題で頭がいっぱいになり、魂の成長のことを忘れてしまうのです。これが問題なのです。
ですので、仕事を放棄してはいけません。「何かをする」のです。あなたは働く必要があります。そして、仕事とは、自分のためにするのではなく、他の誰かのためにするものなのです。そして究極的には、仕事は自己の救済のために行われるものなのです。
これらのことを理解していただければ、このふたつを同時に行うことができるでしょう。
<04:05~>
求道者のための組織や団体の内部にも、外の世界と同じように、人々のエゴの衝突や権力争いがあります。組織や団体に所属して真剣に真理を探求する人々にアドバイスはありますか?
何人かの人間が集まれば必ず意見の違いが生まれます。団体や組織となれば、個人間の違いは積み重なり、ときには膨れ上がって内部で爆発したりもします。
ラーマクリシュナ・ミッションという組織に私がブラフマチャーリー(若い修行僧)として滞在していたとき、ミッションの高僧がムンバイ支部を訪れました。彼は私に言いました。「この場所といえども天国ではありません。ここも小さな『世界』なのです。そして、外ではあまり目立たないようなことも、この小さな世界では、大きな違いとなって見えるものです。例え人々が着るものを僧の衣に変えたとしても、それだけで人が完全に変わるわけではないのです。」
他の人々に何かを伝えたい、シェアしたいとなったとき、一人ではできないことがあります。団体はこのような活動には必要なものです。しかし、当然ながら、団体には多種多様な人々が集まります。何も問題がないユートピアは地上には存在しません。問題をどのように対処できるかは、あなたの魂の次元における学びがどれだけ実践においても活かされているかに依ります。そういった学びと実践によって磨かれた、落ち着いた明瞭な心を常に保てれば、団体や組織の内部で問題が生じたときでも、人々が安心して互いに向き合える空間を与えることができるでしょう。
<0:28〜>
自然との付き合い方についてマヘーシュワルナート・ババジは何か教えてくれましたか?
ババジは非常にはっきりと言っていました。自然を敬いなさい、それも最大限の敬意を以って、と。水も、川も、山も、樹も全てが最初の「神」であると。それ以外の神はナンセンスだと。何度もそう言っていました。
例えば「水を無駄にしてはいけない」と。歯を磨いた残りの水ですら何かにあげなさい、と言いました。食べ物においても同様です。食べられるだけにしなさいと。ババジはいつも少ししか食べようとせず、さらに先に少しの食べ物を取り分けておき、動物にあげるなどしていました。菜食についても「リンゴを一つもいで食べたとしても、たくさんのリンゴがまた生るだろう。だが、動物を食べたら、一つの個体、命がなくなる」と言いました。保護する、大切にする、という言葉はマヘーシュワルナート・ババジが最初からとても大事に伝えていたことです。これは、自分の体の中のエネルギーを保全することにもつながります。心と体のバランスをとり、エネルギーの無駄遣いをしないことは大事なことです。
<6:35~>
修行の実践と正しい修行法の重要さについて教えてください。
必要なものは、正しい修行法、そして毎日の継続です。
修行に関してありがちなのは次のようなことです。素晴らしい修行法を師から与えられたとする。あなたは修行をしばらく継続する。しばらくすると、心が落ち着き、意識が透き通るような状態が経験されるようになる。あなたは自分が最も高い境地に至ったと勘違いしてしまう。それで日々の修行はもういいや、ということになってやめてしまう。
このことは常に覚えておいてください。継続こそが修行において最も大事なことだとパタンジャリは言いました。はじめのうちには修行法も正しくできないかもしれません。それでもいいのでたゆまずに続けてください。6ヶ月の修行の後に、自分が最も高い境地、悟りに達したなどという幻想に陥らないように気をつけてください。とにかく日々の継続が大事です。もし本当に悟りが得られたときは、もはや修行をする必要はないでしょう。しかし、修行をすることなしに変化を期待してはいけません。
シュリーエムの活動母体であるサットサンガ・ファンデーションのご紹介ーヒマラヤの師と共に
『ヒマラヤの師と共に〜現代を生きるヨーギーの自叙伝〜』
サットサンガ・ファンデーションのお話
*GREEN FUNDINGのサイトはこちらです。https://greenfunding.jp/lab/projects/3065
シュリーエムの活動母体である、サットサンガ・ファンデーションの活動趣旨とマダナパリのキャンパスの様子等をご紹介します。
シュリーエムは、サットサンガ・ファンデーションが始まり、広がりを見せた際のお話を本書の中に次のように記述しています。
じきに、マダナパリの私の自宅の周りに、サットサンガ・ファンデーションはオフィスや瞑想スペースを構えるようになり、その活動を世界的に広げていくことになるのでした。また、地域の貧しい家庭出身の子どもたちのための無料の学校、サットサンガ・ヴィッデャーラーヤもこの場所に建設されることになりました。教室が一つ、生徒は十五人、教師は誰もいないという状況から学校がはじまり、今では、百二十人の子どもたちに良質の教育を与えるまでに成長しました。
これから数年後、全寮制の中高一貫校、ピーパル・グローブ・スクールが創始されることになりました。ティルパティから少し離れた、丘と森に囲まれた理想的な学習環境で、子どもたちは好奇心と創造性を存分に育むことができます。インドの元大統領であるアブダル・カラムが訪れた際には、彼はキャンパスの美しさと恵まれた学習環境に感嘆していました。ここでは生徒が勉学に励むだけでなく、様々な側面を持った現実、この「人生」をよりよく知ることを理想にしています。学校を訪れるたびに、ババジがピーパルの木の下に座って、子どもたちに鳥や木の種類を説明する姿を想像してしまうものです。
サットサンガ・ファンデーションの活動は徐々に、しかし確実に規模を広げていきました。学校の運営、人類はひとつであるという理想を目指すマーナヴ・エークター・ミッションの人道的な支援活動、そして私個人はインド国内外を旅して、表層的な現実を超えた世界の真相を探求する人々の導きに携わりました。これらの活動の全ては、支援する人たちがファンデーションのもとに集まったことで可能になりました。
現在、シュリーエム氏は月に一度、このピーパルの木の下で、世界に向けてサットサンガを行っている。
サットサンガ・ファンデーションの活動は、宗派や民族を超えた様々な出会いを通して今のシュリーエム氏という人物に至った、その人生の道のりがあってこそできる活動であるといえます。
その活動は、インド全土の7500キロを人々とともに歩いて巡り、異なる宗教・民族間の対話を引き起こしたピース・ウォークに留まらず、より以前より子どもたちに質の良い教育の機会を提供する学校の運営や、無償の医療の提供、植樹、世界的な講演活動等、多岐にわたっています。
サットサンガ・ファンデーションのHPには、活動や目的について次のように記されています。
あらゆる宗教、信仰を持つ探求者たちが集うための場所として、シュリーエムはサットサンガファンデーションをはじめました。
ファンデーションでは、人間の心をより良い方向へと変え、より包括的で、本当の意味で世界がひとつとなるための真の改革をもたらすための活動が行われています。
活動とその目的は、人類への貢献、真理の探究という二つの理想に根ざしています。
人々の探究を助け、魂の次元における視野を拡大し、多次元的な人生を送る手助けをするためにサットサンガファンデーションはあります。機会に恵まれない人々のための慈善事業も活動の一環として行われています。
鍵となる活動
♥ すべての宗教の共通の軸となる教義、教えを探究し、すべての宗派の人々との調和を生きる習慣を養う。
♥ 真剣な真理の求道者を集め、宗教や、神秘的とも捉えられる教えの真のエッセンスを共に探究する。
♥ 貧しい人々に食事を提供し、教育の機会を与え、医療を提供し、高齢者などを助けることによって機会に恵まれない人々のための慈善事業を展開する。
瞑想ホール
マ・コンダの田舎にあるサットサンガ・ルーラル・ヴィッデャーラーヤ(小学校)
敷地を闊歩する犬、グーグル
マダナパリのキャンパス敷地内